第三十一話 ムギとイグニス
訓練場、といっても広場なのだが。
そこに魔術師団に所属する吸血鬼たちが集まって魔術の訓練をしていた。
「ふむ、なかなか良い支援魔術じゃないか。一昨日より上手くなっているぞ!」
「あ、ありがとうございます!」
魔族になったイグニスは、ムギに強制されるわけでもなく自ら魔術の練習台となっていた。
彼に褒められた吸血鬼が頭を下げる。そして、それをムギが苦い顔で眺めている。
すっかり見慣れた光景に俺は思わず頭を抱えた。
イグニスの適応力もさながら、彼のコミュニケーション能力というか、人間関係に対する致命的なズレに気づいたのはつい最近のことだ。
ムギの揶揄いを、イグニスは『対等になったことで心を許した相手にのみ口にする冗談混じりの本音』と捉えている。まあ、つまりはムギの復讐を兼ねた嫌がらせは全くイグニスの精神にダメージを与えていなかった。
それどころか、イグニスは見咎めた吸血鬼が注意するのも笑って聞き流し、『これが僕たちなりのコミュニケーションなんだ』と朗らかに言う始末。
その時のムギの愕然とした表情はかなり面白かった。まあ、かくいう俺もその時は空いた口が塞がらなかったんだが。
この地の支配者として、相応の活躍と貢献をしている人材を不当に扱うわけにもいかず、今ではイグニスは首輪なしで領地を自由に歩き回っている。
なまじ経営の知識があるだけに、数週間でこの地になくてはならない人材にまで成り上がっていた。
『執政のイグニス』としてすっかり有名人だ。
「おや、これはルーク様。お散歩ですかな?」
「ん? あ、ああ、そんなところだ。調子はどうだ?」
「魔族になってから絶好調です。体中に魔力が巡っているのが分かります!」
「そ、そうか……」
ビクビク怯えていた人間の頃と比べて溌剌とした笑顔を浮かべるイグニス。『洗脳』していないはずなのだが、人生観や性格そのものが変貌してしまっている。
「ところで、イグニスは王国に未練はないのか? 家族がいるんじゃないのか」
ムギやフィオナは王国に親族がいないので魔族に身を寄せているわけだが、イグニスは実家が王国にいる。
もし勇者アベルと戦争になった時、場合によっては王国と戦争をすることになるだろう。そうなったら、イグニスが反旗を翻す可能性がある。
俺の懸念を知ってか知らずか、彼はケラケラと笑った。
「僕は王国や実家になんの未練もありません。むしろ、兄弟からは邪魔者扱いされる毎日でしたからね。あの手紙でようやく吹っ切れました」
「そうなのか?」
フィオナと真逆な言葉に俺は首を傾げる。
「ええ。努力すれば認められるかもしれない、なんて思っていましたが、実際は体良く利用されていただけ。周囲に合わせて行動していましたが、本当は辛かったんです。なので、ルーク様に忠誠を誓った時、僕はやっと自分の本心に気づけたんです」
「本心?」
「自分さえ良ければ、それでいいや。やっぱり人間、突き詰めると自分が一番大切なんです。それに、たとえ王国に戻ったとしても僕は責任を取らされて処刑されていたでしょうからね」
なんとも傲慢な理由だが、不思議と納得できるものだった。
全幅の信頼を寄せるのは難しいが、こちらが利益を提示する限りは味方でいてくれるだろう……多分。
「そうか。まあ、無理はしないようにな」
月並みな言葉を投げかけた俺は、魔術の指導に戻るイグニスのすっかり逞しくなった背中を見送った。
爽やかなイグニスに対して、不満を前面に出したムギが不機嫌なオーラを纏いながら俺に近づく。
「なんなんだ、あの男は!」
髭をピクピク、尾をピンと張らせてムギは叫んだ。
彼の気持ちも分からんではない。復讐しているはずなのに、日に日に相手が満面の笑みを浮かべるようになっていては気味が悪いだろう。
ムギは荒々しい手つきで懐から小袋を取り出す。ブロンズに命じて俺が開発させた『百花蜜クッキー』を彼はバリバリと貪った。
「あまぁ……」
険しい表情が一転、恍惚とした表情に変わる。
この一連の光景もまた俺にとっては見慣れたものになってしまった。
「甘いものを食べすぎるなよ、虫歯になるぞ」
これまた俺はイグニスの時と同じように月並みな言葉を投げかけてその場を離れることにした。余計なトラブルはごめんだからな。
魔術師団の練度は、俺が想定していたよりも高い。専門的な知識を身につけているムギと、貴族であり指揮官でもあったイグニスの補助のおかげだ。
これなら戦争になったとしても、ある程度は戦力として期待できる。
「おかえりなさいませ、ルーク様」
館に戻ると、俺をベンが出迎えた。
「ああ、戻ったぞ。フィオナの様子はどうだ?」
「武器防具の錬成を行っています。先ほどご休憩なされておりましたが、今は仕上げの工程に入っているとのことです」
どうやら庭でフィオナが鍛治スキルや錬成スキルを使って人狼族の武器を修復しているらしい。
ダークドワーフ族をこちら側に引き入れることができれば、フィオナの負担を減らせるんだがな……なかなか上手く事が運ばないものだ。
俺はガーデニングチェアに座って、庭にレジャーシートを広げて作業に励むフィオナの背中をじっと見る。
彼女のことだから、俺の来訪に気づいているのだろう。それでも、何も言わないのは集中しているからだ。
「次は、これか」
ぶつぶつと呟きながらスキルを使うフィオナ。
いつもの動きやすい格好ではなく、火花が散ることを想定して長袖長ズボンを着用している。火を扱っているので熱いのだろう、頬や顎を大粒の汗が滴り落ちていく。
……肌が隠れている分、汗で光った頸が際立ってエロく見えるな。なんとなく服も汗を吸ってピッタリと張り付いているからより一層、身体のラインがくっきりとーー
「………………むぅ」
俺の邪な視線に気づいたフィオナが半眼で俺を睨んでいた。
俺は爽やかな笑みを浮かべて誤魔化したのだった。




