第一話 恋人のフィオナ
俺には恋人がいる。
フィオナ・エバンシア。
茶髪をおさげにした少女で、心根の優しい子だ。
出会いは魔術学園。
初めての実習で、現役の冒険者かつ魔物討伐経験者として俺と臨時のパーティーを組んでくれたことが会話のきっかけだった。魔物を相手に萎縮する俺を励まし、無事に実習が完了するまで根気よく付き合ってくれた。
それまで冒険者に対する印象が『ならず者』だった俺にとって、物腰の柔らかいフィオナと過ごした日々は鮮烈なもので……その優しさと芯の強さに俺は惹かれた。
側にいたい。
そう思うのに、時間は掛からなかった。
意を決して思いを告げた俺に、フィオナは手を握ってこう言ってくれたんだ。
「私もあなたのことが好きです……ねえ、これからはルークって呼んでもいい?」
フィオナは俺の自慢の恋人だ。
彼女に会えると考えただけでその週は楽しくてしょうがなかったし、初めて彼女とデートした時は緊張して繋いだ手が震えた。
魔術学園を卒業した時、誰よりも俺を祝ってくれたのは彼女だった。決して安くはない秘宝を卒業祝いに送ってくれたんだ。
「勇者一行に私も選ばれたの。これからは一緒に過ごせる時間が増えるね」
そう言って、うっすらと頰を染めながらはにかむフィオナ。
その時、俺はたしかに心の底から『この人を好きになって良かった』と思ったんだ────。
◇ ◆ ◇ ◆
最近、フィオナの様子がおかしい。
魔王討伐に向けて力を蓄える旅のさなか、宿の一室で俺はベッドに腰掛けながら腕を組む。
始めは些細な違和感だった。
フィオナとの会話で、彼女が口籠もる機会が増え、曖昧に笑って誤魔化すようになった。
次第に服の系統が変わり、おさげにしていた髪を解いて下ろすようになった。
緩いウェーブのかかった茶髪を目で追いかけるのは嫌いじゃないが、彼女に向けられる男の視線が不愉快だった。
フィオナは可愛い。
顔は整っているし、服の下の身体は雪のように白くて細い。
弓を主体に戦う斥候だから、身体つきが全体的にほっそりとしているのだ。
己の狭量さと嫉妬深さは重々承知だ。
それでも、フィオナのいない人生など考えられないほどに俺は彼女を愛している。
国王陛下の命令で魔王討伐なんていう危険の多い任務についているが、この旅が終わったら定職を得てフィオナに求婚しようと思っている。きっと頷いてくれるはずだ。
そうだ、フィオナは俺を愛している。
だから醜い嫉妬をやめて、彼女を信じるんだ。
誰にだっていつもと違う洋服の袖に腕を通すことはあるだろう。女の子はおしゃれ好きだというし、髪型を変えることもある。
なんてことはないじゃないか。
二回ほど深呼吸を繰り返した俺は、なにか飲み物でも買おうと財布を片手に部屋を出る。
ちょうどその時、勇者アベルが廊下の奥から姿を現した。
赤い髪に迫力のある釣り上がった三白眼と日々、剣を振って鍛え上げた身体。
青い髪に垂れ目な俺と真反対だとフィオナはよく言っていた。こうして見るとなるほどたしかにと思う。
「よお、ルーク。これから出掛けるのか?」
「少し飲み物を買いに行く」
「いってらっしゃい」
俺が出掛ける事を知ると、アベルは笑顔を浮かべた。
その事に首を傾げつつも、彼はとっくに部屋の中に入ってしまった。
まあいいかと考え直し、俺は宿の向かいにある雑貨店で飲み物を買う。
ジュースの瓶を抱えながら借りていた部屋に向かう。運悪く個室が取れなかったので、俺とアベルは同室だ。
扉の前に立つと、はしゃぐフィオナとアベルの声が聞こえた。
『もー! このヘアスタイルのセットに今朝どれだけ私が悩んでいると思ってるの!』
『ワリィワリィ、どんな髪型でも可愛いから問題ないだろ』
『そう言えば許すと思ってるの、バレバレなんだからねー!』
その会話はまるで、仲睦まじい恋人のようだった。
あるいは、気心の知れた友人のようでもある。
二人はそれほど仲が良くないはずなのに。
何故、宿屋の部屋でそんな会話を繰り広げる必要があるのか。
払拭したはずの嫉妬心がドロリと湧き出すのを感じた。
乱暴に扉を開けると、二人の肩が跳ねる。
フィオナの頭に手を乗せていたアベルがそっと一歩後ずさった。
俺が何か言うよりも早く、青褪めたアベルが口を開くよりも前にフィオナが俺にたたたっと駆け寄る。
「あー! やっと帰ってきた! もう、これから予報で雨が降るって言ってたのにどこ行ってたの!?」
無邪気に笑みを浮かべ、俺を見上げるフィオナ。
彼女は俺が抱えたジュースの瓶を目にすると、ぽんと両手を叩く。
「そういや、この宿屋は飲み物を売ってないんだっけ」
「あ、ああ、そうだよな。不便だよな、まったく」
青褪めた顔で無理やり笑顔を浮かべるアベル。俺と一向に視線を合わせようとしない。
どうやら、俺がいない間にフィオナにちょっかいを掛けていて、それが悪い事だと言う自覚はあるらしい。
「フィオナ、コップを持ってきてくれるか? このジュース、俺一人で飲み切るには少し多いから、皆に分けようと思ったんだ」
「? うん、分かった」
フィオナは不思議そうにしたが、すぐに部屋を出て宿の主人からコップを借りに行った。
背後で部屋の扉が閉まったのを聞きながら、俺はベッドに腰掛ける。
俺とアベル、二人きりの重苦しい沈黙。
「なにやら、俺の恋人と楽しそうに話していたな」
俺がそう話しかけると、アベルはしきりに目を泳がせながら絞り出すように呟く。
「こ、こいびと…………や、やっぱり二人は付き合っていたんだな……知らなかったよ……」
「そうか。それならこれからは振る舞い方に気をつけてくれ」
俺の冷たい声にアベルはコクコクと何度も頷く。
魔王討伐の旅を続けていくにあたって、彼との関係を拗らせたくはない。俺は後でフィオナに釘を刺すことで納得させた。
フィオナは自分がどれほど魅力的なのかを理解していない節がある。しかし、素直なので俺が頼めばこれからは振る舞い方に気を付けてくれるはずだ。
「持ってきたよ」
部屋に戻ったフィオナが持ってきたコップに飲み物を注ぐ。
アベルは冷や汗を流しながら、俺から飲み物を受け取る。
フィオナもコップに口をつけ、目を丸くして歓声をあげる。
「あ、おいし〜! 林檎のジュース、私も好きなんだけど滅多に売ってないんだよねえ」
「俺が売店に寄った時、たまたま売っていたんだ」
「へ〜。じゃあ買いだめは出来ないね。残念」
両手でコップを持ちながら、味わうようにちびちびと飲むフィオナ。
その仕草に俺は目を細めながら、自分の分のジュースを飲む。
甘酸っぱい芳醇な林檎の香りが口に広がった。
「あ、そうだ。この近くにダンジョンが見つかったんだって! なんでもS級ダンジョンで、冒険者の間では質のいい強力な秘宝が見つかるかもって専らの噂だよ」
「秘宝か。魔王討伐には必須とも言えるな」
俺はフィオナの話に相槌を打つ。アベルはじっと床を見るばかりで顔を上げる気配がない。
『ダンジョン』
それは魔力の素と呼ばれる謎の物質、魔素が作り上げる異空間だ。
そこには強力な番人が潜み、侵入者を阻む。
その最奥には秘宝という現代技術では原理すら解明できない強力な品々が見つかる。
例えば、星を撃ち堕とす槍。
例えば、魔法を両断する大剣。
例えば、装着するだけであらゆる毒を無効化する鎧。
魔王を討伐するならば、必ず手に入れておきたい品々だ。
換金すれば旅の資金にもなるし、装備を整えるにはうってつけだ。
「そうだな。なら、そのS級ダンジョンについて調べないとな。ルークさん、ジュースをありがとう」
アベルは弾かれたように部屋に備え付けられた椅子から立ち上がり、コップを持ったまま部屋を出て行った。
バタンと扉が閉まる。
暫くお互いに無言ではあったが、フィオナは俺と視線が合うと微笑みながら小首を傾げる。
「ん? どうしたの? なにか嫌なことでもあった?」
「……俺はそんなに分かりやすいか?」
「うん。だってね、眉間に皺が寄ってる」
テーブルにコップを置いたフィオナが、女豹のように俺に近寄って膝に乗る。細くて白い手で俺の頬を包み、いつものように額にキスを落とす。
俺は彼女の腰に手を回し、ぬくもりを感じながら話を切り出した。
「アベルがフィオナの髪に触れているのを見て……その、嫌な気持ちになったんだ」
「嫉妬しちゃったの?」
「うん……束縛したくはないんだけど、あまり男に触らせるようなことはして欲しくないんだ」
フィオナの指が俺の髪を梳く。
「たしかに、ルークの髪を他の人が触ってたら私も嫌な気分になるね。これからは不安にさせないように気をつけるから、許して?」
「許すもなにも、俺の我儘を聞いてくれただけで十分だ」
一時でも恋人の不貞を疑った自分が恥ずかしい。
フィオナの指先が頭髪を撫でる感触に目を閉じながら、俺は彼女を抱き締める。
「ね、ルーク」
「なんだ?」
「好き、愛してるよ」
フィオナの囁くような声に、俺も答えた。
「俺もだ、フィオナ。愛してる」
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