第十八話 勇者アベルの失墜
フェアフィールド伯爵家が所有する別荘の一つ。
周囲を街に囲まれた屋敷の中で、一人の男が苦悶の呻き声をあげていた。
身体からは絶えず煙が生まれては、皮膚が焼け、その都度再生する。
「う、ぐ、あああっ……クソッ、ルークの奴め……こんな魔術を、どこで……クソオオオォォォォッ!!」
窓を閉め切った部屋の中で、アベルがのたうちまわる。
怪我をしないようにマットレスを床に敷き、自害防止のためにあらゆる鋭利なものは排除されている。
さらには、傍に聖騎士のエドワードが控えている。
かつて憧れた勇者の憔悴していく様子は、彼の背中を追いかけていたエドワードにとって何よりも辛いものであった。
口から漏れ聞こえる言葉は魔術師ルークに対する暴言か、あるいは意味のない汚い言葉だ。
絶えず肌を焼かれては再生させられ、満足に睡眠を取ることも出来ずに喘ぎ苦しむ毎日。
肌が焼けるスピードが落ち、聖女の祈りで一時間程度ならば剣を振れるほどにまで持ち直せたが、それでも本調子からは程遠い。
夕暮れになり、アベルを発狂させないために無理やり薬を飲ませて眠らせた頃。
同じくアベルの様子を見に来た聖女サテラが囁く。
柔らかな金髪に白い聖女服を着た可愛らしい少女だ。
「ねえ、聞いた? 魔王領への出兵が決まったらしいよ」
教会の定めた戒律を守り、何年も修行を経た末に試練を突破することで神の寵愛を授かる神聖な存在、聖女。
そのなかでもサテラは歴代最高峰とも言われるほどに癒やしの力に優れている。
包容力のある微笑に女性らしい丸みを帯びた身体と清らかさの象徴である聖女服を彩る金髪は万民の視線を捉えては離さない。
通常時ならば見惚れるエドワードだったが、この時ばかりはそんな気分になれず、また生来の生真面目さから女性をマジマジと見つめることも出来ない彼はそっと視線をアベルに向けた。
「……相変わらず、貴族どもは国難すらも政治闘争に貶めるか。帝国の内政干渉すら防げない屑の分際で」
エドワードは思わず愚痴を吐く。
フェアフィールド伯爵家に生まれ、三男でありながら勇者一行に選ばれるほどの戦闘技術を持つ彼であるが、『文武両道』を唱える父の意向で度々、社交界に顔を出すことがあった。
人間至上主義を掲げる聖教会を国宗教と抱え込んでいることで、王室は安定した支持層を獲得している。
聖族のなかでも人間を優遇する政策を打ち出すことで政治を円滑に進めているが、国力で比べれば帝国に大きく劣る。
南部の亜人奴隷が表沙汰となれば、帝国との戦争は免れられない。
それどころか、魔王領と手を組んで二対一になる可能性だってある。
フェアフィールド伯爵家は亜人奴隷反対派であるが、王国内の貴族では伝統ある亜人奴隷の所有は特権階級の証とする考え方が根強く残っている。
伝統と歴史に固執する輩がどれほど厄介なのかはエドワード自身がよく知っている。
交渉の席に持っていく事すら難しいのだ。代替案を出して、それがいかに奴隷を運用するよりも効率的であったとしても、固執した人間の価値観は時として利益を無視する。
『奴隷を所有している』というステータスはそれだけ貴族にとって何物にも変えがたいものなのだ。
「アベルがこんな状況で、魔王のことだってまだよく分かっていないのに、魔王領に兵を出して大丈夫なのかな……?」
サテラが柔らかな胸の前で両手を組む。
心根が優しい彼女のことだ、これから徴兵されて魔王領へ派遣される民草のことを思って、彼らの無事を神に祈っているのだろう。
「ーーどのみち、王家も教会も後には退けない。この魔王領への出兵が、この国の存続を左右するだろうな」
勇者アベルの引き起こした騒動は、もはや王家の権力を持ってしても隠蔽できないほどに国内に広まってしまった。帝国の上層部もアベルの失態は知っているだろう。
魔王領で魔素に富んだ素材や魔物を入手出来なければ、王家は帝国の干渉を防ぐことも、国内に威光を示すことも出来ない。
「“魔術師連盟”の協力もないんだよ……?」
サテラの言葉にエドワードは唇を噛む。
ルークの追放に異議を唱えた魔術学園の母体である魔術師連盟が、王家への協力と忠誠を拒んでしまったのだ。
彼らの張った結界は頑丈で、一週間近く経った今でも解ける気配はない。
国王が自ら出向いて交渉したようだが、決裂したらしいと噂になっている。
「いずれにせよ、今の我々には関係のないことだ。アベルの容態はーールーク殿の話が正しければだがーー回復までに二週間は掛かる。出兵には間に合わない」
「そう、だね。アベルには魔王を倒してもらわないといけないんだもんね」
サテラの目が、死んだように眠るアベルを見下ろす。
赤い髪に大胆不敵な三白眼の青年に向けていた憧憬は消え、ただ冷淡に職務をこなす聖女の表情をしていた。
サテラがアベルにどんな感情を抱いていたのか、エドワードは知る由もないが……同性のフィオナと仲が良く、歳が近いことでアベルと親しくしていた彼女にしか分からない感情があるのだろう。
それを押し殺し、周囲の反対を押し切って聖女として勇者一行に所属し続けると決めた彼女をエドワードは尊敬していた。
「この場は私に任せて、サテラさんは早く休むと良い。明日も早いのだろう?」
「ありがとう、エドワードさん。そうさせてもらうわ」
物憂げな表情で髪をかきあげたサテラは、静かにため息を吐くと部屋を退出した。
その背中を見送ってから、エドワードはアベルに視線を戻す。
今や、アベルの名声は地に落ちた。
しかし、それでも貴族にとってまだ利用価値はある。
それは教会にとっても同じことで、もしまたエドワードが目を離せば、彼は容易く甘言に載せられるだろう。その結果が、災厄であったとしたなら……。
そうなれば、今度こそアベルは死ぬ。
いくら勇者であろうとも、どれほど実力があろうとも社会は彼の生存を許さないだろう。
『このエドワード・フェアフィールドの名にかけて、ルーク様の寛大な御心を踏み躙るようなことは致しません。常にアベルの動向に目を光らせ、蛮行を未然に防ぐことをここに誓います』
アベルに不可思議な魔法を掛けた魔術師に首を垂れ、膝をついて傅いたのは、全て人類の希望である勇者を生かす為だった。
仲間であるアベルを守りたいとも思っていた。たとえ、その本性がどれほど醜悪なものだったとしても。
正当防衛と称して殺されても文句は言えない状況だった。
裏切られ、恋人を殺され、さらには何もかもを揉み消そうとしたアベルと対峙したルークの背中に「殺すな!」と叫んだ責任をエドワードは感じていた。
もし、アベルがまた道を踏み外すようなことがあれば、その時は……。
「………………アベル、頼むから馬鹿な真似はしてくれるな。俺も、人は斬りたくないんだ」
腰の剣を撫でながら、エドワードは苦虫を噛み潰した顔で呻いた。
これで章は一区切りです! ここからは魔王領で厄災するルークをお楽しみください




