86. 盗み聞き
前回のあとがきでお話しした通り、本日から試験的に毎週金曜 夜22時更新(努力目標)になります。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
路地の壁にくっついて耳を澄ますと、会話の細かい内容が聞こえてきた。
「……みどりいろの木?」
「そう。葉っぱじゃなくて木の幹が緑色で、横にこう……線が入ってる木があるんだ」
「そういう木を探せばいいのね」
二人の男のうち、少女と話しているのは一人だけのようだ。
もう片方は、周囲を窺うように首を巡らせている。
(下手に覗いてると見つかりそう……)
そう考えてその場にしゃがみ込むと、目の前には路地をこっそり覗き見ているチェルシーの姿があった。
……重たい買い物籠を、音を立てないよう静かに足元に下ろす。
自由になった両手を、目の前の小さな背中にそうっと伸ばした。
彼女の死角ぎりぎりまで近いて――。
「――っ!!」
片手で口を塞ぎながら、小さな体を抱き込むように引き寄せた。
反射的に手足をばたつかせたチェルシーだったが、ウィットの姿を目にすると抵抗が止む。
口を塞いでいない方の手で人差し指を立て、しー、と唇に当ててみせれば、小さく頷きが返ってきた。
この様子なら、いきなり叫ばれる心配はなさそうだ。
ウィットはチェルシーの口から手を離す。
唇の動きだけで「みつかる」と告げて、再び前へ乗り出そうとする肩を引き留めた。
路地の壁にくっつき直して、会話の続きに意識を集中させる。
「……種は、枝の先にぶら下がってるからね。それを、この袋になるべくたくさん入れてきてくれる?」
「わかった。入れたらここに戻ってくればいいの?」
「いや、おじさんは服屋さんの通りをお散歩してるから、そこまで届けてくれるかな? そうしたら、一緒にお店に注文しに行こう」
「うんっ!」
少女の弾んだ声がした直後、男が慌てて「しーっ!」と制止するのが聞こえてきた。
(何の話だろ)
ちょっと聞いた限りだと、どうやら妙な木を探して、その種を取ってくるよう頼んでいるらしい。
園芸屋か造園業者だろうか。植物学者には見えないけれど。
(……いや、あれ?)
植物学者で思い出したのは、王都で話したおっぱいの大きいお姉さん。
彼女に色々と解説してもらったあの植物、考えようによっては――。
「どれが種かわからなかったら、枝を折って、赤いもやもやしたところを丸ごと持ってきてくれればいい」
「わたしに折れるかなあ」
「大丈夫。その木の枝はお花の茎みたいに細いから、お嬢ちゃんでも簡単に折れるよ」
(――リド・タチス!)
緑色の幹に横向きの線、細い枝の先に咲く赤い花。
男の求めている『木』の特徴が、あれなら全て当てはまる。
木ではなく竹だという意識が強くて、すぐには結びつかなかった。
(ってことは……あの子を魔境に行かせる気?!)
その結論に行き着いて、ウィットは血の気が引く思いがした。
南の防壁はいまだに厳戒態勢だ。ブレイズたちだって、まだ帰ってこない。
つまり、魔境の森はいまも危険なままなのだ。あんな小さな子供を、一人で放り込んでいい場所ではない。
(どうしよう、止めないと……!)
焦りながら、ウィットは必死で頭を働かせる。
いますぐ飛び出していって、女の子を止める?
――却下。向こうは二人いる。しかも、何も知らない子供を捨て駒にするような連中だ。あの子を人質に取られて、今度はこちらが脅迫される可能性を否定できない。
不意打ちであの男たちを無力化してから、女の子を止めるなら?
――却下。相手の力量がわからない上に、そもそも二対一では分が悪い。さらに加えて、男たちと女の子の距離が近すぎる。やはり人質に取られる可能性が高い。
(せめて、あの子がもうちょっと離れてくれれば……いや、それでも僕だけじゃ無理だな。領兵を呼びに行って……ダメだ、目を離してる間に送り出されたら探しようがなくなる)
そこで、くい、と小さく服の裾を引かれた。
一瞬だけそちらへ視線をやると、チェルシーがもの言いたげな表情でこちらをじっと見上げている。
(……この子に領兵を呼びに行かせるのはどうだろう)
悪くない、と直感的に思う。
けれど彼女にそう指示するには、やはりこの場から少し離れる必要がありそうだ。でないと、声を聞かれてしまう恐れがある。
(……ダメだ、却下)
離れている間に送り出されたら、そこで終わるのは同じだ。
筆談でもできればよかったけれど、あいにく手元には紙もペンもない。
地面に文字をガリガリ書いたら、おそらく音を聞きとがめられるだろう。
少女の命がかかっている以上、確実でない方法は極力選びたくなかった。
(あの子があいつらから完全に離れるまで待って……それから、あの子を追っかけて捕まえるしかないか)
男たちを見逃すことになってしまうのは歯がゆいけれど、そこはぐっと我慢する。少女の身の安全が優先だ。
(……ブレイズかラディがいればな)
あの二人なら、きっともっとうまくやる。
けれど、いまこの場所にいるのは自分だけなのだ。無いものねだりをしても仕方がない。
「――おじさんたちの探している木はね、南の森にあるみたいなんだ。でも、南の門はご領主様が使っているそうで、いまは通してもらえなくてね。困っていたんだけど……」
やはり、彼らは少女を魔境の森に放り込む気のようだ。
わざわざ領主を持ち出して、危険だと思わせないような言い回しをするのが憎らしい。
内心で歯噛みしていると、話しているほうの男が南に抜ける路地を指で差した。
「この道をまっすぐ行くと、南の壁に突き当たる。そうしたら、左に向かって進んでごらん。壁に小さな穴が開いているから。おじさんたちには小さくて通れないけど、お嬢ちゃんなら通れるはずだ」
「まっすぐ行って、左……うん、わかった」
真剣な表情で、少女はこくこくと頷いた。
……周囲を見回しているほうの男が、こちらをちらちら見ている気がする。気のせいだろうか。
(やーな予感……)
少女の行き先は聞いた。もう、この場所を離れても問題ないはずだ。
チェルシーを促して、できるだけ音を立てずに表通りへ戻る。
通りに人の往来がそれなりにあるのを確認して、ほっと息をついた。ここなら多少は安心だ。
「チェルシー、もう喋っていいよ」
「……っ」
そう告げると、チェルシーは焦った様子で口を開いた。
「ど、どうするの?」
「うん。考えてあるから聞いてくれる?」
その場にしゃがみこんで、少し高い位置にある顔を見上げる。
じっと目を合わせると、チェルシーは真剣な顔をして頷いた。
「まず、あの子はいまから僕が追いかける。どこに行くかは聞いてたからね。追いついて、連れ戻してくるよ」
「……うん」
「チェルシーはお店に帰って、お父さんかお母さんに、ここで聞いたことを知らせてくれる? 途中で領兵さんに会ったら、その人でもいい」
「あのおじさんたちを捕まえてもらうのね!」
「そうだね、できればそうしたい。……あ、僕が追っかけてったことも話しておいてね」
「わかった!」
そこで、買い物籠をあの場所に忘れてしまったことに気がついた。
けれど取りに戻る余裕はないし、見張りをしていたほうの男は、なんとなくこちらに感づいていたような気がする。のこのこ戻って、鉢合わせる危険をおかす理由はない。
(財布は抜かれてそうだなあ……)
まあ、買い物に使う分の金しか入っていない。食材含めてもったいないけれど、諦めるしかないだろう。
「じゃあ、僕はもう行くよ。チェルシーはお知らせお願いね」
言いながら、腰の剣を手で確かめる。
剣を持っているときでよかった。これなら、多少の危険には対処できるだろう。
「あ、そうだ」
走り出そうとして、ウィットはチェルシーのほうへ振り返った。
「チェルシー、あの女の子の名前は?」
「『イヴ』よ。靴屋のイヴ。……気をつけてね、ウィット姉ちゃん」
「……うん、ありがとう」
小さく笑って頷いて、ウィットは今度こそ走り出す。
剣の重さであまり速く走れないことが、少しもどかしかった。




