96. ファーネの墓守(下)
およそ一ヶ月後。
ブレイズはラディと二人、再びジルの墓を訪れていた。
前に訪れた時と変わらず、白い墓石は静かに木漏れ日を受けている。
「なんとか終わったよ、ジル」
ブレイズは墓の前にしゃがみ込むと、折れた剣を置いた。
レスターが届けてくれた、ジルの剣だ。
剣先はいまだに見つかっていない。それでも、もう使わないのなら返すべきだと思ったから、ここに持ってきた。
「……もっと、落ち込むと思ってたんだ」
折れて半分になった剣身を見つめて、ぽつりと言った。
いつか、この剣は使えなくなる。
そう告げられてからずっと、その時がくるのを恐れていた。
ジルの遺したものが、なくなってしまうのが怖かった。
剣術はまだ、継いだと言える自信がなかったから。
「ま、実際はそれどころじゃなかったけどな」
ウィットを庇うので精一杯で、ラディを失いかけたことに絶望して。
追い詰められて出た本音は、『何でもいいから剣が欲しい』だった。
この剣以外使えない、なんて考えもしなかった。
以前の自分は、勘違いをしていた。
ジルベルト・エイスという人を継ぐために、自分の人生があるのだと思っていた。
「俺、ジルみたいになるんだってずっと思ってたけど……本当は、いつか、ジルと一緒に戦いたかったんだ」
きっと、ジルもそれを望んでいた。
でなければ、かつての仲間の名前などつけないだろう。
ジルが死んで、その望みが叶わなくなって――無意識に願望を歪めた結果が、この折れた剣なのだろう。
「……だったら、私も期待に添えなかったな」
それまで黙ってブレイズの背中を見守っていたラディが、小さな声で言った。
こちらに歩いてこようとするので、ブレイズは立ち上がってラディの手を取ってやる。
最近やっと歩けるまでに回復したばかりの彼女は、まだ少し、足元がふらつくことがあった。
ゆっくりとした動作で、ラディはジルの墓前にしゃがみ込む。
「魔術の天才の名前をつけられておきながら、魔術を怖がってしまった私を、あなたはどう思っていたんだろう。……無理強いしないでいてくれたのは、とても有り難かったのだけど」
墓石は何も答えない。ブレイズにも、答えはわからない。
しばらく黙ったのち、ラディは小さく息を吐いた。
「ブレイズ。私もね、ジルみたいになろうとしてたんだ」
「お前が?」
「うん」
見下ろす夜空色の髪が、頷きで小さく揺れる。
「ジルが死んで、ブレイズが『どうしていいかわからない』って顔をしてたから。ジルの代わりができるくらい、強くならなきゃって……」
ここからでは、彼女がいま、どんな顔をしているのかわからない。
「でも、ブレイズはそんなの求めてなかったね」
「……そうだな」
確かに、求めていなかった。
……ジルの剣を継ぐのは俺だと、無駄な対抗心を抱いていただけだった。
ずっと一緒にいたのに、ずっと誤解したままだった。
「結局俺たち二人とも、似たようなことを考えてたわけか。そんで、一緒に間違えてた」
「そういうことだな」
こちらを見上げて、ラディがおかしそうに笑う。
随分と間抜けで、格好悪い話だが、彼女が笑っているなら別にいいかと思った。
「……どうしようか、これから」
ジルの墓へ視線を戻しながら、ラディがぽつりと言った。
迷子のような、どこか途方に暮れているような声だ。重傷から回復したばかりで、気弱になっているのかもしれない。
何と言うべきか少し考えてから、ブレイズは口を開いた。
「まずは鍛え直しだな」
ラディはもうしばらく回復訓練の日々だろうが、ブレイズはそろそろ警備に復帰できるはずだ。
どちらにしろ、寝たきりで鈍った体を戻さないといけない。
「俺は、こっちの剣にも早いとこ慣れねえとだし」
そう続けて、腰にある剣の柄をぽんと叩く。
つい先日、王都のシルビオから送られてきたものだ。まだ前金しか払っていないのにと驚いたが、結果的には助かっている。残りの代金は、ギルド経由で早めに送るべきだろう。
ジルの剣と同じ形にしてもらったが、同じなのは見た目だけで、重さも重心も異なっている。
これはジルのではなく、ブレイズの剣だ。そうするのだと、自分で決めた。
「あと、カチェルのこともあるから、昼間の警備もちょっと考えねえと。毎月の発注もさっさと支部長から引き継いで……ああ、落ち着いたらウィットの話も聞くんだった」
「けっこう忙しくなりそうだな」
「だなあ」
いまは防壁から戻ってきたリカルドとルシアンに警備を頼んでいるが、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。
せめてラディが復帰するまでは、ブレイズの不在時に支部の警備ができる人材がほしいところだが……。
「……あの二人、もうしばらく手伝ってくれねえかな」
「ルシアンは難しいんじゃないかな、そろそろ本部に顔出さないとって言ってたし」
「リカルドには一回頼んでみっか。まあ支部長と相談してからだな」
それがいい、と頷くラディの顔を見下ろして、ブレイズは一度目を伏せた。
胸の奥が詰まるような感覚をごまかすように、小さく息を吐いて、吸って、口を開く。
「……お前は?」
「え?」
「お前は、なんかやりたいことねえの」
さりげない調子をよそおって、ずっと隣に縛りつけていた少女に尋ねた。
「そうだなあ……」
考え込むラディの髪が風でゆるやかに揺れるのを、ブレイズは耐えるような気持ちで眺める。
いまなら、手放してやれる気がした。
彼女が歩みたい方向に歩んでいくのを、いまなら笑って見送ってやれる。
隣に縛り付ける必要など、なにもないのだから――。
「……ああ、それなら」
何か思い当たった様子のラディが、照れたように笑ってこちらを見上げてきた。
「ブレイズの、相棒になりたいな」
「――っ」
胸の奥どころか、喉のすぐ下まで何かが詰まる。
それを吐き出したいような、そのまま窒息してしまいたいような、妙な衝動をとっさに飲み下した。
――初めて、彼女が『相棒』と口にするのを聞いた。
いままでずっと、ブレイズが勝手に、一方的に、彼女へ押し付けていただけの言葉。
ブレイズが言葉を失っていると、ラディが困ったように眉を下げる。
「ダメかな」
「ダメなわけあるか」
ほとんど反射でそう言って、ブレイズは思い切りため息をついた。
(解放してやろうって、思ってたのになあ)
本当は手放したくないのを、見透かされているみたいだ。
こんなときばかり、彼女は自分に甘すぎる。
「……ん」
気の利いた言葉は思いつかない。
けれど誤解はされたくなかったので、彼女に向かって手を差し出した。
「帰るぞ、『相棒』」
「うん」
手のひらに乗せられた指先を、握り込んで引き上げる。
繋いだ手はそのまま、二人でジルの墓に背を向けた。
以上で三章終了、第一部完結となります。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
この先ですが、第二部に入る前に一章の大幅改稿を行う予定です。
更新予定などは2022/01/14の活動報告をご確認ください。
まだ続きますので、ブクマは外さないでおいてもらえると嬉しいです…(小声)




