第十三話 死者蘇生と棺の中
俺は借りていた宿屋の一室で目を覚ます。
王都と違い、S級ダンジョンの近くであるここ『バウミュウゼン』という街は長閑な雰囲気が漂っていた。
ひんやりとした冷水を絞ったタオルで顔や身体を拭いて、いつものように髭を剃って歯を磨く。
外は晴天のピクニック日和だ。
それでも、俺の気分が晴れることはない。
勇者アベルが仲間に毒を盛ったこと。フィオナが死んだこと。アベルが逮捕を嫌って暴れて、それを俺が取り押さえたこと。
それら全てが噂になって、尾鰭や胸鰭までつけてあっという間に広がった。
教会や国王陛下は噂の火消しで忙しく、勇者一行の中で平民である俺は蜂の巣を突いたように沢山の人に囲まれた。
心ない言葉を投げかけられた気もするし、なんの慰めにもならない言葉に曖昧に愛想笑いを浮かべた気もする。
勇者一行から除外された通知書を片手に、王城を辞したことまではぼんやりと記憶にあった。
誰かに「これで君は全てを失ったな」と言われた気もする。あれは王弟のシグルト殿下だったか……
何もかもが、もうどうでもよかった。
とにかく一人になりたい。
そう思った俺は、ふらりと王都を出た。たまたま乗った馬車の行き先が、エミリアと偶然に出会ったこの街だった。
「ほらポチ、肉だぞ」
惰性でポチに食事を与える。
フィオナの為にポチと『従属契約』を結んだのだが、もう彼女はいない。
解放してやろうとこの街に戻ったその日に申し出たのだが、〈もっと愛玩しろ〉と強請られてしまったので契約は継続中だ。
俺は懐から今朝受け取った手紙を取り出す。王弟シグルト殿下から送られた手紙の封を乱雑に切る。
中身は勇者アベルの近況や今後についてだった。
どうやらアベルはフィオナの殺害に関与したことを認めて、サミュエルの指示に従ったと自白したらしい。サミュエルは逮捕され、教会は大騒ぎになっているとか。
エドワードは宣言通り、アベルの監視を引き受けたらしい。魔王が復活する一年半という猶予で出来る限り更生できるように最善を尽くしてくれるという内容が一枚目の便箋だ。
二枚目には、フィオナの葬式について書かれていた。
勇者アベルの熱心な信者による抗議活動や、王都での騒ぎから彼女の葬式は執り行わないことになったそうだ。治安上の観点から、葬式で死者が出る騒ぎになるかもしれないとのこと。
彼女の亡骸は事が沈静化するまで王城で保管されることになった。
「…………」
俺は手紙を『異空間の隠し衣嚢』にしまう。空いたその手で、ネックレスに触れた。
【健やかなる太陽】だけが、フィオナと俺を繋ぐたった一つのものになってしまった。
結局、フィオナはあの時何を考えていたのかも分からないままだ。
恐らくだが、フィオナは俺が生きていたことに驚いた様子はなかった。
だから、このネックレスについても知っていたのだと思う。
ならばどうしてアベルの罪を被るようなことをしたのだろうか。
新聞記者たちが語っていたように『口封じに殺された』のか、あるいは『罪の意識に苛まれて自ら死を選んだ』のか。
状況を見る限り、どちらもあり得てしまうから余計にぐるぐると答えの出ない疑問に頭が支配される。
「……もう、過ぎたことなんだ。前に進まないとな」
そう頭で理解しても、沈んだ心は一向に浮かぶことはない。
もし、あの時フィオナの手を握り返していれば何か変わっただろうか。
もし、あの時冒険者ギルドに行く前に直接アベルの元に向かっていれば彼女は死なずに済んだだろうか。
そんな『タラレバ』を今度は考えてしまう。
俺がぼんやりと湖畔を眺めていると、ポチが魔物を捕まえてきた。
その魔物の売れそうな素材だけを剥ぎ取って、残りをポチにやる。その日の宿代や食事代を稼ぐだけの毎日だ。
血で汚れた手を湖畔で洗っていると、背後から足音が聞こえた。
「ここにいたのか、ルーク殿」
「エミリアか。奇遇だな」
「うむっ!」
森で過ごしていると、エミリアによく出会う。
恐らく、彼女も王都での噂は耳にしているのだろう。それでも他の人と違って何も言わず、いつもと同じように接してくれる。
ぽつぽつと会話をする。
街のどこに新しい店が出来たとか、最近はあの魔物が高く売れるとか、とりとめのない話だ。
俺の隣で地面に座っていたエミリアが立ち上がる。
いつものように彼女が「そろそろ時間だな」と言いかけたその瞬間だった。
「ぐへへ……見つけたぜ、あン時のクソ野郎!」
草むらの茂みから飛び出してきたのは、どこかで見た覚えがあるような気がしなくもない荒くれな冒険者だった。
直近に魔物の返り血でも浴びたのか、皮の鎧はぐっしょりと濡れて色が変わっている。
「エミリア、知り合いか?」
「彼は最近Bランクに上がった冒険者のグレッグだ。一週間前に君に殴りかかった冒険者と言えば伝わるだろうか?」
「ああ、アイツか」
あれからもう一週間経ったのか。いや、まだ一週間と考えるべきなのだろうか。
本当に色々とあったなあ……。
過去に思いを馳せながら、無詠唱でシールドを発動させる。
がきん、とグレッグの剣が弾かれた。
「いきなり斬りかかられる謂れはないんだが」
無礼な冒険者グレッグを俺が睨みつける。
グレッグは皮肉混じりに唇を吊り上げながら、下品な笑い声をあげた。
「今の俺のランクはB、お前と同じだ。あの日の雪辱をここで晴らーー」
煩いので風魔術で吹き飛ばす。
グレッグは情けない声をあげながら、ごろごろと転がって森の奥に消えていった。
腰をあげかけていたエミリアがほうとため息を吐いて座り直す。
「……相変わらず、ルーク殿の魔術は凄いな」
「魔術は万能だが全能じゃない、過信は禁物だ」
感心したように呟くエミリアの横顔にフィオナを重ねてしまう。
思わず、よく彼女に言っていた台詞を口にしてしまった。
「すまない、つい癖で説教くさい返事をしてしまった。気分を損ねたなら謝る」
「いいや、構わないさ。私は魔術に関しては素人だからな……むっ!?」
エミリアが機敏な動作で立ち上がると、腰に下げていた剣を抜いて素早く振った。
『スラッシュ』が木の上から飛んできた魔物を斬りつける。
猿型の魔物で、この辺りでは余り見かけない種類だ。
剣を振り抜いた体勢のまま、エミリアが悲鳴をあげる。
「あ、しまった!」
釣られて空を見上げると、『スラッシュ』の斬撃に巻き込まれてしまった不幸な鳥が地面に墜落した。
あの怪我と高さから落ちては、重症だろう。
「この鳥は、絶滅危惧種に指定されているトキじゃないか! ど、どうしよう!?」
エミリアの焦った声を聞きながら、俺はトキに近づいた。
冒険者は魔物や魔族の狩猟は認められているが、動物の狩猟は認められていない。
殊更、絶滅危惧種に指定されている動物の狩猟は罰金刑が課せられ、前科になるのだ。
不幸な事故とは言え、このまま放っておくのは心が痛む。
ひとまず、上位の回復魔術を使ってみたが発動する気配はない。
どうやら既に事切れているようだ。
ならば次に古代魔法の『修復』を使用して傷口を荒くはあるが塞ぐことにする。生命力を活性化させ治癒力を高める『ヒール』と違い、魔素で補完するというやや乱雑な魔法だ。
身体の傷を塞ぐと同時に、俺はかつて失敗した『死者蘇生』を使用した。
魔力が湯水のように使われ、事切れたトキの身体が跳ねる。
すぐさま『ヒール』で傷を正しく治してやると、トキは白い翼を羽ばたいて湖畔の向こうへ飛び立っていった。
「な、治ったのか!?」
「ああ、なんとかな」
成功するかどうかは分からなかったが、どうやら上手くいったらしい。
幸いにも鋭利な刃物から繰り出された高威力なスキルによるものだったから傷口はそれほど酷くはなかった。迅速に治療する事ができたのだ。
それはとても喜ばしい事なのだけど、俺には一つ気がかりな点が生まれた。
「……エミリア、一つ頼み事をしてもいいだろうか?」
「む? 私に頼みたい事? 私に出来る事なら力になるぞ」
「とある魔法の実験台になってほしい」
エミリアが首を傾げる。
それはそうだ。突然の頼み事に『魔法の実験台になってくれ』と言われて二つ返事で了承する人間はいない。
どうやら俺は気が動転して、説明することすら失念していた。
「すまない。まずは説明が先だったな。実はさっき、トキの治療にとある魔法を使ったんだが、その感触とでもいうべきか、魔力の動き方が前に使った時と違ったんだ」
「なるほど。その魔法とやらはどんなものなんだ? 御伽噺にあるようなものか?」
俺は逡巡した末に、エミリアならば無闇に言いふらさないだろうと判断して打ち明けることにした。
「『死者蘇生』というものだ」
「あの、死んだ生き物を生き返らせるという……? にわかには信じ難いが、ふむ……。ちなみに、ルーク殿が感じた違和感というのはどんなものなんだ?」
「前に使ったのは、フィオナの亡骸を発見した時なんだ。その時は、発動したというよりはーー弾かれたように感じたんだ。言葉にするのが難しいな。これで伝わっているか確信が持てない」
エミリアは「フィオナ」と呟くと、満面の笑みを浮かべて皮の胸当てを拳で叩く。
「いいだろう。さあ、ルーク殿! その魔法を使い、その違和感とやらの正体を探るんだっ!!」
「い、いいのかっ!?」
「分かるさ、分かるとも。ルーク殿の胸中にあるのはフィオナ嬢なのだろう!? ならば、このエミリアが断る道理はない!」
俺はエミリアに背中を押され、『死者蘇生』を生きた人間に使用することになった。
古代魔法の知識は秘宝で入手したが、完全ではない。
生きた人間に『死者蘇生』を使用した際、効果はないという知識しかないのだ。
俺は震える手で杖を握りしめ、片手でネックレスに触れてから『魔素循環』を起動。
魔力の回復を終えた俺は、エミリアに『死者蘇生』を発動した。
「ふむ、魔力に満ちた感覚があるな。しかし、私には何も異変はないぞ」
光に包まれたエミリアは、拳を握ったり開いたり、その場で軽く飛び跳ねる。銀髪がさらさらと上下に揺れた。
俺は杖に残った魔力の残滓を眺めながら確信した。
「……やはり、違う」
『死者蘇生』は、死者の魂を現世に呼び戻すことに特化した古代魔法だ。故に、回復魔術とは根本的に違う。
違和感の正体。
それは、魂を呼び寄せる感覚がなかったこと。
フィオナに掛けた時、魂を呼び寄せる感覚がなかった。それは、エミリアの時と酷似していた。
あの場は死後六時間以内という制限時間を過ぎていたから失敗したのだと思ったが……。
「その顔は、何かを掴んだんだろう?」
「ああ。あくまで推測の話だがーーフィオナは生きている」
「何故やどうやっては気になるが、ひとまずは街に戻ろうか。これからまた王都に向かうのだろう?」
エミリアの問いかけに俺は頷く。
信じられない気持ちが勝っているが、知りたいことは沢山ある。
「エミリア、この礼は必ず」
「なに、気にするな。私がしたいからしているだけの話だ」
エミリアはふっと笑い、立ち上がる。
俺も立ち上がり、ポチを呼びつけて街に戻る支度をすぐさま整えた。
向かう先は王都。
まずはフィオナの亡骸について調べる必要がありそうだ。
◇ ◆ ◇ ◆
城の地下に設けられた死者の間に続く扉を開く。
見張りの兵士に背中を見られながら、俺はランタンを片手に階段を降りた。
「これが、フィオナの棺桶か」
目当ての棺桶を見つけた俺は、ランタンを近くの地面に置いて蓋に手を伸ばす。
我が国では土葬が主流だ。死者の間で亡骸を清めて一定期間、別れの時間を設けた後、墓に埋葬する。
墓に埋葬するまでは、亡骸が腐敗しないように棺桶内部に込められた魔術が冷凍する。
俺は意を決して蓋を開けた。
「フィオナ」
棺桶の中には、あの日と変わらないフィオナの姿があった。
死者の服を着て腕を組んだ彼女は、目を閉じたままじっとしている。
まるで眠っているようだが、どこか冷たい印象があった。
その頰に触れる。
人肌よりも冷たく冷やされた頰の温度に思わずゾッと鳥肌が立つ。
「俺の、思い違いか?」
思わずそう呟いた。
フィオナが生きているかもしれない。
そんな願いを胸に抱いて王都に戻り、死者の間にやって来て棺桶を開けたわけだが、その亡骸に異変はない。しかし、何かが違うような気がしてしょうがない。それがどこなのか、喉元に引っかかった小魚の骨のように妙に気になる。
ただ、なんとなく。
なんとなく、自分の気持ちに決着をつけて納得する為に、俺はフィオナの背中を見てみることにした。
「……ない」
冒険者という仕事をしているフィオナは、多くの古傷が肌にある。
そのなかでも、背中の傷は俺にとって特別な意味があった。
半年前、フィオナと出会ったばかりの頃。
俺がダンジョンを侮って、撤退を進言するフィオナの意見を蹴って無鉄砲に進んだ結果、罠を踏んでしまったのだ。
その時、フィオナが俺を突き飛ばして代わりに負った傷。
背中の肩甲骨から左脇腹にかけて負った大きな裂傷痕。
当時、中級の回復魔術しか使えなかったせいで、消えない傷痕になってしまった。
その傷が、ない。
それどころか、黒子の数も全く一致しない。
というか、よくよく見てみれば……
「フィオナはこんなに胸が大きくないぞ……っ!」
恋人の俺でなければ気づかなかった違和感の正体。
それはフィオナの胸部だった。
ダボっとした死者の服を着ていたのですぐには分からなかったが、一度でも気がつくと違和感が凄い。
このサイズは多分、B。
フィオナは黄金の『AAA』なのだ。
忘れもしない。あれは初めてフィオナが泊まりに来た日のこと。首まで赤く染め、恥じらいながら『こんな胸でごめんね?』と謝罪して来た時……俺は貧乳の素晴らしさに目覚めたのだ。
一体、これを用意した奴はフィオナのことを何も分かっていないッ!!
そして、一人だけこれを用意できる人物に心当たりがある。
その人物の顔を思い出す前に、俺は深く息を吸い、万感の思いを込めて叫んだ。
「フィオナァァァァァァァッッッッッ!!!!」
エミリア(えへへ、今の私は物凄く『主人公を励ます友人』ってカンジだったぞ! 良いことをすると気分がいいものだな!!)




