第二十二話 魔王の兆し
この小説は健全です。紳士向けです。くれぐれも誤解のないよう……!
二度目の『洗脳』は負担が大きかったらしい。
ローラは血を摂取しても回復する様子を見せず、しばらく屋敷の中にあった棺で休むことになった。
「じゃあ、アタシはしばらく休むわ……」
屋敷のなかにあった棺の扉をフィオナが閉める。
聖族かつ人間である俺からすれば、死の象徴である棺の中で眠るなんて落ち着けなさそうだと思うのだが、吸血鬼にとってはこれ以上ない寝具らしい。
吸血鬼は三日ほどの長い眠りについている間、日光で傷ついた身体を修復したり、進化に備えたりする。
ラザールの血を小瓶二つ分ほど与えたので、恐らくローラもそろそろ進化して上位吸血鬼になるだろう。
部屋を出たフィオナがほっと胸を撫で下ろす。
「母さんが生き返って、本当に良かった」
そう言って目元を押さえたフィオナ。泣いていたのは一瞬で、すぐに顔をあげた。
「ごめん、謝礼がまだだったね。古代魔法で消費した魔力に釣り合うか分からないけれど……」
フィオナの言う通り、古代魔法というものは魔力の消費がとんでもない。
おまけに先ほど余分に使用したので魔力はすっからかんだ。
『魔素循環』で回復しているとはいえ、全回復まで時間がかかりそうだ。
どうも二ヶ月前に比べて体内に保有しておける魔力の量が格段に増えたようだ。正確に測っていないからなんとも言えないが。
「この近くにある鉱山から採れたオリハルコンのインゴット、金塊十キログラム、それと金貨十枚で足りるかな」
ぽんぽんと『アイテムボックス』から貴重な品々を取り出していくフィオナ。
その手を俺はやんわりと降ろさせる。
「これじゃあ、足りなかった? 三日ほど待ってくれたら、近くのダンジョンで秘宝でも取ってこようか?」
「いや、金には困っていないんだ。それより実はフィオナにしか頼めないことがあってな……」
「私にしか、頼めないこと?」
俺を見上げていたフィオナの瞳がゆらゆらと不安そうに揺れている。
「私で良ければ、力になるけど……」
散々、昨日『フィオナを愛している』と言っているのに、彼女はそのことを利用する気配はない。
多分、頭から抜けているのだろう。そこが謙虚と言うか、可愛いと言うか、さて、どうやって伝えたものか。
「それは、だな……あ〜、明日になったら伝えるよ」
流石に今日は色々なことが起こり過ぎた。いきなりフィオナに要求を突きつけるのは酷かもしれない。
俺は、日を改めてから謝礼を要求しようと結論づけた。
その時、異変が起きる。
「まあ、今はそれよりも今日の宿をーーイデッ!?」
「ど、どうしたの?」
右手の甲に鋭い痛みが走る。
肉が焦げるような不快な匂いに俺が顔をしかめていると、フィオナが驚いた顔で俺の右手をそっと持ち上げた。
「……信じられない。これ、【魔王の兆し】だ」
右手の甲には、禍々しいほどに黒い痣が浮き出ていた。
黒い三日月のような形をしている。
魔力的なものを感じないが、いきなりこんなものが現れるなんて明らかにおかしい。
フィオナの言う【魔王の兆し】も気になる。
「【魔王の兆し】って、なにそれ?」
「ラザールを倒したから譲渡された? いや、でもラザールはまだ死んでいないはず……」
「フィオナ?」
その時、俺たちの耳に屋敷の外から叫び声が聞こえてきた。
何事かと顔を見合わせてから屋敷の外に出る。
門の前には、およそ二十匹の人狼が遠吠えをしていた。
「ワオオオォォォォン!」
「グルオオオオォォォォンッ!」
なんだこいつら、と俺が困惑しているとフィオナがこっそりと耳打ちしてきた。
「ラザールの側近だった人狼族。これはたぶん、ラザールに向けた弔いの遠吠えかな」
「魔族にも仕えていた主君に向けてそういうことをするんだな。戦闘になりそうだな」
「……まあ、しばらくすれば分かるよ」
俺は何か含みを持たせたフィオナの言い方に疑問を覚えたが、質問しようと口を開くよりも先に遠吠えが止む方が先だった。
人狼のなかでも大柄な個体が一つ。鼻から眉間、それから額まで真っ白な線を引いた狼が俺から数歩離れたところで傅く。
「我らが主、ラザールが崩御なされました。つきましては、彼に引導を渡した貴方様こそがこの領地を治める偉大なるリーダーであります」
「……えっ、俺が!? 今しがた、ラザールを再起不能にしたばかりで、君たちにとっては仇なんじゃないのか?」
「左様でございます。そのお姿こそ聖族の人間であらせられるようでありますが、その身体に秘めた魔力はこの領地にある魔族の誰よりもお強い。我らは力ある者に首を垂れ忠誠を誓う一族。ラザールを倒したのであれば、それだけで仕えるに足ります」
つまり、コイツらは強ければなんでもいいという考えなのか。
魔族らしいと言うか、本当に異文化としか思えないな。
「それに、貴方様の右手の甲に浮かんだそれは、まさしく【魔王の兆し】。なれば、我々が忠誠を誓わない理由はございません」
リカルドの視線の先、俺の右手の甲に浮かんだ黒あざを指さしていた。
どうやらフィオナの言う通り、これは【魔王の兆し】らしい。
そういえば、ラザールは魔王候補の一人とも言われていた。もしや、これが魔王候補の証なのか?
「申し遅れました。我が名はリカルド。なんなりとご命令ください」
「そ、そうか……俺は、ルークだ」
「ルーク様! なんなりとご命令ください!」
「命令? 命令か、うーむ……」
リカルドと名乗った人狼はキラキラとした目で俺を見つめている。
その後ろにいる他の人狼たちもまた、尻尾をぶんぶんと振りながら忠実に俺の命令を待っていた。
ここで命令しないというのも却って悪い気がしてきた。
とはいえ、迂闊に命令して損害を出したら恨まれそうだ。
「よし、決めたぞ。君たちは拠点に戻って訓練!」
「なっ、なんとっ! ……訓練、でございますか?」
俺はリカルドたちが持っていた武器や防具を指さす。
どれも大小の違いはあれど、傷を負っていて戦の帰りだということが伺える。
「戦いで得た教訓や損失を次に活かすには時間が要る。そうだろう?」
「なるほど。次の戦いがあると仰るのですね。かしこまりました。一週間以内には、新兵を鍛え上げてご期待に添えて見せます!」
素早く一礼したリカルドは風を残してその場を立ち去る。部下たちも慌てた様子で駆け出していった。
ひとまず問題を先送りにした俺は、フィオナの手を引っ張った。
「フィオナ、【魔王の兆し】ってなんだ?」
「私も詳しくは知らないんだけど、魔王候補に選ばれた魔族だけが授かる印みたいなものらしいよ。ラザールもうなじに持っていたの」
「そんなものがなんで俺に?」
「ごめん。そこまでは私も分からない……ラザールを倒したから、かな?」
試しに手の甲をゴシゴシと擦ってみたが落ちる気配はなく、回復魔術を掛けても消えない。
どういうわけか、俺は魔王候補に選ばれてしまったらしい。
これは困ったことになった。
アベルはまだ勇者として完全に覚醒したわけではないが、いずれ力を蓄えて天使の導きを得るだろう。
そうなれば、どこへ姿を眩ませてもアイツは必ず追ってくる。
それに、他の魔王候補とやらも黙ってはいないだろう。
俺はフィオナを手に入れたいだけなのに、どうしてこうも課題が降り注いでくるのか……。
苦虫を噛み潰した思いで俺が歯軋りをしていると、天啓が降りてきた。
「はっ!? 閃いた!!」
魔王になってしまうのもアリなのでは?
権力と金に物を言わせてフィオナを文字通り囲ってしまえばいい。
幸いにも俺は勇者一行から追放されているし、王国に戻ったとしてもアベルとの関係は修復不可能な域にまで拗れている。それはフィオナも同じだ。
利害の一致、という体であればフィオナを平和的に囲い込める。
「……ルーク? なんで笑ってるの? ちょっと怖いよ……?」
「はははっ、ちょっとこれからのことについて考えていただけだ。フィオナ、落ち着ける場所でこれからのことについて相談したいんだ。いい場所を知らないか?」
「いい場所かどうかは分からないけど、昔に私が使っていた小屋ならあるけど……」
「じゃあ、そこに行こうか」
満面の笑みを浮かべる俺に対して、フィオナは何故か焦った表情をしながら冷や汗を流していた。
◇ ◆ ◇ ◆
フィオナが使っていたという小屋は雨風を凌ぐ為に建てられた物置小屋と表現するのが適切だった。
長い間、使われる機会を失った農具はすっかり錆びている。
「ごめんね、何もなくって。椅子に座ってて」
フィオナが『アイテムボックス』から野営用の椅子や食器を取り出して湯を沸かす。
慣れた手つきでお茶を作って、俺に渡してきた。
俺は受け取った茶に対して、反射的に『ディテクトポイズン』を使用してしまった。
「あ……ごめーー」
「無意識に使っていた。気を悪くさせてしまったなら謝る」
なんとも気まずい雰囲気になってしまった。
毒の入っていないお茶を啜った俺の向かいで、同じく椅子に腰掛けたフィオナがお茶を飲む。
どうやって切り出そうか考えていると、フィオナが口を開いた。
「変なことに巻き込んじゃったね。その……私ていどがどれほど力になれるか分からないけど、頑張ってなんとかするから」
真摯的な眼差しでフィオナが俺の顔をじっと見つめる。
恐らくは、裏切った俺に対する罪悪感とかラザールを殺させた事に対する責任感から発した言葉なのだろう。
その表情は、初めて会った時を彷彿とさせた。
『大丈夫だよ、ルーク。これは君の所為じゃない。ダンジョンの危険性を言葉だけで説明できると己を過信した私の所為だ。だから、君は振り返らずにダンジョンの外へ走るんだ。いいね?』
俺がフィオナの忠告を無視して罠を踏んだ挙句、俺を庇った彼女の背中に消えない傷をつけてしまった。
……やっぱり、フィオナと過ごした日々が全て嘘偽りだったとは思えないな。
俺はズキリと痛む頭を振って、軋む小さなテーブルの上に茶を置く。
「フィオナ、俺はラザールが支配していた土地を支配しようと思う」
「ルーク……それは、もしかして私の為?」
「フィオナの為でもあるし、俺の為でもある。王国内の俺の立ち位置はかなりまずい事になっているしな。アベルも今頃は俺を恨んでいるだろうな。フィオナのことはまだ誰も知らないが、いつアベルが気づくか……」
フィオナは俺の話を聞いて深く俯いた。
唇を噛み締めて肩を震わせる、そのいじらしい姿を見ていると背中にゾクゾクとしたものが這い上がってくる。
支配欲というか、嗜虐心だ。
俺の恋人を演じていた時のフィオナはいつも元気はつらつで、小悪魔のように俺をからかっては、最後に甘い言葉と微笑みを向けてくれていた。
どうも昨日の泣き姿を見てからは、一段と己の中にあったフィオナに対する執着心が増したように思える。
ばらばらと化けの皮が剥がれていく自覚があった。
人の心の弱みにつけこむのは最低の行為だが、俺はたとえどんな手段を使ってでもフィオナの側にいたい。
生唾を飲み込んで、俺は笑顔を浮かべる。
「というわけで、フィオナに頼みたいことがあるんだ」
「私に、頼みたいこと? 私にできることなら、遠慮なく言って欲しいな」
全くもって嬉しいことを言ってくれる。
それなら遠慮なく謝礼を頂こうじゃないか。
「そうか! そうか! そう言ってくれると助かるよ!!」
「……な、何をさせるの? 参考までに聞きたいなあ、なんて」
「なに、ちょ〜〜っと魔力を貰うだけさ。昨日、『魔素循環』を教えただろう? フィオナにはそれで魔力を作ってもらって、俺が魔力を『ドレインタッチ』で吸い取るだけだ」
「それぐらいなら、少し時間はかかるけど私でも出来そうね」
フィオナは露骨にホッとした顔をした。
それを俺はニコニコと眺めていた。
◇ ◆ ◇ ◆
俺の膝の間に座ったフィオナが掌で己の口を押さえている。
完全に背中を預けている体勢なので、彼女の早鐘を打つ心臓の鼓動と高くなった体温が服越しでも伝わってきた。
フィオナの身体は全体的に細く、俺よりも背が低いので背後から抱きつくとすっぽりと覆えてしまう。
それだけならば華奢な女の子なのだが、彼女の腹に当てた指先からは柔らかな皮膚の感触と生命を維持するための脂肪の他にしっかりと六つに割れた腹筋の存在が伝わってきた。
「ほら、フィオナ。魔力の生産ペースが落ちてるぞ?」
「〜〜〜〜〜ッ!?」
フィオナの腹に当てている指先にぐりぐりと力を込めて押せば、彼女は言葉にならない悲鳴をあげながら肩を跳ねさせた。
なんてことはない。
ただ腹に触れさせた右手の指で『ドレインタッチ』という魔力を吸い出す魔術を使っているだけだ。ちょっと耳元で囁いたり息を吹きかけるだけで反応するフィオナが面白い。
そんな風に揶揄うこと一時間。
演出した雰囲気にフィオナが流され始めたのだ。
今やフィオナは顔だけでなく首まで赤く染め、顎からぽたぽたと大粒の汗を太腿に落としている。
空いた左手でその汗を太腿に塗りたくる。女性特有の柔らかさの裏に強靭な脚力を生み出す筋肉が存在している。何度触っても感嘆してしまうほどに素晴らしい。何時間でも触っていられる。
ついにフィオナが荒く息を吐いた。
「これの、何処が、『魔力を貰うだけ』なのよーーひゃっ!?」
フィオナの抗議を俺は耳に息を吹きかけることで黙殺する。
うっすらと瞳に涙の膜が張っているが、残念ながら俺の魔力は三割程度しか回復していない。
『魔素循環』を切っているから、今はフィオナから貰う魔力だけが回復手段だ。
……余談なのだが『ドレインタッチ』を使う魔術師は少ない。
というのも、仮に魔力を2消費して使用した場合、『ドレインタッチ』は相手から3の魔力を奪い取って1しか回復しないのだ。
魔力の回復手段として運用するにはあまりにも心許ないので、魔術学園では習得カリキュラムから外すべきという声も出ている。
「も、もぉ、むりぃ……しぬ、しんじゃうぅぅ……」
「大丈夫だよ、フィオナ。そのぐらいじゃ冒険者は死なないし、万が一死んでも生き返らせてあげるから。ほら、頑張って魔力回路を活性化させて魔素を取り入れて?」
「ひ、ひぅ……」
フィオナの体内にある魔力を『ドレインタッチ』で吸い取ると彼女はあられもない声をあげながら俺の腕に縋り付いた。
もう腕を握る力すらないようだ。可愛い。
「フィオナはココをぐりぐりされるの好きだもんな?」
「好きじゃな、ひっ!? もう息、吹きかけるの禁止!!」
「こうした方が魔力回路が活性化するから、仕方ない、仕方ない」
「ひにゃあああああっ!?!?」
長めに息を吹きかけながら『ドレインタッチ』で魔力をさらに吸い取ると、フィオナは身体をビクビクと震わせた後に脱力した。
がくんと倒れた細い身体を咄嗟に抱いて支える。
どうやら魔力を吸い過ぎて気絶してしまったらしい。
「あ〜〜可愛かった。これからはフィオナに魔力を補充してもらおっと」
俺は気絶したフィオナに頬擦りをしながら、どうやって魔力を大量に消費するか考え始めたのだった。
囲われていくフィオナちゃんかわいそう。これが僕の考えた『無自覚ざまあ』です




