97. 後日談:戦場の敗者(前)
すみません、仕事がバタバタしてて遅れました。
領主カーティス退場回。
以降、少なくとも本編ではもう出てきません。
……と書こうと思ったけど、想定外に話が長くなったので前後編です。
後編は近いうちに投稿します。
最後に、この場所へ足を踏み入れたのは何年前だっただろうか。
王宮の廊下をひとり進みながら、カーティス・レ・ナイトレイはそんなことを考える。
雇い主の大将が三十年前の大戦に勝利し国王となった時、カーティスが褒美に求めたのは地位だった。
王が決まった以上、近いうちに傭兵の居場所はなくなる。そう思ったからだ。
食い詰めて村や街を荒らし回る賊になりたくはなかったし、仲間たちのそんな姿も見たくなかった。
共に軍を率いてきた貴族たちの勧めもあって、王は自分たちに貴族の地位と領地を与えてくれた。
居場所を得られて、これで安泰だと思っていたのだが――。
「こちらになります」
前を歩いていた案内役の文官が、そう告げて足を止める。
重厚な木の扉の両脇に、軽鎧をまとった兵士が控えていた。
文官が扉に手を伸ばしかけたが、それには及ばぬと先んじて自分の手でドアノブを握る。
両脇の兵士がぴくりと肩を揺らすが、自分がそのまま扉を押し開けると、静かに姿勢を正した。
自分で扉を開ける貴族は、彼らが驚くほど珍しいのだろうか。
だとしたら、くだらない権力の使い方だ。
「――っ!」
部屋に入ると、左右から殺気が飛んできた。
差し向けられる剣の腹を叩いて弾き飛ばすと、すかさず左側から貫手が繰り出される。
手で払ってそちらを見ると、鋭い目つきをした男と目が合った。こちらは、廊下にいた兵士たちとはまた異なる鎧をまとっている。
カーティスは男を睨みつけ、低い声で問うた。
「なんのつもりだね?」
「それは彼らの台詞だ」
滴り落ちそうなほどに呆れを含んだ声が、部屋の奥から投げかけられる。
そちらへ視線をやって、カーティスは顔をしかめた。不愉快な顔が二つ並んでいたからだ。
「……なぜ関係のない貴方がいる?」
「関係があるからに決まっていよう」
不愉快な顔のひとつ、王国西端の領主、ウォーレン・エドガー・レ・ミューアが言う。
相変わらず、『嫌味な貴族』を絵に描いたような男だ。この男と相婿であるという事実を、思い出すだけで吐き気がする。
ウォーレンはフンと鼻を鳴らして顎をしゃくった。
「それはともかく、彼らに謝りたまえ。彼らは、ノックもなく部屋に押し入ってきた不埒者を取り押さえようとしただけだ。非があるのは貴殿だよ」
「ぐっ……」
いきなり入室したのは、確かにこちらが悪かった。
だが、それを見ていただけのこの男に、どうして偉そうに指図されなければならないのか。
心底軽蔑したような眼差しを向けるウォーレンの隣で、もうひとつの不愉快な顔が深くため息をつく。
それがひどく癇に障り、頭にあったことが全て吹っ飛んだ。
「親に向かってなんだその態度は!!」
我が息子、リアム・レ・ナイトレイ。
ウォーレンのようになってほしくないと平民同様に育てたはずなのに、結局は貴族の立場を鼻にかけるような生き物になってしまった。
妻として迎えたミューアの女に何か吹き込まれたか、そうでなければミューアの血そのもののせいだろう。どちらにせよ、ここまで貴族の考えに染まってしまっては矯正のしようがない。
そもそも何故、この未熟者がこの場にいるのか。
湧いた疑問を、目の前の本人にぶつけようとしたところで。
「騒がしいな」
背後から声がした。
座っていたウォーレンとリアムが立ち上がる。
振り返った先に立っていたのは、かつての雇い主である現国王だった。
その斜め後ろで、自分とそう変わらない年齢の男が顔をしかめている。見覚えのある顔だ。
「……カーティス卿。そこに立たれると、陛下が入れないのだが」
「ああ、これは失礼」
横にずれると、国王がゆっくりと部屋の奥へ歩いていく。
左右で向かい合うように並べられた机の間を通り、部屋の片隅にどっしりと置かれた椅子へ腰を下ろした。
「着席せよ」
王の言葉に従い、ウォーレンとリアムが座り直す。
自分はどこに座ろうかと迷ったが、あの二人が左側の席についていたので、右側の席を選んだ。
王と共に入室してきた男は席につかず、王の椅子の隣に立った。
「面子は揃っているようだな。では始めようか。……テイラー」
「はっ」
王が男に呼びかけるのを聞いて、ああやはり、とカーティスは内心で頷く。
三十年前、自分を貴族に推挙してくれた、テイラー家の当主だ。話の進行は彼がするらしい。
(テイラー殿なら安心だ)
少なくとも、一方的にこちらを貶めるような進行はしないだろう。
カーティスが安堵しているのを知ってか知らずか、テイラーは早速口を開いた。
「おのおのがた、遠い領地からご苦労。貴殿らを呼び出した理由は、察しているであろう通りだ。ナイトレイ領で発生した魔物およびそれに準ずる獣たちの襲撃と、今後の対応についてである」
そこで言葉を止めて、テイラーがぐるりと室内を見回す。
この部屋にいるのは王と自分、進行役のテイラー、そしてウォーレンとリアム。
やはり、向かいに座っている二人がこの場にいる理由がわからない。しかし王もテイラーも何も言わない以上、何かしらの理由はあるのだろう。
「事前に各所から提出してもらった報告書は読んだ。その内容を踏まえて、もう少し詳しく話を聞きたい」
そう言って、王はまずリアムを見た。
「家名ではカーティスと紛らわしいので、リアムと呼ばせてもらおう。さてリアム、国から派遣された調査隊が隊長の独断で防壁の修繕にあたったとのことだが、かかった費用はどう処理している?」
「防衛設備の維持管理費として、国軍の財務部門に申請がされています」
「それは適切な申請先か?」
「……現在の私の立場では、不適切と言わざるを得ません」
「なるほど」
王は納得したように頷くが、カーティスには何の話をしているのかまるで分からなかった。
しかしなるほど、息子がいるのは国軍側の担当文官としてか。この未熟者に務まるのかという不安はあるが、逆に考えれば、この話し合いはその程度のものなのだろう。
そう考えて、カーティスは無意識に入っていた肩の力を抜いた。
王とリアムはまだ何やら話を続けているが、どうせ大した内容ではない。自分の出番が来るまで聞き流すことにする。
やがて満足したのか、王がリアムから視線を外してこちらを見た。どうやら出番のようだ。
「では次、カーティス。そなたが兵を率いてファーネに到着した日付を見ると、襲撃が始まってから十日以上後のように見えるが……出遅れた理由を聞こうか」
「はっ。行軍のための物資が思うように集まらず、出兵が遅れました。不甲斐なさに恥じ入るばかりであります」
「先遣隊を出すこともなかったのは何故だ?」
「その先遣隊に持たせる物資にも事欠く状態でして」
「それはつまり、一から物資を調達しなければならなかったと?」
「そうなります」
カーティスが頷くと、王は難しい顔でため息をついた。
叱責されたとはいえ、王に直接、こちらの窮状を伝えることができたのは収穫だ。
今後、何かしらの配慮はしてもらえるに違いない。はるばる王都まで来た甲斐があったというものだ。
「……で、強引に物資を集めようとして領内の商人から『徴収』したと」
「はっ……」
やはり来たか、とカーティスは内心で身構えた。
国軍側からの報告書には、さぞや悪しざまに書かれているのだろう。
しかし、こちらの窮状は先ほど伝えたのだ。それを踏まえて判断してもらえれば、そう悪くは取られないはずだ。
「まず、そなたの指示したことではないのだな?」
「はい。結局物資が集まらず、やむなく出発した私を案じた、代官の独断であります」
「その代官、どうするつもりだ?」
「半年ほど謹慎させようかと」
「……それだけか?」
「? ええ」
首肯すると、王が驚いたように目を見開いた。
周囲を見回せば、テイラーは口をぱかんと開けており、ウォーレンとリアムは揃って顔をしかめている。
……あの息子はもう、我が子と思わないほうがいいのかもしれない。ミューアの血が強く出すぎている。
気を取り直すように咳払いをして、王が再び口を開いた。
「罷免するつもりもないと?」
「長年働いてきた者ですし、後任をどうするかという問題もありまして」
「適任がいないのか?」
「ええ。彼ほど仕事に精通した者はあいにく――」
「何故いない?」
こちらの言葉を遮って王が発した問いに、カーティスは面食らった。
(何故、と言われても……)
いないものはいない、としか言いようがない。
どう答えたものかとまごついていると、王は小さく息を吐いた。
「……質問を変えよう。その代官、年齢はいくつだ?」
「私の少し下ですから……五十の半ばですな」
「文官としても引退を考える年ではないか。それで何故、後任のあてがない?」
「私と同様、まだまだ元気ですので……」
「それでも年齢が年齢だろう。万が一があればどうする」
「はあ……」
老体の部下を心配してくれるのはありがたいが、何やら話がずれてはいないだろうか。
困惑してテイラーへ視線をやると、彼はひとつ咳払いをした。
「……陛下。もう十分かと」
「うむ……」
王が悲しげな表情で口を閉ざす。
その隣から、テイラーが一歩前に進み出た。
「ナイトレイ家の役割は、魔境の森と接する国境の防衛である。……にもかかわらず、今回の襲撃において当代の対応は粗雑なこと甚だしく、役目を果たせているとは言いがたい。これは、先ほどまでの答弁からも明白であろう」
「な……!」
思わず声を上げかけたところで、テイラーが強い視線で睨みつけてくる。
一瞬ひるんだが、しかし黙ってもいられない。
圧に負けじと、再び口を開こうとして。
「カーティス、控えよ。テイラーが話している途中であろう」
王に制されて、何も言えず口を閉じた。
ひとつため息をついて、テイラーがこちらを見やる。
「自覚がないようなので、細かく説明してやろう。まず物資が集まらずに出兵が遅れたと言うが、平時から備えておかないのが悪い。相手は言葉も通じぬ獣。いつ襲撃があるかなど、事前には分からんのだからな。今回、偶然にも別件で国軍の隊がファーネに居合わせていたからいいものの、そうでなければ卿が動く前にファーネが落ちていた可能性が高い。そして魔境に蓋をしているファーネが落ちれば、そこから王国南西部へ魔物の群れが流れ込んでくるわけだ。……今回の卿の出遅れは、王から預かった国土を獣に差し出すような行為であったとまず自覚せよ」
そこでテイラーは言葉を切って、口を閉じた。
その目は、「反論があれば言ってみろ」と言わんばかりだ。
ならばとカーティスは言い返す。
「仮に国軍の隊が居合わせなくとも、当家の兵たちのみで十分に敵を押し留めることが……」
「できた、と抜かすのであれば、耄碌したと言わざるを得んな。防壁は十年前からろくに修繕もされず、領兵の装備は街中で治安維持をしている者と全く同じで、獣と戦うことを考慮しておらん。補給も十分でなく、今回、手槍や矢弾は襲撃が始まって三日で不足が問題になったそうだ。……状況を見かねて金を融通したと、うちの次男が手紙で知らせてきたよ」
あの男か、と。
まだファーネに残っているらしい、テイラー家の次男の顔を思い出す。
赤茶色の髪を刈り上げた、精悍な顔つきの男。こちらの胸に引っかかるような言葉ばかり吐いてきた――。
思い起こしていると、カーティスが黙ったと判断したのか、テイラーは「次」と続けた。
「卿自身にも同じことが言えるが、後任がいないとはどういうことだ。何故育てておらん。引退どころか、いつくたばってもおかしくない年齢の爺を重要な役職に居座らせて、そいつが死んだらどうするつもりなのだ。卿や私とて、いつ死ぬのか分からん。しかし我らの死後も、民の生活は続くのだぞ」
「それは……残された、誰かが」
「誰かと言うが、具体的に誰だね? 現に先ほど、五十を過ぎた爺の後を継げる者がおらんと、卿自身が言っていたではないか」
「それは……」
返す言葉が見つからない。
自分たちが死んだ後に領がどうなるかなど、考えたこともなかった。
言葉に詰まるカーティスから視線を外し、テイラーが王のほうを見る。
王が小さく頷くと、テイラーは最初にしたように、部屋をぐるりと見回した。
「この通り、ナイトレイの当代には国境を防衛する姿勢も、領地を維持する姿勢も見受けられない。よって、ナイトレイ領を任せるに能わず」
テイラーが、冷ややかな目つきでこちらを見下ろしている。
この目を、自分は知っていた。
若く未熟だった頃は、何度も向けられた覚えがある。
「よって――当代、カーティス・レ・ナイトレイに引退を命ずる。速やかに、家督を嫡男リアムに相続させよ」
雇い主が、使えない傭兵を見る目だ。
Q. テイラーさん進行役ってほど進行してなくね?
A. 本当はもっと色々と話し合う予定だったけど、カーティスの受け答えがあまりにアレすぎてもういいやってなった




