第二十三話 懺悔したくても出来ないフィオナ
無自覚ざまあされるフィオナ視点です
『愛しているよ、ルーク』
それは私、フィオナ・エバンシアにとって、便利な道具を釣り上げる為の言葉だった。
ルーク・アバウト。
魔術学園に通う平民の噂は、冒険者の端くれとして活動している私ですら知っているほどに有名かつ将来を期待されている魔術師だった。
彼が魔術学園を卒業すれば、遠くないうちに勇者と接触する機会があるはずだ。
魔王候補の一人、ラザールに不本意ながら忠誠を誓う私にとって、ルークと接触しないという選択肢はなかった。
有名人というものは、とにかくガードが堅い。
たとえ冒険者として真摯に活動していても、僅かに目的をチラつかせればたちまちのうちに警戒されてしまう。
しかし、懐に飛び込んだ人間であれば容易く心を開いて警戒心を緩めてしまう。
私がルークの心を射止め、その恋人の座を手に入れたのは幸運の連続だった。
元より、異性を誘惑することに長けているサキュバスに比べれば、私の体型は理想から程遠い。友人、あるいは恩人の座を狙っていた私は、ルークから告白を受けた時に思わず夢かと疑ってしまったほどだ。
とにかく私は努力した。
殺せばどうにかなる実力主義の冒険者業と違い、彼の理想の恋人を演じるのはとても大変だった。
なにせ、ルークの容姿は整っている。
深い青色の髪に群青の瞳を彩る長い睫毛と温和な雰囲気を醸し出す垂れ目。
左右対称に配置された目とすっとした鼻にバランスのいい唇で構成された顔は、とても女性にモテた。
そんな彼に釣り合う女性は、間違いなく私ではない。
顔はたしかに母親譲りだが、いかんせんプロポーションが絶望的かつ、冒険者なんて仕事をしているから生傷が絶えない。
特に背中の傷は、ルークに恩を売るための必要経費だったとはいえ、男性が女性に劣情を抱くにあたっては懸念事項になり得た。
その懸念も、初めて彼の家に泊まった時に払拭された。
女性経験があると思っていたが、驚いたことに彼は童貞だという。
この時点で、私は警戒心を持つべきだった。あるいは、その時から私はもう彼から逃げられない運命だったのかもしれない。
服を脱ぐ私を、ルークは血走った目で見ていた。
粗暴な男から何度か向けられたことのある類の視線だったが、彼の粘着質な欲を孕んだ目はこれまで経験した他の誰よりもねっとりとした湿り気のようなものを帯びていた。
……認めよう。
私は、この時ばかりは浮かれていた。
これまで子供のような体型を揶揄われてきたから、ルークのように露骨に舐め回して落胆の気配を見せない姿に優越感と興奮を覚えた。
初めての経験だった。
体型について熱烈な賛辞と共に愛撫を受けるのも、誰かの体温を身近に感じたのも。
想像していたよりも百倍、多幸感と酩酊を味わいながら身体を重ねた。
『ルーク、愛しているよ』
釣り上げるための、都合のいい言葉を口から捻り出すたびに、喉から溢れ出た音に私の知らない音色が混じり始めた。
罪悪感。あるいは自己嫌悪。
私に愛を囁くルークが、あまりにも哀れで仕方なかった。
まるで、鏡写しの自分を見ているようだった。
ルークの指が頰を撫でるたびに、これまで息を止めて作っていたはずの『紅潮した頰』が、予期しないタイミングで自然に頰が染まる。
抱きしめられるたびに、慣れない温もりに背筋を悪寒が這う。
彼の吐息が、声が、目線が、私を根幹から揺るがしてきた。
ルークに贈る品物を、いつのまにか吟味する自分の姿がそこにあった。
私は彼を愛しているのだろうか?
利用するために近づいて、身体で繋ぎ止めているというのに、これが愛だというのだろうか?
目的を忘れたことは一度もない。
目を閉じれば、これまで食料として狩ってきた人間たちの怨念に満ちた声と顔を思い出せる。
『アイテムボックス』には“消えても問題にならない人間”で満ちている。
この胸に蟠った筆舌に尽くし難い思いは一時の気の迷いだ。近くにいたから憐憫の情が沸いただけ。
その証拠に、私は勇者一行に選ばれたその日の晩にとある計画を立てた。
同じく勇者一行に選ばれた恋人ルークを利用して、勇者アベルの地位を貶めて“勇者神話”を根底から破壊する。
高潔かつ実力者であるべき勇者アベルの名声を泥沼の三角関係という醜聞で失墜させることができれば、ラザールが王国へ出兵した際に多くの領地を獲得することができる。
そうなれば、母ローラに下賜される血の量が増えて上位に進化できる。それだけが、私が母のためにできる唯一のことだ。
冷静に計画を立て、慎重に行動した。
ルークとの関係を維持しながら、秘密裏に勇者アベルに近づいて信頼を獲得。アベルは純朴な青年で、他人の悪意を知らない子供だった。その耳元に甘い言葉を囁きかけ、特権を教え込み、さりげなくルークに対する劣等感を刺激した。
ここまでは、想定通りだった。
本来の計画ならば、聖騎士と聖女が加入してから事を起こすつもりだった。
というのも、教会育ちの人間は“爛れた関係”というのを激しく嫌悪する。血が汚れるだの、お家騒動だの、そういった歴史的背景と道徳観念を強く有しているのだ。
信頼していた気のいいメンバーが、勇者と魔術師の二人と肉体関係にあったと知れば、反感を強く買うのは必須。特に女性は“ふしだらな女”に対して決していい感情を抱かない。
聖女にルークと恋人関係である事を明かしてから、アベルとの情事を見せつける算段だった。
それを、アベル本人に妨害された。
アベルはあろうことか、ダンジョンからとれた秘宝【毒薬に満ちた小瓶】を食事に盛ったのだ。
気分転換に役割を交代しようとアベルが言い出した時点で、不信感を抱くべきだった。
毒を摂取したルークが地面にのたうちまわる姿を見て、私は激しく動揺した。
寸前で叫びかけた喉を締めることができたのは、彼の胸元に輝く秘宝【健やかなる太陽】が見えたからだ。金色に輝く太陽のネックレスを見た瞬間、私の脳内で打開案が構築される。
秘宝の毒には、秘宝で対抗するしかない。
先人の冒険者が語ったように、秘宝はあらゆる魔術やスキルを凌駕して効果を発揮する。
秘宝による致命的な毒も、秘宝ならば対抗できる。
ルークがここで死んでしまえば、アベルは完全犯罪を成し遂げてしまう。
しかし、共犯である私が自白すれば、よりアベルの地位を失墜させられる。社交界というものは、陰謀と隠蔽を噂するのが好きなのだ。
仮に生きていたとしても、それはそれでアベルを追い詰めるための手駒として利用できる。
どう転んでも、私にとっては美味い展開だった。
だから、勝ち誇る愚者の胸に擦り寄って甘んじて下手くそな接吻を受けながら、その頭脳を褒め称えた。
その言葉は、笑ってしまうほどにすらすらと口から出た。
息を止めて頰を紅潮させる演技も自画自賛してしまうほどに上手だった。
二ヶ月。
ルークをダンジョンの奥底に取り残してから、もう二ヶ月が過ぎた。
仲間とはぐれてもダンジョンを脱出するためのノウハウは叩き込んだので、そう簡単に死んだとは思えないが、それにしたって遅すぎる。
不安に苛まれた私が自白するかどうか迷っていた時、国王からの呼び出しを受けた。
それを聞いた瞬間、私はすぐにピンと来た。
ルークだ。彼は生きていたのだ。
安堵に胸を撫で下ろしながら、玉座の間にいれば、思った通り彼がそこにいた。
青い髪、物憂げな表情に胸元を握りしめていた。
私があのネックレスを贈ってから、彼はほぼ毎日のように身につけ、すっかりと癖になっている。
想定外はあったが、全ては順調だった。
ただ一つだけ、誤算があった。
ルークが私を庇おうとしたこと。
これは、完全に計画にない行動だった。
社会通念上、恋人に裏切られた男性というものは、女性に対して憎悪に近い感情を抱くはずだ。
それが、彼の目や表情にそれらしきものを感じなかった。
この二ヶ月、忘れていたはずの罪悪感と自己嫌悪と憐憫が喉元に迫り上がる。
思えば、私はルークを見捨てる時に捨て台詞を吐く事を忘れていた。彼を貶める発言をしていれば、あらん限りの憎悪を叩きつけていたはずだ。
一拍遅れてやってきたのは恐怖。
私を見つめるその目に、何か得体の知れないものがあったような気がした。
想定外の事態に気を弱くしているだけだと自分を強引に納得させ、勇者への言及から逃れたい国王と枢機卿を誘導してその場を強引に捻じ伏せた。
その日の晩、不安に爪を齧るアベルに私は囁いた。
「アベル、私に任せて。あなたが疑われないようにしてあげる」
事前に手を回して買収した新聞社に情報をリークし、死体を捏造して容疑がアベルに向かうように仕向けた。
捜査員に紛れて牢屋から去る時、項垂れたルークの姿が目に入った。
ーーそんな性悪女なんてさっさと忘れて、あなたに惚れている女性に振り向いてあげることね。
取り留めもないことを考えながら、私は彼に背中を向けて立ち去った。
工作は、笑ってしまうほどに上手く行った。
枢機卿のサミュエルがたまたまアベルから秘宝を取り上げていたのだが、世論はフィオナの毒殺は教会の指示によるものだと決めつけにかかっていた。
国王の名声も傷がつき、シグルドを後継に選ぶ声が高まっている。元々、国王はあまりいい評判がなかった。今回の件が引き金となって近いうちに内戦が起きるだろう。
もう十分だと判断した私は、ダンジョンで得た秘宝や回復ポーションを手に一度ラザールの元へ戻る決断を下した。
これだけの手柄があれば、母は間違いなく進化できる。
進化すれば、それだけ存在は強固になって精神が安定する。
逸る私の心を叩き折るように、空から降ってきた人影があった。
青い髪を風に靡かせて、ルークは静かに立っていた。
混乱しながら、私は必死に考えた。
仲間に引き入れるか? 命乞いするか?
そのどれもを私は却下する。
ルークは金に対する執着はないし、ここまで追ってきている時点で彼の目的は一目瞭然。
アベルを圧倒したその実力で、彼は私に復讐するつもりなのだ。
ならば、私に出来ることはただ一つだけ。
差し違えてでも、殺す。
二ヶ月前から、こうなる運命だったのだ………………
という、私の悲壮な決意は他ならぬルークの手で踏み躙られた。
まるで、意味が分からなかった。
頭がおかしくなったのかと思った。
恋人として振る舞っていた時と同じ熱量、いやそれ以上のどろけた甘い言葉を吐くルークはどう見ても正気じゃなかった。
魔術もスキルも不可思議な魔術で封じられ、全身を撫で回されながら……直接的な表現で身体を性的に褒められた時にはもう考える気力をぞりぞりと削られていた。
それからは、もうなし崩し。
どうにでもなれとルークをラザールの元へ連れて行き、瞬殺する横顔を見て、私はひしひしと嫌な予感に襲われていた。
なんというか、ゴブリンの群れに追い立てられた時のような焦燥感が尽きなかった。
ーーゆるして。
誰に懺悔するわけでも、救いを求めるわけでもないけれど、私は心の底から湧いてきた四文字を声に出したかった。
嫌な予感は、その日のうちに的中した。
魔力譲渡。
彼が謝礼として要求してきたのは、とてもシンプルで私でも払えるものだった。
何度か魔力を渡してきたことがあったから、油断していた。
一時間経っても彼の魔力を満たせた気配がしない。
暇を持て余した彼の悪戯に精神を削られながら、上位魔術師五人分はゆうに超える魔力を渡し続けて一時間。
雀の涙ほどしか残っていなかった魔力すら吸い取られた私はパタリと意識を手放した。
もちろん、冒険者がそれだけで死ねるはずもない。
身体を構成する魔素は、素早く魔力を生み出して気絶から回復する。
目が覚めた私が目にしたものは、至近距離で目を閉じているルークの姿だった。
温厚そうな、異性に持て囃される垂れ目がちな目は静かに閉じている。
穏やかな寝息を立てながら、彼は安らかに眠っていた。
初めて彼の家に泊まった日も、こうして狭いベッドに二人で横になって眠っていた。
なんとなく別々で眠る気が起きなくて、肌寒さを誤魔化すためにと足を絡めながら目を閉じた記憶が蘇る。
それを、苦々しい思いでねじ伏せながら私は寝返りをうって天井を見上げた。
周囲には魔物除けの結界、音声結界、純粋な物理結界が張られている。
行方を眩ませるのは無理そうだと判断した。
……もとより、ここ以外に行く宛てなどないのだけど。
私の胸中など知らず、ルークは幸せそうにすやすやと眠っている。
その右手の甲に浮かんだ【魔王の兆し】は、相変わらず禍々しい。
何故、【悪と混沌の神】はルークを魔王候補の一人として認めたのか。
考えても答えは出ない。
しかし、分かっていることはある。
ルークはもう魔族なのだ。
姿形こそ聖族に区分されている人と変わらないが、その本質は人狼のリーダーであるリカルドが忠誠を誓うほどに魔族。
この地を支配できるだけの実力と、古代魔法、さらには莫大な魔力量がある。
魔王候補どころか、本当に魔王になってしまうかもしれない。
そう考えると、何故か鳥肌が止まらなかった。
なにか、取り返しのつかないことをしてしまった時のような嫌な予感が絶えず私を襲う。
それは、私に『愛している』と囁くルークの目を正面から見てしまった時と同じような感覚でーー
「ん……、もう朝か」
寝起き特有の掠れた声に私は慌てて目を閉じて狸寝入り。
気怠げな欠伸と髪をかきあげる指の感触、それから私の額に彼の唇が押し当てられる。
そこまでされて狸寝入りを続けるのも不審なので、私は今し方目を覚ましたかのように振る舞う。
「おはよう、フィオナ」
目を開ければ、ルークが砂糖を溶かしたような甘い笑顔を浮かべながら私の頭を優しく撫でる。
反射的に目を細めながら、私はひたすらこれからどうするべきか考えるのだった。




