99. 後日談:ジーンの夢
さよならジーン回。
以降はエイムズの街に寄ったら出てくるかもしれない。
ブレイズとラディがジルの墓を訪れてから、およそ半月後。
領主がカーティスから息子のリアムに代替わりしたという知らせが、ファーネの街に届けられた。
「へえ……マジで降ろされたのか、あのおっさん」
顔見知りの領兵であるジーンが持ってきた紙を見て、ブレイズは目を丸くした。
紙面には『王都にてナイトレイ家当主の家督継承の儀が行われた』と書かれている。
「あのおっさんてお前、一応は領主様なんだけど」
「もう『元』領主様、だろ。それに俺にとっちゃ、評判の悪い変なおっさんでしかなかったよ」
ジーンが呆れた様子で言うが、そもそもファーネで領主の存在感は皆無に等しかった。
過日の襲撃でもろくなことをしなかったので、印象はやや否定的なものにならざるを得ない。
「ブレイズ。掲示する前に支部長の許可がいるから、まずこっちに渡してくれ」
「あいよ」
受付カウンターからラディの声が飛んできたので、ブレイズは紙を彼女に手渡した。
歩けるまで回復したばかりの相棒は、数日前から事務の手伝いをしている。警備に立てるようになるには、もうひと月ほどかかりそうだ。
「ええと……書式は問題なさそうだな」
内容を確認するラディの横にくっついて、ウィットが同じように紙面を覗き込む。
「領主からのお知らせって、こんなふうに届くんだ」
「ファーネの場合は、だけどね」
国や領主から何らかの布告がある場合、伝達する手段は街や村によって違いがある。
ファーネの場合は文字を読める者がほとんどなので、街の代表が告示を書面で用意して、街の要所に掲示する形だ。ジーンの持ってきた紙は、商業ギルドで掲示する分である。
「農村なんかだと字が読めない人も多いから、村の代表が住民を集めて、口頭で知らせるらしいよ」
「それ、すごく面倒くさそう」
「村くらいの規模なら、広さも人数も大したことないから。同じことを二回か三回やれば、それで全員に伝わるんだ」
ウィットにそう説明して、ラディは紙を奥の席にいる支部長へ持っていく。
残されたウィットはそのまま、カウンターに寄りかかってこちらを見上げてきた。
「これでファーネも少しは良くなるのかな?」
「ま、そこは心配いらねえと思うぜ」
首を傾げるウィットに、ジーンが気楽な調子で応じる。
「いまんとこ、リアムはうまくやってるらしい。この布告持ってきた知り合いから聞いたんだけどさ――」
ジーンが知り合いとやらから聞いた話によると。
新領主となったリアムの動きは、とても素早かったらしい。
国軍に護衛されて王都からエイムズに戻ってくると、すぐさま国王直筆の書状を掲げて当主の代替わりを布告。
突然の交代劇に反発する上層部の老人たち――元々傭兵団の団員だった者たちを、当主の権限でまとめて解任した。
後任には老人たちの下でくすぶっていた連中をつけて、さっさと自分を頂点とする体制を整えてしまったそうだ。
追い出された老人たちは、当初「経験不足の若造だけで領地を運営できるわけがない」と言っていたようだが、そこもリアムが対処済み。
王都や近隣の領地から、退役して暇を持て余している元指揮官や元文官を『相談役』として招く予定でいるそうだ。
実務については、元よりジーンと同年代――つまりリアムの兄貴分たちが中心となって回している。
彼らの大部分はとっくにカーティス一派を見限っていたらしく、あっさりとリアムの側についた。
「あの老人ども、ここまで知らされて真っ青になったらしいぜ。まあ誰も自分たちを当てにしてないって理解したら、ふんぞり返ってられねえわな」
「嬉しそうだねえ、ジーン」
「そりゃな。あの連中のせいで、俺はもう何年も里帰りすらさせてもらえなかったんだ。不幸を喜ぶくらいはしてもいいだろ」
ひひっ、とジーンが意地悪く笑う。
ウィットは呆れた表情でそれを見上げるが、咎めることはしなかった。彼女も故郷を離れている身だ、何か思うところがあるのかもしれない。
「そういや、お前のその待遇ってどうなるんだ?」
「ああ、一度戻ってこいって指示が来たよ。だから近いうち、エイムズに戻る予定」
「よかったな」
ジーンは領兵としての基礎訓練を終えてすぐ、ファーネに配属されたらしい。
ブレイズの記憶が正しければ、もう四年か五年の付き合いになる。
つまり、そのくらいの間、里帰りができていないわけだ。故郷に家族がいるなら、さぞ心細かっただろう。
「どうしたんだ?」
支部長へ書類を渡しに行っていたラディが戻ってきたので説明してやると、彼女もほっとした様子で微笑んだ。
「それはよかった。数年ぶりの里帰りだろう、ちゃんと家族に顔を見せてくるといい」
「ああ、うん……ありがとうな」
「……ジーン? どうしたの?」
先ほどまでと違って複雑そうに笑うジーンに、ウィットが不思議そうな顔をする。
ジーンは何やら口ごもっている様子だったが、少しして、思い切ったように口を開いた。
「あのさ。……多分もう、ファーネには戻ってこねえと思うんだ」
「どういうことだ?」
「リアムの護衛、立候補できねえかなって。通るかどうかわかんねえけど」
ブレイズの問いかけに、はにかんだ表情でジーンが答えた。
「俺がファーネで頑張ってこれたのって、後ろにリアムがいると思ってたからなんだ。魔境から獣が入ってくるのを防いでれば、それがリアムの安全の足しになるだろって……そう思ってた」
口元に笑みを浮かべたまま、ジーンは「でも」と続ける。
「実際は、ちっとも安全なんかじゃなかった。俺の後ろで、リアムを安全な場所から放り出すやつがいた。危害を加えるやつがいた。……あ、別にお前らを責めてるわけじゃねえからな? 確かにあの顔の怪我もショックだったけどさ」
「ジーン……」
「ただ……護るなら、傍にいるのが一番確実だって思ったんだ」
だから行ってくる、と。
そう言ったジーンを、引き留める言葉は浮かばなかった。
◇
それから数日後。
早朝、旅装に身を包んだジーンが、ギルドに顔を出した。これからファーネを発つらしい。
今日のブレイズは警備当番だが、まだ来客のあるような時間ではない。
受付の準備をするラディと一緒に、少しだけ話すことにした。
「一人で行くのか?」
「いや、エイムズ方面に行く行商人の集団がいるから、それに同行させてもらう」
「護衛の依頼はあるんだから、ついでに受ければいいのに。ジーンならそのくらいできるだろう?」
「エイムズから先は付き合えねえからなあ……。下手に受けて後で揉めるのも面倒だし、やめとくわ」
領主がリアムに代わっても、エイムズの住民の意識がすぐに変わるわけではない。
いまだ商人を敵視する住民の多いエイムズで、護衛を新しく雇い直すのは難しいだろう。
下手に護衛を引き受けて、無理に引き留められたりしたら確かに面倒そうだ。商業ギルドとしても、エイムズの住民にこれ以上の悪印象を持たれたくはない。
「ジーン、これから出発?」
遅めの朝食を済ませたウィットが、ジーンの姿を見つけて受付カウンターから身を乗り出す。
「大鷲亭のみんなにもよろしく言っといてね」
「おう。お前もこの前みてえな無茶すんなよ」
ウィットの頭を軽く撫でると、ジーンはブレイズに向き直った。
「世話になったな」
「お互い様だろ」
差し出された手を軽く握って、すぐに離す。
警備として立っている以上、長く手を塞ぐわけにはいかない。
「ラディちゃんも、怪我、お大事にな」
「ありがとう」
ラディとはしっかりと握手をして、「そろそろ行くわ」とジーンはギルドを出ていった。
仕事でこの場を動けないブレイズとラディは、ここでお別れだ。
ウィットだけ、扉をくぐってギルド前の通りまで見送りに出ていった。
開けっ放しにされた扉を眺めながら、ブレイズはおもむろに口を開く。
「行っちまったな」
「寂しくなるね」
ラディの言葉に、何も言わず小さく頷いた。
ジーン・ゴーラム。
ブレイズたちにとって、入れ替わりの激しい領兵たちとの間を取り持ってくれる、心強い友人だった。
そんな彼がファーネからいなくなってしまうのは痛いが、領主がリアムになったなら、きっと領兵の入れ替えについても考え直してくれるだろう。ジーンも意見を上げてくれると言っていたし。
見送りを済ませたウィットが戻ってくる。
その青い瞳は、ほんの少しだけ揺れているように見えた。
「……ジーンの希望、通るといいね」
「ああ」
ウィットの言葉に頷いて、ブレイズは警備に戻る。
友人の夢が、どうか叶うようにと願いながら。
改稿の進捗ですが、大まかなプロットの見直しは終わったのでそろそろ本文に手をつけるところです。
後日談のネタのストックもあまりないので、なるべく早めに終わらせて連載再開させたいと思います…。




