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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
3:ファーネの墓守
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90. 気配の主

 ――その、咆哮とも衝撃ともつかない『何か』に晒されて。

 森の中を走っていたブレイズとラディは、思わずその場に足を止めた。


 周囲の木々が、まるで生きているかのようにざわめき、音を立てて枝葉を揺らす。

 枝に止まっていた鳥たちが、一斉に空へと飛び立っていった。


「なんだ……?」


 ラディが不安げに眉を寄せて、恐る恐る周囲を見回す。

 そんな彼女の数歩先で、ブレイズは額に冷や汗を浮かべていた。


(あいつだ)


 ウィットを拾った、あの雷雨の夜に、森を支配していた気配。

 あれ以来まったく出てこなかったので、どこかへ去ったか、ひょっとしたら自分の気のせいだったかと思いかけていた。


(ウィットが森に入ってるときに、か)


 この気配の主がウィットだとは思えない。

 あの夜に彼女がまとっていたのは、もっと別の、無機質な雰囲気だった。

 だが、もしかしたら何か関係があるのかもしれない。


「――イズ、ブレイズ?」

「あ、悪い」


 ラディの呼びかけで我に返った。どうやら考え込んでしまったらしい。

 心配そうに見上げてくる相棒に「大丈夫だ」と言って、ブレイズは周囲を見回した。


 森は静まり返っている。先ほどのざわめきが嘘のようだ。

 しかし異様な気配は消えることなく、いまも森に満ちている。


「ウィットは無事かな」


 息をするのもためらうような空気の中、ラディがぽつりと呟いた。

 そうだ、ウィットと子供を連れ戻しに来たんだった。

 ラディがちらりと視線を向けてくる。


「どうする?」

「そうだな……」


 いま最優先ですべきは、ウィットを探すことだ。

 だからひとまず、森の東側へと向かっていたわけだが……。


「……この気配、ウィットと森で出くわしたときと同じやつだと思うんだ」

「あの、『得体のしれない何かがいた』って言ってたやつか?」

「ああ」


 肯定すると、ラディは少し考える様子を見せて。


「……この気配の原因がウィットだとしたら、気配をたどっていけば会えるかもしれない」

「確かにな」


 この気配がウィットと関係あるものならば、その近くに彼女がいる可能性は高い。

 無関係だったら無駄足になってしまうが――。


「賭けるか」

「一応、二手(ふたて)に分かれることもできるけど?」

「やめとく。腹空かせた肉食獣がごろごろしてんだ、一人で歩いてて群れで襲われたらまずい」


 そうだな、とラディが頷いた。本当に『一応』聞いただけだったらしい。


「それで、気配の出どころに心当たりはあるのか?」


 相棒の質問に、今度はブレイズが頷いた。

 気配の濃い方角からしても、おそらく間違いないだろう。


「――白の小屋だ」



 ◇



 それから一度も獣の襲撃を受けることなく、ブレイズたちは白の小屋までたどり着いた。

 普段なら考えられないことだが、いまの森の雰囲気ならおかしくないと思ってしまう。


 相変わらず、小屋の周辺に生き物の気配はないようだった。

 この異様な気配に怯えて、どこかへ逃げ去ってしまっただけかもしれないが。


「ウィットは……いねえか」

「小屋の中かもしれない」


 ラディが小屋へ向かって足を踏み出す。

 その瞬間にわかに嫌な予感がして、ブレイズはとっさに彼女の腕を掴んだ。


「ブレイズ?」


 (いぶか)しがる相棒を、何も言わず引き戻す。

 その直後、彼女の足があった場所を何かがえぐった。


「え?」

「――下がるぞ!」


 何が起こったかわからず、目を見開くラディ。

 彼女の腕を掴んだまま、ブレイズは森へ逃げ込むべく(きびす)を返した。


 周囲の木々が揺れ始める。震えるように、断続的に。

 木の幹に蹴りを入れたときの揺れ方に似ている――そう思ったのと同時、近くに生えていた木の樹皮が弾け飛んだ。


(何が起こってるんだ?)


 目の前で、木の幹に大きな傷がつく。

 反射的にラディを森へ突き飛ばし、振り返りながら構えた剣に強い衝撃。


(なんだよ、これ?!)


 両手で剣を支えながら、ブレイズはひどく混乱していた。


 何かに攻撃を加えられている、というのはわかる。

 しかし、その『何か』の正体がわからない。

 ブレイズは目がいいほうだが、その視力をもってしても、相手の姿をとらえられないのだ。


 何度も剣に衝撃が走る。

 受け止めることしかできないでいると、急に周囲の空気が冷えた。

 ぱきん、と足元でかすかな音がする。


「捕らえた!」


 ラディの声が聞こえた直後、目の前に分厚い氷の壁が現れた。

 同時に、それまで続いていた剣への衝撃もなくなる。

 ほっと息をついて剣を下ろした直後、ブレイズは自分の目を疑った。


 氷壁の中心に近いところに、丸い穴が開いている。

 人間の胴回りに近い大きさで、その先には白の小屋が見えた。

 なのに、穴の周囲から白くヒビが入って、氷壁全体へと広がっていく。


 何もないはずの穴の内側から、何かが力を加えている。


 見る見るうちに、半透明だったはずの氷壁は、ヒビに覆われて白く濁ってしまった。

 ピシリと音を立てた直後、粉々に砕け散る。

 何かを振り回したような風が巻き起こって、近くの灌木(かんぼく)が吹き飛ばされた。


「おっと」

「ブレイズ、こっちだ」

「おう」


 ぎりぎりで後ろに飛び退いて難を逃れたブレイズは、ラディの声がけに応じてそちらへ駆け寄る。

 太くて丈夫そうな木を選び、二人でその陰に引っ込んだ。盾にくらいはなるだろう。


「見たか、さっきの」


 小声で聞くと、ラディはこわばった表情でこくりと頷いた。


「間違いなく、氷の壁で捕まえたはずなのに……」


 ブレイズもそこは疑っていない。

 あの氷壁が砕け散るまでの間、確かにこちらへの攻撃は止んでいたのだ。


 ブレイズの剣を打ち据えていた『何か』を氷壁に閉じ込めた、その結果があれだということは――。


「何も見えなかったのは、動きが速いとかじゃなくて……そもそも見えねえ奴だったからか」


 信じられないことだが、実際この目で見てしまったのだから認めるしかない。


 目の前には、不可視の肉体を持った『何か』がいて。

 その『何か』は、なぜか白の小屋の周辺で暴れ回っている。


「どうすっかな……」


 自分たちだけでは手に余る相手だ。

 姿が見えなくとも、殺すだけなら色々とやりようがある。ラディが周辺一帯を焼き払うとか、水没させるとか、氷漬けにするとか。そのくらいの魔力はまだ残っているだろう。


 しかし、そもそも自分たちの目的はウィットたちの保護なのだ。

 あれ(・・)を殺すことにこだわる必要はないし、もしもウィットが白の小屋の中にいた場合、巻き添えにしてしまう可能性が高い。


 ふと、ラディが眉をひそめた。


「……ブレイズ。音、止んでないか」


 言われて木の陰から小屋を窺ってみれば、いつのまにか、あたりは静けさを取り戻していた。

 揺さぶられていた木々はもう揺れておらず、嵐のような風圧も感じない。


 ただ、異様としか表現できない気配だけは、変わらずその場に満ちている。


「俺らが離れたからか?」


 かもしれない、とラディが頷いた。


「小屋に近づかなければ何もしない、ということかな」


 だとすれば、この近くにウィットはいないのかもしれない。

 あてが外れたか――そう思ったのとほぼ同時。


 離れた位置にある茂みから、音を立てて何かが飛び出した。


「あれは――」

「ウィット!!」


 相棒の声をかき消すほどの大声で、ブレイズは飛び出した子供の名を叫ぶ。


 一直線に、白の小屋へと駆けていく黒髪の子供。

 抜き放った剣や服のあちこちに、赤黒い血がにじんでいる。


「ウィット、ダメだ! 近づくな!」


 ブレイズが制止のために声を上げるが、ウィットが立ち止まる様子はない。

 まったく聞こえない距離ではないはずだ。なのに、こちらへ目を向けることすらしない。


(なんだんだよ……!)


 さっきから混乱しっぱなしだ。

 わからないことばかりの状況に苛立って、ブレイズはぎしりと奥歯を鳴らす。


 新たな侵入者に気づいたのだろう、再び周囲の木が揺らされはじめた。

 地面がえぐられ、強い風が巻き起こる。


「間に合えっ……!」


 ブレイズの隣から、ラディがウィットの方へと手をかざした。

 走るウィットの前方がきらきらと輝き、彼女を守るように、行く手を阻むように、氷の壁が作られる。


 ――ウィットは右手に握っていた剣で、その壁を横に斬り裂いた。


「え」


 ラディが小さく声を上げた直後、斬られた氷壁の上半分がふっ飛んでいく。

 何かに弾かれたようなふっ飛び方だった。弾いたのはウィットではなく『あれ』のほうだろう。


 周囲に飛び散る氷の欠片を紙一重で避けて、ウィットは再び走り出す。


 風で巻き上がった前髪の下で、その両目は緑色に光っていた。

ここ1ヶ月ほど更新日時を金曜夜にしていたのですが、水曜日くらいには書き上がってて「これもう更新できるんだけどなあ」と思いながら寝かせておく週が多かったのでどうしようかなーと考え中です。

ひとまず年内(93話くらいまで)はこのままの予定ですが、年明けからはまた考えたいと思います。朝更新はやめるかもしれない。

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