95. 事の顛末
ラディが意識を取り戻してから二日後、ようやくウィットが目を覚ました。
カチェルからそれを知らされたブレイズとラディは、同時にほっと息を吐いた。
一番怪我が軽かったはずなのにずっと目覚める気配がなく、二人で心配していたのだ。
「会いに行って大丈夫か?」
「いま部屋でセーヴァが診てるから、出てきたら聞いてみるといいわ」
そう言って、カチェルが忙しそうに去っていく。
それを見送ってから、ブレイズはベッドの上の相棒へ視線を向けた。
「ちょっと行ってくる」
「うん。あとで様子を聞かせてくれ」
ラディは、まだベッドから降りる許可をもらえていない。
ブレイズは椅子から立ち上がると、彼女に見送られて部屋を出た。
廊下に出ると、ちょうどセーヴァが隣の部屋から出てくるところだった。ウィットが寝かされている部屋だ。
あちらもブレイズに気づいたようで、目が合うとこちらへ歩いてくる。
ブレイズからも歩み寄って、ある程度近づいたところで口を開いた。
「ウィット、大丈夫そうか?」
「ざっと見た限りじゃな」
たったいま出てきた扉へ視線をやりながら、セーヴァが答える。
「意識もはっきりしてるし、前にお前が担ぎ込んできたときよりは、だいぶマシだ。なんでここまで起きるのが遅かったのかはわからんが……」
医者の立場からしても、ウィットの目覚めは遅く感じるらしい。
気を失う直前まで例の異能を使っていたらしい、ということは彼にも伝えてあるが、そちらは「専門外だ」の一言でばっさり切り捨てられた。
まあ、セーヴァにわからなければ、ブレイズにはわかるはずもないことだ。
その件はさておいて、ブレイズは部屋の扉を指で示す。
「話しに行って大丈夫か?」
「構わんが、あまり刺激の強い話はするなよ。何も食わずにずっと寝てたせいで、頭も回ってなさそうだったからな」
「わかった」
元より、大した話をするつもりはない。
白の小屋での一件について話を聞くのは、体調が落ち着いてからにしようとラディとも話して決めていた。
セーヴァと別れて、ウィットのいる部屋の扉をノックする。
はぁい、と間延びした声が返ってきたので、扉を開けて部屋に入った。
「あ、ブレイズ」
ベッドの上で上体を起こしたウィットが、青い両目をこちらに向ける。
焦点もしっかりしているし、セーヴァの言った通り、見た限りでおかしなところはなさそうだ。
扉を閉めると、ウィットはこてんと首を傾げた。
「ラディは?」
「隣。まだ安静にしてろって言われてる」
「そっか……」
ウィットの表情が曇る。
「ごめん。僕のせいだ」
「いや……あれはもう、誰のせいとかそういう話じゃ済まねえだろ」
「ううん、僕のせいだよ」
きゅっと唇を噛みしめる子供は、どこか思い詰めたような表情をしていた。
それに気がついて、ブレイズは内心でため息をつく。そういう顔をさせるつもりで、顔を出したわけじゃない。
ブレイズはベッドに近づくと、うつむくウィットの頭を軽く撫でた。
「その話はまた今度な。ラディもいたほうがいいだろ」
「……そうだね」
こくん、と手の下にある頭が縦に揺れる。
ブレイズはウィットの頭から手を離すと、ベッドの横にある椅子へ腰を下ろした。
「セーヴァはなんだって?」
「骨は一応くっついてるけど、今日と明日くらいは大人しく寝てろって言われた」
もう痛くないんだけどな、と唇を尖らせながら、ウィットが右腕を持ち上げてみせる。
包帯は巻かれているが、動きに支障はなさそうだ。おそらく、リカルドあたりが『癒し』でほとんど治してしまったのだろう。
「……僕からも聞いていい?」
「どうした?」
不安げな顔をするウィットに先を促すと、彼女は恐る恐る、といった様子で続けた。
「イヴ……僕が連れ戻しに行った子、どうなったか聞いてる?」
「ああ、そそのかされて森に行ったって子供な」
その件なら、支部長から簡単な顛末は聞かされている。
いまのウィットにどこまで話すかは考えないといけないが、子供の安否くらいは教えていいだろう。
「ちゃんと生きて戻ってきたとさ。南門で保護されたらしい」
「怪我は?」
「そりゃ無傷とはいかねえが、命に関わるような大怪我をしたって話は聞いてねえな」
ブレイズがそう言うと、「よかった」とウィットが安堵の息を吐いた。
なんでも森で子供を捕まえることはできたが、直後にでかい竜種に見つかって、結局ひとりで逃がさざるをえなかったらしい。
ウィットは足止めに残ったと聞いて、今度はブレイズの肝が冷えた。
「お前なあ……無茶にも程があんぞ」
「いやだって、僕と小さい子なら、残るのは僕でしょ」
「そりゃそうだろうが……」
複雑な心境を言葉にできず、ブレイズは口を閉じた。
ブレイズにとって、ウィットは基本的に守る対象だ。
そのウィットが自身を危険に晒す判断をしたということには、状況的に仕方なかったと頭でわかっていても、文句のひとつふたつ言いたくなる。
「それよりさ」
そんなブレイズの内心を知ってか知らずか、ウィットは再び口を開いた。
「あの子を騙したおじさんたちのことは? 何か聞いてる?」
「ああ、一応支部長からひと通りは聞いたな」
話す内容を慎重に選びながら、ブレイズはウィットに説明した。
子供を森に向かわせたという男の二人組は、路地裏で禁制の品を扱っていた薬種商だったらしい。
リド・タチスの種は幻覚剤の材料として高値で取引されるそうで、どうにか種を手に入れようとして子供をそそのかしたようだ。
魔境にあるリド・タチスについては特に箝口令が敷かれていたわけでもないので、街中のどこかで耳にしたのだろう。
そこまで話すと、ウィットは「あー」と納得した様子でこくこく頷いた。
「なんで種なんか欲しがるのかって思ってたんだけど、幻覚剤か。確かに、森の獣がおかしくなるなら、人間にだって似たような効果が出るよね」
「ん? どういうことだ?」
「熊にしろ鹿にしろ、ほにゅ……じゃなくてええっと、体の仕組みが人間とほとんど一緒でしょ。生き物として『近い』んだよ」
「そうなのか」
セーヴァにでも聞いたのだろうか。
王都に行く前の魔物食の件といい、この子供は時々、妙なことに興味を示す。
「それで、捕まったの?」
「……ああ」
ここで、ブレイズは少しだけ嘘をついた。
実際のところは、路地裏の商人たちの顔役が、連中の死体を国軍に差し出してきたそうだ。
顔だけはきれいに元のまま、首から下はひどい状態だったらしい。生前に相当痛めつけられたようだと聞かされている。
要するに、「自分たちでけじめをつけたから、これで話を終わらせてくれ」ということだ。蜥蜴の尻尾切り、とも言う。
しかし、なぶり殺しにするとまではブレイズも思わなかったので、話を聞いたときには驚いたものだ。
裏の世界には法も秩序もないとよく言われるが、そのぶん、都合の悪い存在の排除方法がえげつない。
「どういう罰になったの?」
「それは聞いてねえな。……ま、もうファーネで見かけることはねえだろうよ」
「ふうん……?」
ごまかし方が不自然だっただろうか。
ウィットは訝しげな目を向けてくるが、それ以上の追及はしてこなかった。
(死んだ、くらいは言ってもよかったか?)
ちらりと思ったが、セーヴァから「刺激の強い話はやめろ」と言われているのだし、このくらいでいいだろう。
この先きちんと回復したら、様子を見て本当のことを教えればいい。
「……ね、ブレイズ」
「ん?」
ささやくように呼ばれて、ブレイズは無意識に逸らしていた目をウィットへ向けた。
ベッドの上で、ウィットはじっとこちらを見ている。
「怪我が治ったら、また剣の稽古つけてくれる?」
「おう」
その言葉に、ブレイズは迷うことなく頷いた。
「その気があるなら、いくらでも付き合ってやるよ」
ブレイズは知らない事情ですが、路地裏の闇商人にも「病気の我が子の治療費が嵩んで手段を選ばず金を稼ぐ必要がある(あった)」みたいな事情持ちはいるわけで。
そういうのが今回の件を聞いたら、そりゃ怒りのままに散々痛めつけた上で再発防止のため息の根を止めるくらいするよね、ということを書くタイミングがなかったのでここに書いておきます。




