88. 報せ
一瞬だけ主人公視点に戻ります。
「ウィットが森に入ってったぁ?!」
その報せを聞いて、ブレイズは思わず声を上げていた。
それなりに大きい声だったようで、周囲の兵士たちが何事かとこちらを見てくる。
ルシアンがにっこり笑って「大丈夫です」と告げると、彼らは照れたように視線をそらした。男所帯で美少女顔に耐性がないらしい。
ブレイズが兵士たちに袋叩きにされそうな感想を抱いていると、リカルドが顔をしかめて口を開いた。
「確かなのかい?」
「確かではない、が……状況からすると、その可能性が高い」
報せを持ってきたセーヴァが、こちらも眉間にしわを寄せて答える。
この男が不機嫌そうなのはいつものことだが、いまは表情に焦りの色があった。
セーヴァの話した事情はこうだ。
ファーネに住んでいるどこぞの子供が、怪しい男にそそのかされて、どこかへ向かわされたらしい。
それをウィットと青果店の娘が目にしてしまい、ウィットが連れ戻しに行ったそうだ。
青果店の娘――確か、チェルシーとかいう名前だったか。その娘の聞いた限りだと、男たちは南の防壁に開いた穴をくぐるように指示していたという。
なら行き先は魔境の森、というわけだ。
話を聞いて、ブレイズは防壁を振り返った。
「穴なんてあったか? 国軍ってか、レスターさんが修繕してたんだろ」
「なくても作ることはできるだろ」
セーヴァが言って、ラディとリカルドに視線を投げる。
ふたりとも、「できなくはない」と頷いた。土の魔術であれば、不可能ではないらしい。
「場所と大きさによっては、修繕を後回しにしていた可能性もあるしね」
リカルドが、そう補足する。
確かに、修繕が完了したとは聞いていない。手をつける前にリド・タチスの開花が始まってしまったのなら、放置するしかなかっただろう。
ブレイズが納得したところで、セーヴァが続けた。
「青物屋の親父がギルドに駆け込んできたのが、いまから三十……そろそろ四十分近く前になる。親父のところまで娘が戻るのにかかった時間を考えれば、もう一時間くらいは過ぎてるんだ」
「……けど、ウィットは戻ってないんだな?」
確認するようなラディの言葉に、セーヴァは「そういうことだ」と頷く。
街中で子供を捕まえられたなら、ウィットはもうギルドに戻ってきているはずだ。
それが戻っていないということは、彼女もこの防壁を抜けて、森の中まで子供を追っていった可能性が高い。
(いまの――腹空かせた肉食獣が、そこらじゅうにいる森に?)
想像して、自分の顔から血の気が引くのがわかった。
ちらりと隣を見れば、ラディの顔もこわばっている。
リカルドとルシアンの顔色も悪い。
セーヴァも含め、全員が黙り込んだタイミングで警鐘が鳴った。襲撃だ。
いつもなら駆け出していくところだが、この話を放り出すことはできない。
「悪い、ちょっと遅れる」
近くを駆けていく兵士のひとりに声をかけると、兵士は軽く手を挙げて応じた。
とりあえず、防壁にはこれで話が通るだろう。
「街の領兵には?」
「屯所には、もう話が行ってるはずだ。いまだと、総出で街を探し回ってる頃だろうな」
ルシアンの質問にセーヴァが答えていると、街のほうから「先生!」と呼ぶ声がした。
こちらに走ってくる青年は、出で立ちからして街の巡回をしている領兵のようだ。
「見つかったのか?」
「いや、子供らはまだ。というか先生、やっぱあいつら森に入っちまってるよ。穴が見つかった」
「どこだ?!」
ブレイズが割り込むと、領兵は驚きつつも答えてくれる。
「ここからしばらく東に行ったとこだ。山の裾にかかったあたりだな。子供が通るくらいはできそうな大きさだったよ」
「ウィットも通れる大きさだったのか?」
ラディが疑問を口にすると、領兵は首を横に振った。
「ウィットは無理だと思う。でも、その穴の近くの壁に、真新しい傷がついてたんだよ。こう……剣でがりってやったようなのが二本。目印でもつけたんじゃないか?」
「確かに、剣は持たせたな」
つぶやいたのはセーヴァだ。
もし壁に傷をつけたのがウィットなら、彼女はそこまでたどり着いた――そこまで子供を捕まえられなかった、ということになる。
「あのへんまで行ったなら、そのまま東の山に少し入れば壁の端まで行けなくもない。だんだん低くなるから、適当なところで壁を乗り越えることもできるだろうし」
「つまりウィットが戻ってないということは、回り込むか何かして……」
「うん、森に入っちまったんじゃないかって。一応、近くの猟師さんたちに声かけて、捜索はしてもらってる」
「マジかよ……」
ブレイズはがりがりと頭をかいた。思ったより多方面にご迷惑をおかけしていやがる。
話を聞いた限り、そそのかされた子供の身を案じての行動だろうが……。
(自分が心配される側になってどうすんだ)
頭を抱えていると、防壁の見張り塔からレスターが出てきた。
あまりに遅いので様子を見に来たのだろう。
「どうかしたのかね?」
怪訝そうなレスターに事情を話すと、彼は渋い表情をした。
「防壁の補修は、確かに間に合っていないが……。獣が入ってくるならともかく、まさか子供が抜け出すのに使われるとは」
「まあ、子供をそそのかした連中が穴を開けた可能性もあるんで」
「それはそれで許しがたいな……いくらかかったと思ってるんだ」
毒づいてから、レスターは気を取り直した様子で「それで」とこちらを見る。
「子供を追いかけていったギルドの手伝いというのは、戦えないのだね?」
その問いに、ブレイズたちは揃って頷いた。
「野犬の一匹くらいならなんとかなるでしょうけど、森の獣相手は厳しいっすね」
「では保護に向かうべき、と。いま起きている襲撃が収まれば、南門の周辺には兵士を出せるが……子供らの使った経路を考えると、より東側を探す必要があるな」
ブレイズがラディに視線をやると、こちらを見上げていた彼女と目が合った。
その目に同じ意思を見て取って、レスターに言う。
「俺らに行かせてください。たぶん、この中じゃ一番森を歩き慣れてます」
「それが無難だろうね」
真っ先に同意したのはリカルドだった。
「私もついて行きたいところだけれど、きみたちほど森に慣れていない。ルシアンもだ」
「……ええ、足を遅らせる要因にしかなりません。置いていってください」
ルシアンも頷いて、ラディへと声をかける。
「ラディ、何かあったときの合図を決めておきましょう。僕は防壁の上にいますから、上空に火球でも撃ち出してもらえれば見えるはずです」
「わかった」
そちらの話は相棒に任せることにして、ブレイズはセーヴァのほうを見た。
「……ってことで、いいよな?」
「ここまで勝手に話を進めておいて、いいもクソもあるか」
セーヴァは呆れた顔でため息をつく。
「……支部長に報告したら、道具持って兵舎の医務室に詰めててやる。怪我人がいたら真っ先に連れてこい」
言うだけ言って、彼はさっさと街のほうへ戻っていってしまった。
レスターが「医務室には話を通しておこう」と言ってくれたので、任せてしまっていいだろう。
「無茶をするんじゃないよ、ブレイズ」
防壁へ報告に向かうレスターの背を見送りながら、リカルドがぽつりと言った。
「私から見れば、きみとラディも十分危なっかしいのだからね」
◇
南門を少しだけ開けてもらい、そこから防壁の外側へ出る。
襲撃してきたのは狼の群れだったらしい。視界のあちこちで、兵士たちがでかい毛玉相手に槍を振り回している。
その中には領主の姿もあった。
領兵たちの指揮は、副官の爺さんがとっているらしい。
「……マジで何しにきたんだ、あのおっさん。暴れに来ただけか?」
「ブレイズ、いまはそれどころじゃない」
呆れを思い切り顔に出したブレイズを、ラディがたしなめる。
「おーい、おふたりさん」
頭上から声が降ってきた。
見上げると、防壁の上からマーカスが顔を出している。ということは、あの近くにケヴィンもいるのだろう。
マーカスはにやりと笑って、親指でくいっと前方を指した。
「どうする?」
「突っ切る。道は……」
ラディを見ると、彼女はすでに魔術を編み始めている。
「こっちで作る」
五分ほどかけて、ラディは魔術を編み終えた。
相棒の目配せを受けて、ブレイズは頭上のマーカスに手で合図する。
彼が顔を引っ込めた直後、防壁の上からケヴィンの号令が響き渡った。
「三班、四班、道を開けろ!!」
目の前で隊列を組んでいた国軍の兵士たちが、駆け足で左右に分かれる。
ちょうど目の前にいた狼の一頭が、これ幸いとばかりに突進してきた。
いつもなら、ブレイズが相棒を庇って前に出るところだが――。
ブレイズの隣から、ラディが一歩進み出る。
右の手のひらを前に突き出して、彼女は静かに魔術を発動させた。
「――いけっ!」
ごう、と強烈な風が、前へ向かって吹き抜けていく。
むき出しの肌を切るような、氷のように冷たい突風だ。
ラディへ飛びかかろうとしていた狼は、その風を真正面から喰らって地面を転がった。
風の中に、大小様々な氷の破片が含まれているのだ。
ある狼は突風に吹き飛ばされ、別の狼は氷片に切り刻まれて倒れ伏す。
ラディの目前まで迫った狼は、喉の奥まで氷が入り込んだのか、口から鮮血を吐いて息絶えた。
火と水と風、三種類の複合魔術。
国軍にも魔術士はいるだろうが、それでも滅多にお目にかかれないだろう、派手な魔術だ。
ひゅう、と誰かの口笛が聞こえる。
「……そろそろか」
魔術の風が途切れた瞬間を見計らって、ブレイズは前へ飛び出した。
すでに剣は抜いている。
血を吐いて息絶えた狼の躯をまたぎ、よろよろと身を起こそうとしている狼の首を刎ねた。
その首が地面に転がるのを待たず、そのまま横を駆け抜ける。
すれ違いざま、ずたずたにされた毛皮の裂け目に刃を当てるくらい、ブレイズには容易いことだ。
進行方向にいる狼たちを次々と斬り捨てながら、森へ走った。
そんなブレイズの数歩後ろを、同じように剣を抜いたラディが続く。
「オーデット、レイリア! ――くたばるなよ!」
森に入る直前、ケヴィンの大声が聞こえたような気がした。




