91. 折れた剣
活動報告でお知らせした通り、仕事が立て込んだ関係で遅れました。
次回とその次までは金曜更新の予定でがんばります。
ウィットが白の小屋へと駆けていく。
その足元で地面が弾けるのを、左右に跳んで回避して。
右手の剣で虚空を切り刻みながら、時折、何かを避けるように頭を低くする。
「……まさかあいつ、見えてんのか?」
子供の動きを見て、ブレイズは小声でつぶやいた。
かもしれない、と隣でラディが同意する。
先ほどまでと同様に、周囲の木々は何かに蹴りつけられているような揺れ方で震えている。
ウィットの足元が何度も弾け飛んでいることからしても、こちらに見えない『何か』は、ウィットへ向けて同じような攻撃を仕掛けているのだろう。
ブレイズが剣で防ぐしかできなかったそれに、ウィットが足を止めている様子はない。
見えているか、そうでなければ別の手段で、攻撃を察知していなければできない動きだ。
「それに、あの瞳」
「……ああ」
ラディの言わんとしていることを察して、ブレイズは頷いた。
あれは、例の異能を発動しているときの目の色だ。
どういう理屈で目の色が変わるのかはわからないが――『目』が変わるということは、見えるものも変わっているのではないだろうか。
「俺らのこと、見えてねえのかもな」
ブレイズが声をかけても、ラディが目の前に氷壁を生み出しても、ウィットはこちらに一瞥すらくれなかった。
そういえば、この森で初めて彼女に遭遇したとき、あの目はぼんやりとこちらへ向いていただけだったか。
「手を出しにくいな」
ウィットをもどかしそうに見つめながら、独り言のようにラディが言う。
守るための氷壁すら当人に斬られてしまっては、それ以上何もしてやれない。
魔術で援護をしようにも、相手の位置がわからなければどうしようもなかった。
ブレイズだって同じだ。
止めたいのは山々だが、いまのウィットに下手に近づいたら、周囲と一緒くたに斬られかねない。
彼女があの異能を発動している以上、こちらの剣では防ぐことすらできないだろう。もろとも斬られておしまいだ。
あの子供に、自分たちは何もしてやれない。
見ているしかできない歯がゆさに、ブレイズは右手の剣を握りしめる。
ウィットの足が、白の小屋まであと数歩の位置までたどり着いたところで。
――けほっ。
小さな咳込みの直後、子供の体が上空へ跳ね上がった。
「え?」
空中でまた別の方向へ体が飛んで、勢いよく地面に叩きつけられる。
そこでようやく、ブレイズたちはウィットが攻撃を食らっているのだと気がついた。
「ウィット!!」
倒れ伏すウィットの周囲に、ラディが再び氷壁を作り上げる。
相棒の隣から、ブレイズも剣を片手に飛び出した。
不可視の打撃を、剣で軌道を逸らして凌ぐ。
ほとんど勘だ。以前、風の魔術で似たような攻撃をする剣士と戦った記憶もある。風の動きから、なんとなく察せないこともない。
それでも完全に防げるわけではなく、何発か重いのを喰らってしまった。
急いでウィットのところへ転がり込んで、ラディが作った氷壁の陰でひと息つく。
「ウィット、大丈夫か?!」
ウィットは地面に伏したまま、げほげほと咳き込んでいる。
ひとまず息はできていることに、内心でほっとした。
呼吸が荒いのは、打撃のせいだけではないだろう。
おそらく息切れ、体力切れだ。どこから走ってきたのかは知らないが、人間、全力で走り回れる時間はそう長くない。
そうやって声をかけている間にも、ラディの作ってくれた氷壁にはどんどんヒビが入っていく。
この壁も長くもたないと知っているブレイズは、左腕でウィットを抱えると、氷壁の陰から飛び出した。
走るブレイズの周囲に向けて、ラディが魔術で作った氷の錐をいくつも撃ち出す。
それらは空中であっさり叩き落とされるが、そのぶん、ブレイズへの攻撃は減った。
減っただけで皆無になったわけではないので、残りの攻撃はこちらで凌がないとならないが。
「ぐっ」
剣で捌ききれなかった打撃が脇腹に入る。
ウィットを落としそうになったが、なんとか耐えた。
援護のかたわら、ラディがブレイズの近くへ氷壁を作ってくれる。
そこで一度、ウィットの体を地面に下ろした。
強引に抱えて走ったせいか、ウィットがまた咳き込んでいる。
「もう少しだけ我慢しろよ」
ささやくように言って、ブレイズはウィットを抱え直した。
ブレイズが小休止を取っている間も、ラディは氷の錐を撃ち続けている。
あちらもそろそろ限界だろう。無尽蔵ともいえる魔力量を持つとはいえ、それを魔術の形に編むのは精神力がいるのだ。
ブレイズが足を踏み出したのとほぼ同時、ラディのすぐ隣にあった細い木がへし折れた。
「……っ!」
ラディは素早くそちらへ氷壁を作り出す。
しかし、とっさに作った壁は薄く、彼女は壁ごと横殴りに吹き飛ばされてしまう。
「ラディ!!」
ブレイズは真っ青になって相棒の名を叫んだ。
氷壁を割るような打撃を受けては、細身の彼女などひとたまりもない。
ラディが攻撃を喰らったせいで維持が甘くなったのか、盾にしていた氷壁が砕け散った。
降ってくる氷片を避けたところで、頭上に何かが振り上げられたのを感じ取る。
避けるのは間に合わないと判断して、ブレイズは右手の剣をしっかりと構えた。
直後、剣に強い衝撃が走る。
片腕だけでは支えきれないほどの力強さだ。受け止めることはできなかっただろう。
(軌道を逸らすだけなら、なんとか――)
ブレイズが思った、その直後。
目の前の刃に、ヒビが入った。
「――え」
刃が毀れる。ヒビが剣身に入り込む。
何が起こっているのかわからず、呆然と見ていると。
剣が、半ばから崩れるように折れた。
次の瞬間、剣を構えていた右の肩に激痛が走る。
ウィットを抱えたまま地面に転がったブレイズは、そこでやっと、自分が打撃を受けたのだと理解した。
(剣、は……)
肩が痺れて、右腕がうまく動かない。
なんとか視線を向けた右手が、折れた剣を握っている。
(ジルの、剣が)
目にしている光景が信じられない。
呆然とするブレイズを、いくつもの打撃が襲った。
「ぐぁっ……!」
折れた剣を握りしめたまま、ブレイズは胸元にウィットを抱き込んだ。
黒髪の頭を庇った腕の骨が、重い一撃にみしりと軋む。
(どうすればいい……?!)
剣が折れたショックでいっぱいになりそうな頭を、ブレイズは必死で動かした。
ウィットだけでもなんとか逃してやりたいが、剣のない自分など、こうして盾になってやることしかできない。
(ラディ――)
内心で相棒にすがったそのとき、視界を白い光が灼いた。
――ドォォ……ン……ォォン……
耳がおかしくなりそうな轟音。
聴覚が麻痺したのか、途中から、音が妙に遠く聞こえる。
目の前の白が薄れて戻ってきた視界の端に、よろよろと立ち上がる女の姿があった。
ラディだ、と。
痛みで散りそうな思考で、ブレイズはそれだけを思う。
夜空色をしたラディの髪。その周囲に、小さな火球がいくつも浮かぶ。
苦しげな表情で、彼女は唇を動かした。
「い、けっ……!」
その一言を合図に、火球が一斉にこちらへ飛んでくる。
ブレイズたちの頭上で弾けて、パン、と軽い音がいくつも響いた。
その下で、ブレイズも落ち着きを取り戻していた。
ジルの剣が折れてしまったのはショックだが、それについて考えるのは後回しだ。
とにかくいまは、なんとかラディのところまで、ウィットを引きずっていかなければ――。
体を起こしかけたところで、ひゅ、と風を切る音がした。
一瞬遅れて、真横から殴りつけるような強風。
「うおっ?!」
風にあおられて、ブレイズはウィットを抱えたまま地面を転がっていく。
ごうごうという風の音の向こうで、木がみしみしと悲鳴を上げるのが聞こえた。
転がる途中、とがった小石の上に腕が乗ってしまって痛い。
なんとか回転の止まったところで、ブレイズは顔を上げ――目にした光景に言葉を失った。
周辺の木々が、軒並みへし折れている。
ブレイズとラディが最初に盾にした、太くて丈夫そうだと思った木も、無残な姿になっている。
少し離れた場所にある木は、その幹に大きな傷がついていた。
まるで、武器を真横へ思い切り薙ぎ払ったあとのようだ。
そんな感想を抱いた直後、ブレイズはそこに相棒の姿がないことに気がついた。
「ラディ……ぐっ!」
身を起こそうとして、力を込めた腕に激痛が走る。
肩や背中まで響くような痛みに、ブレイズは再び地面に転がった。
(ラディは……?)
なんとか体をひねって、顔だけ相棒のいた場所へ向ける。
しかし、そこに彼女の姿はない――。
「ぐ……っ!」
ブレイズの背中を、打ち下ろすような衝撃が襲う。
ウィットを体の下に庇いながら、ブレイズは深い無力感に打ちのめされていた。
剣がない自分は、ここまで何もできない男だったのか。
いいように転がされるしかなくて、遊びで蹴り回される石ころにでもなった気分だ。
(剣が、欲しい)
そう、強く思った。
ジルと同じ型でないと使えないだとか、そんな選り好みなどしていられない。
王都で武器職人のシルビオから指摘されたとき、もっと真面目に受け止めておくんだった。
何でもいいから、剣が欲しい。
この際、木剣だって――いや、棒きれだって構わないから。
(剣が一本あれば、俺は――)
そのとき。
ブレイズの目の前を、刃が通り過ぎていった。
腕の中のウィットが、緑色の強い目で、虚空に切っ先を突きつけている。
それを認識していながら、ブレイズの意識はそちらではなく、彼女の握る剣へと向いていた。
(剣だ)
頭の中にあるのは、それだけ。
剣が欲しいと強く願った男の、その目の前に剣が現れたのだ。
どうするかなんて決まっている。
衝動に駆られるまま、ブレイズはその剣を手に取った。
やけに重いというか、柄を誰かに引っ張られているような感覚がある。腕を痛めているせいだろうか。
しかし、痛くとも動くなら構わない。剣が振れるなら。
「……っらぁ!!」
上体をひねって、ブレイズは手にした剣で頭上を薙いだ。
そこに、何かがあると思ったわけではない。
ただ、剣の切っ先が向いていたから。
剣がそこを斬りたがっているのだろうと、そう思っただけだった。
ブレイズの目には虚空にしか見えないそこへ、刃が通る。
何かを確かに斬った手応えと同時、剣がふっと軽くなった。
その、直後。
霧が晴れるように、まわりの空気が変わっていく。
森に満ちていた異様な気配が、吸い込まれるように去っていった。
――白の小屋の、開かずの扉の奥へ。
「なんだったんだ……」
ぼやくブレイズの手から力が抜けて、剣がこぼれ落ちた。
例の気配が去ったためか、ずっと張りつめていた神経がゆるんでしまったらしい。
(いや、まだだ)
まだ、ラディの姿を見つけられていない。
彼女を見つけて、怪我の具合を見て、ウィットと三人でファーネに――。
そう思っているのに、ゆるんだ神経が戻る気配はない。
自分の意識が、だんだん薄れていくのがわかった。
(ラディ、は――)
意識が深いところへ落ちていく。
最後に見たのは、どこか安心したように眠るウィットの顔だった。
ここで剣をブチ折るために2章で甘えたことを抜かさせました。
ただ当人が折り合いつけるべきことに周囲がワーワー言っても仕方がないというスタンスなので、以降も特に険悪な空気にはならない予定です。




