第十六話 話し合いを、しよう
ガラネル草原で俺とフィオナは対峙していた。
ノースリーブの白シャツに黒のショートパンツ。だからこそ、弓矢を構える姿をじっくりと眺めることができる。
胸がないから、限界まで弦を引き絞ることができるのだ。
機能美を兼ね備えた完成された肉体美、それが『黄金のAAA』なのだ。
「さあ、魔術師さんはこの矢を防げるかな?」
「何の捻りもない矢では俺に傷一つ付けることは出来ないぞ、フィオナ」
『シュートアロー』を上乗せした威力の高い矢が俺目掛けて一直線に飛んでくる。
俺はその矢の軌道を風魔術『ウィンドシールド』で逸らす。
俺の作戦はシンプルだ。
フィオナが諦めるまで粘る。それだけだ。
幸いにも目の前に本物のフィオナがあるので『魔素循環』はかつてないほどに魔力を生み出し、使った側から回復している。
魔素に富んだS級ダンジョンに引けを取らないほどだ。
「なるほどね、さすがは勇者アベルの暴走を止めただけはあるってトコロかしら。単独でここに来たのも、私を殺せるだけの自信があるってことなんでしょうね」
「俺は君を殺さないし、傷つけるつもりはない」
「はっ、油断させようったってそうはいかないよ!」
フィオナが次弾を装填して、半円を描きながら俺から距離を取る。
風魔術の結界は全方位に張っているわけじゃないから、背後から矢を放てば攻撃できると思っているんだろう。
フィオナは賢いなあ。
「『チャージショット』『フレイムエンチャント』」
フィオナの構えた矢が淡い光を纏ったかと思えば、魔素の炎に包まれる。
なるほど、俺の『カルメルタザイト』対策に炎を噛ませる算段か。
馬鹿正直に攻撃していたアベルとは大違いだな。
流石にスキル二つを噛ませた矢を風魔術だけで防ぐのは難しい。
『竜鱗』を発動させ、フィオナの戦意を削ぐ為に『ウィンドブラスト』を放つ。
「無詠唱。やっぱりあのダンジョンで何らかの秘宝、多分だけど魔術に関するものを手に入れたのね、ルーク。可能性があるとしたら、二重ダンジョンーーまったく厄介な話」
最小の動きで俺の魔術を回避したフィオナは、鋭く舌打ちをすると弓矢を『アイテムボックス』にしまうと短剣を取り出す。
その刃には、べっとりと【麻痺毒の花束】の蜜が塗りつけられている。
短剣を構えながら、フィオナがふっと笑う。その目つきは鋭く、さながら肉食獣を彷彿とさせた。
「その余裕顔、どこまで保つかしら?」
「君が諦めるまでだ」
「…………」
フィオナの顔から笑みが消える。
普段からフィオナは笑顔を浮かべていることが多い。どんな時も、よくよく注視すれば口角が上がっているのだ。
だからこそ、無表情になった時と普段との落差が凄い。
慣れていないと迫力に気圧される。
「ああ、そう。私の体力と魔力さえ尽きれば、どうとでもなると思ってるのね。それは砂糖菓子よりも甘い考えだよ」
鈴を転がすような少女の声から一転、殺意を上乗せしたような低い声が発せられた。
と、同時にフィオナの姿がブレる。
「『飛翔』ッ!」
とっさに古代魔法『飛翔』を使用して空へ舞い上がる。
その瞬間、俺が立っていた場所を起点に大地が十字にえぐれ、衝撃波が周囲を襲う。
間一髪だった。
「それは『絶影十字斬』という、剣術系のスキルでも奥義に分類されるヤツだな。その使い手は限られるという話だったが……」
俺の呟きにフィオナは答えない。
この半年、勇者一行として各地のダンジョンを巡っては強力な魔物と戦った。
危機に陥ったこともあったし、魔物を相手に敗走したこともある。
最善を尽くしたと思っていたが、どうやらフィオナだけは違っていたらしい。
剣術系のスキルが使えたことなど、彼女は一言も申告しなかった。
魔王の手下なら実力を隠すのは当たり前か。
上空に逃げた俺に向かって、フィオナが短剣を『投げつけ』てきた。
風を切ってシールドにぶつかった短剣は一撃でヒビを入れてきた。
そのヒビを後押しするように、地面を蹴って『跳躍』した彼女が短剣の柄に『回し蹴り』を放つ。
バキンと嫌な音を立ててシールドが砕け、魔素に還っていく結界の破片のなかでフィオナが『踵落とし』の体勢に入るのが見えた。
白くむっちりとしていながらも筋肉に覆われた太腿、その裏側越しに真剣な眼差しをした彼女と視線が交差する。
俺は意識の片隅で『カルメルタザイト』を発動させながら、ついうっかりーーそう、思わずフィオナの太腿に手を伸ばしてしまった。
むにっ。
掌に柔らかな肉を包み込む珠のようにすべすべとした肌の感触と人肌の温もりが伝わる。
「えっ……?」
フィオナの唇が微かに震えて、戸惑った声を出した。
そして、実は俺も戸惑っている。
よくよく考えてみれば、俺は二ヶ月間も禁欲を強いられてきたのだ。
いつもはフィオナに会う前に心を落ち着けたり、自制を心掛けてきた。
色々あったせいで、ちょっと理性が緩んでいたのだ。
そんな状態で、目の前に好きな女が両足をおっ広げていたら触れてしまうのも仕方がない。
白状しよう。
俺は今、興奮している。
太腿ならば耐えられた。しかし、見せつけられたのは太腿の裏側だ。うっすらと発汗した、秘められた場所だ。
太腿の裏側なんて、健全な場所なのに際どいとしか思えないじゃないか。そんな場所を見せつけられて、平常心を保てる男などいない。少なくとも、俺は保てなかった。
これは不幸な事故だった……そういうことには、ならないだろうか。
「……こ、このっ!!」
しかし、流石はフィオナ。
俺に片方の太腿、その膝裏を掴まれても『正拳突き』を放とうとしてきた。
亜音速並みの速度で放たれたフィオナの右の手首を支援魔術『ストレングス』で強化した力で掴む。
左の手首には古代魔法の『束縛』を掛け、魔素の鎖で右の手首と繋げて縛る。
縛ってしまった。どうしよう。
とりあえず、フィオナをそっと地面に下ろした。
「な、な、何を考えてるのよっ!!」
怒られてしまった。
フィオナの目には涙が膜を張っているし、耳まで湯気が出そうなほど赤くなっている。
ただ、声が裏返って震えているので、先ほどあったはずの威厳がなくなっていた。
ここで俺が取るべき行動は一つ。
勝手に太腿に触れてしまったことを謝罪して、手首の拘束を解くのだ。
そう頭では分かっていたけども、
「ちょっと、なにこの魔術!? は、えっ、ちょっとスキルが使えないんだけど!? ……ま、待ちなさいルーク。その手はなに? その顔もやめなさい! ひっ、く、来るなっ!」
俺に太腿を触られて頰を染めたフィオナを見ていたら、どんどん理性が緩んでいく。
「フィオナ、俺は……君と話し合いたいんだ」
「そ、そうね。わ、私も話し合うべきだと思うの。だから、その場で足を止めて、お互いに腹を割って話し合いましょ?」
フィオナは後手に縛られたまま、静かに後ずさる。
「あ、そ、そうだ!! 魔王軍幹部の知り合いにサキュバスがいるって話はしたよね? これを解いてくれたら、その子を紹介してもいいわ。エリザベスっていう名前でとても可愛い顔をしていて、おまけに巨乳なの!! もう、凄いのよ!!!!」
「別に巨乳に興味はないかな」
「……へっ? いや、そんなはずは……そ、そうだ。ダークエルフのお姉さんとかどう? エルフを嫁にしたいって男なら誰もが一度は思うんでしょ? どう?」
「いらない、邪魔だ」
沈黙がお互いの間に横たわる。
半年間、俺はなるべくフィオナを大切に扱ってきた。
嫌われない為に、当たり障りのない言葉で誉めてきた。だが、彼女は何も理解していない。
ーー俺を貧乳好きに目覚めさせておきながら、今更になって巨乳や顔だけの女を勧めてきた。
この蛮行を、許して良いのだろうか?
いや、ダメでしょ。
これはちゃんと俺の気持ちを言葉にして伝えないといけないなあ。
いやあ、困っちゃうじゃないか。
「どうやら、フィオナは俺のことをまだ誤解しているようだな」
「ひえっ」
俺から逃げようとするフィオナ。
魔力で作られた鎖を引っ張れば、彼女はあっさりと俺の胸に飛び込んできた。いや、俺が飛び込ませたんだけどね。
「じゃあ、“話し合い”、しようか?」
「い、嫌でしゅ……」
発言が二転三転させたフィオナは、俺の腕の中でビクリと震えた。
◇ ◆ ◇ ◆
草原を爽やかな風が吹き抜ける。
夕暮れが近くなった青空を、ポチが魔物狩に何度か下降を繰り返していた。
ポチの奴は完全に自由行動だ。
それを眺めながら、俺とフィオナは草の絨毯に腰掛けていた。
正確には、膝を抱えたフィオナの背中に俺が抱きしめている格好だ。
火照った身体に草原の風が気持ちいいな。
「信じられない」
掠れた声でフィオナが呻いた。
それを俺はうんうんと頷きながら聞く。
このやりとりは、もう三回目だ。
「普通、あの状況で興奮する? おかしいでしょ、絶対」
「久しぶりにフィオナにあったら、ついうっかり」
「いや、それがおかしいんだって。敵だよ? 私、魔王側の人間だよ? 君を裏切ったんだよ? ずっと騙してたんだよ?」
フィオナをよしよししていた時、ずっと彼女は『考え直して』とか『私よりもっと良い人がいる!』とか『くっ、殺せ!』とか『ここで私が死んでも計画に狂いはそんなにない!』とか言っていた。
俺の懇切丁寧な説得と愛の言葉を前に最後は『やめて私に愛を囁かないで』なんて言うものだから、これまで俺を騙していた報いとしてひたすらフィオナを褒め称えて撫で回して、話し合いにこじつけたのだ。
「俺はどんなフィオナでも受け入れるよ」
「まるで意味がわからない……」
「だからさ、俺の知らないフィオナの過去を教えてくれないか?」
フィオナは無言で膝の間に顔を埋める。
暇になった俺がフィオナの白いうなじに顔を埋めようとしたら、彼女は観念した様子で口を開いた。
「知ってどうするの? どうせ何も出来ないよ」
「フィオナの話を聞いて、これからどうするか俺も考える。それで本当にどうしようもなかったらーー」
俺はフィオナの細い肩に顎を乗せながら、悪魔の提案をする。
「ーー何もかもぶっ壊して逃げちゃおう」
「逃げるって、何処へ……?」
「海の果て、空の向こう、大陸の隅っこでもいいし、洞窟の奥深くでもいい。なんなら、あの王国を滅ぼして、ついでに帝国も滅ぼしちゃって大きい城でも建てるか?」
「そんなこと、出来るわけが……」
「出来るよ」
お互いにシャツ一枚なので、フィオナの心臓が跳ねたのが分かった。
「今すぐ何もかもめちゃくちゃにしてもいいし、徹底的にやって欲しいなら何個かダンジョンに行って秘宝を手に入れてからでもいい」
フィオナは膝に顔を埋めたまま、何も言わない。
言葉だけでは説得力がないと判断した俺は、空を飛んでいるポチを呼び戻して、『ミニマム』の魔術を解いてやる。
地響きを立てながら着陸したドラゴンのポチが咆哮をあげた。
「あのダンジョンで、俺は古代魔法を手に入れたんだ。魔術の腕もここ半年で上達したし、ドラゴンだって従えた。だから、フィオナ……もう一度、俺を選んでくれないか?」
それでもフィオナは顔をあげない。
「なんで、そこまでするの……」
「好きだから。フィオナ、俺はやっぱり君さえいれば他はどうでもいいみたいだ」
フィオナがやっと顔を上げた。
「なにそれ、意味わかんない。ずっと騙してたのに、なんでそんなこと言うの……私、もうどうしたらいいかわかんない……」
俺は無言でフィオナの頰を撫でる。涙で濡れた頰に思わずぎょっとした。
半年も一緒にいたのに、俺は今日初めて恋人の涙を見た。
泣きじゃくる彼女の背中を、啜り泣きが聞こえなくなっても俺はずっとさすった。
みっともないことに、それまですらすら言えていた言葉が何一つ出てこなかった。
ただ、声を押し殺すような泣き方をするから、胸が痛くてしょうがなかった。
ポチ(…………)




