94. かつての名前
大晦日でもろもろあるのでちょっと早めに更新しました。
誤字とかわかりにくい表現とかは後日なんとかします。
目覚めた翌日、その早朝。
ギルドの敷地にある鍛錬場に、怒鳴り声と悲鳴が響いた。
「鍛錬まで許可した覚えはねえぞこのバカが!」
「いでででで」
額に青筋立てたセーヴァに腕の関節を極められて、ブレイズは素振りに使っていた木剣を地面に落とした。
さすが医者だ、どこをどうすれば痛いのかよくわかっている。
「あのな、お前は三日とはいえ寝たきりで筋力落ちてんだよ。まずは日常生活から慣らしてけっつっただろ」
「だって素振りは毎日やってたし……」
「あ?」
「なんでもない」
腕を掴む手に力が入ったので引き下がる。
引きずられるようにしてギルドの建物へ戻ると、支部長がギルドを開ける準備をしているところだった。
正面出入り口の扉を開けてから、支部長はブレイズを見て、呆れたようにため息をつく。
「セーヴァがいきなり飛び出してったから、何事かと思ったら……」
「支部長、こいつベッドに縛り付けていいですか」
「次やったらそうしなさい」
その言葉に頷いて、セーヴァがブレイズの腕から手を離した。
じろりとこちらを睨みつける目が、「次はない」と雄弁に語っている。
ブレイズだって別にセーヴァの言葉に逆らったつもりはなくて、単に日課の鍛錬が日常生活の範疇に入ると思っていただけなのだが……。
(言っても怒られるだけだろうなあ)
これ以上セーヴァを怒らせたいわけでもないので、その言い分は飲み込んでおく。
彼は夜間にラディとウィットの様子を見ているため、これから寝るところだったはずだ。つまり、いつもよりキレるまでが早い。そっとしておくのが賢明である。
今度こそ寝るために、セーヴァは二階の自室へ戻っていった。
その背を見送ったところで、こつん、と出入り口の扉を叩く音がする。
「あー……出直したほうがいいかね?」
振り返ると、国軍のレスター隊長が気まずげに立っていた。
◇
レスターは、ブレイズを訪ねてきたらしい。
応接スペースへ案内すると、彼は手に持っていた何かの包みをテーブルに置いた。
ごとり、と重たい音がする。
「これは?」
「きみの忘れ物だよ」
そう言って、レスターが包みを開ける。
その中には、折れて剣身が半分になった剣があった。
ブレイズの――いや、ジルの形見の剣だ。
「すまない、鞘と剣先は見つかっていない」
「いや……ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。ここ数日、あの……『白の小屋』といったか、あの辺りを調査していてね。たまたま見つかったものだから」
渡せてよかった、と穏やかな表情で言うレスターに、ブレイズは深く頭を下げた。
ラディとウィットの容態を気にするかたわら、ずっと心の隅に引っかかっていたのだ。半分だけでも、戻ってきてよかったと思う。
「それにしても、調査って……大丈夫だったんすか?」
「最近は襲撃も落ち着いてきた。肉食獣に注意はいるが、国軍も魔物の討伐はそれなりに数をこなしている。危ない場面はなかったと聞くよ」
「いや、肉食獣じゃなくて……」
「……ふむ」
レスターはブレイズをじっと観察するように見て、何かを納得するように小さく頷いた。
「その様子だと、やはりあの小屋で何かあったのだね?」
「あったっつーか、いたっつーか……」
「よければ聞かせてくれないか。もうしばらく南の防壁にいる予定なんだ、危険があるなら知っておきたい」
別に隠す理由もないので、ブレイズは覚えていることをひと通りレスターに話して聞かせた。
あまり筋道立った説明はできなかったと思うが、レスターはこちらに礼を言って防壁へ戻っていった。
目に見えない『何か』が嵐のように暴れていた――というでたらめのような話だが、彼は信じたようだ。
というのも、ブレイズたちを保護した際、白の小屋の周辺がめちゃくちゃになっているのを国軍の兵士たちが見たらしい。
ブレイズたちの怪我が酷かったのもあって、「魔境ならそういう生き物がいてもおかしくない」と思われたようだ。
(『あれ』は、そういうのじゃなかった気もするけどな……)
ブレイズはそう思ったが、うまく言葉で表現できそうになかったので黙っておいた。
……ウィットのことも、どう説明すればいいかわからなかったので、わざと話から省いた。
(さすがにそろそろ、あいつから話を聞かねえと)
そう思うものの、当のウィットはいまだ目を覚ましていない。
目覚めたばかりの彼女に詰め寄る気もないので、話を聞くのは当分先になるだろう。
ふ、と息をついて、テーブルに置きっぱなしにしていた剣を拾い上げる。
これはとりあえず自室に置いて、それから、ふたりの様子を見に行くことにした。
◇
いまだ目覚めないラディの、白い顔を覗き込む。
まつげにかかる前髪を払ってやってから、ブレイズはベッドの横まで椅子を持ってきて腰を下ろした。
口元に手を当てて、弱くとも息をしていることにほっとする。
ウィットのほうは、この部屋に来る途中、軽く顔を見てきた。
あちらを心配していないわけではないが、やはり致命傷だったという相棒のほうが気にかかる。
(そういや、こいつが大怪我するのは初めてか)
正確に言うなら、十四年前に拾われたとき以来初めて、だ。
あのときは彼女のほうが先に目覚めていたので、こうして大怪我をした姿を、ブレイズは初めて見たということになる。
だから、こんなに心配なのかもしれない。
「……あのとき、お前もこんな気持ちだったのか?」
もう目覚めなかったらどうしよう。
不安で不安で、仕方がない。
それで実際目覚めたら、自分は記憶を失っていたわけで。
あのとき彼女がどんな思いをしたのか、想像するだけで罪悪感が募る。
「『お前は誰だ』なんて、言われたくねえよなあ……」
思った以上に弱い声が出て、ブレイズは口元に自嘲の笑みを浮かべた。
なんだかんだ、ジルの剣とこの相棒を支えに生きてきた自覚はある。どちらも失ってしまえば、自分の強さなんて、この程度なのだろう。
「ラディ、ラディ……」
無性に名前を呼びたかったし、呼ばれたかった。
それだけで、もう一度立ち上がるくらいはできる気がした。
そういえば――『自分』が十四年前に初めて目を覚ましたあのとき、彼女は最初に何と言ったのだったか。
(確か――)
「……ジェス、ティ?」
声が聞こえて、息を呑んだ。
過去に飛んでいた意識が引き戻される。
ベッドの上を見れば、先ほどまで眠っていたラディが、眩しそうに目を瞬かせていた。
「ラディ!」
反射的に彼女の名前を呼ぶと、ラディは少しだけ視線をどこかへ彷徨わせてから、こちらへ向けて小さく笑った。
「……ああ、『ブレイズ』」
かすれた声で呼ばれて、胸の中を安堵が満たす。
よかった。忘れられていなかった。
忘れている側のくせに身勝手だと自分でも思うが、きちんと戻ってきてくれたことが嬉しくてたまらない。
続けて何か言おうとして、ラディがけほりと咳をした。
「み、ず」
「ああ、ちょっと待ってろ」
カチェルに用意してもらおうと立ち上がったところで、ベッドサイドに白い吸い飲みが置かれているのに気づく。
持ち上げると中にはたっぷりと水が入っていて、これでいいかと椅子に座り直した。
ひび割れた唇に吸い飲みの口を当てると、ラディの喉がゆっくりと動く。
数分かけて喉を潤したラディに、ブレイズは「なあ」と声をかけた。
「さっき言ってたの、俺の名前か?」
「え?」
「ジェス……なんだっけ。昔も言ってたろ、あれ」
「ああ……」
ラディは懐かしそうに目を細めて、ブレイズを見る。
「ジェスティ。名前、ではなかったけど……あなたは、そう呼ばれてた」
「そうか。……お前は、なんて呼ばれてたんだ?」
「わた、し?」
「そ、お前」
ブレイズが首肯すると、ラディは少しぼうっとした表情をした。
目覚めたばかりだからか、いまの彼女はどうも言葉がふわふわしている。
昔の、妹のように思っていた頃の彼女だ。
ラディはぼんやりとした瞳で、とろりと笑った。
「……スェルミ。スェルミって、呼ばれてた」
「スェルミ、か」
口の中で転がしてみると、その単語は不思議と舌に馴染んだ。
確かに昔、自分は何度もそれを口にしていたのだろう。
「……ラディ?」
急に静かになったラディを見ると、彼女の瞳は閉じられていた。
すうすうと小さな寝息が聞こえる。
頬にはわずかに赤みが差して、本当にただ眠っているだけのように見えた。
この様子なら、もう大丈夫だろう。
なんとなく、そう思う。
ブレイズは立ち上がった。
一度目覚めたことを、カチェルかセーヴァに知らせないといけない。
「今度は、ちゃんと覚えとくよ」
次に彼女が「ジェスティ」と呼んだとき、「スェルミ」と呼び返してやれるように。
彼女が呼んでくれるなら、覚えていない昔の名前だって、構わなかった。
「年内に第一部が完結すればいいなあ(希望)」←しなかった
たぶんあと1~2話で終わって、残りの幕間とかは後日談に回すと思います。
本年の更新は以上で終了となります。
今年もお付き合いくださりありがとうございました!




