85. 次の一歩
「いってきまーす」
「気をつけてね」
カチェルと支部長に見送られて、黒髪の子供はギルド支部を出た。
現在『ウィット』と名乗っている少女である。
手には買い物籠、腰には王都で購入したバゼラード。
足は久しぶりの市場に向いていた。
数日前に南の防壁への襲撃が一段落したようで、いまは自衛の手段を持った大人であれば、一人で屋外に出てよいことになっている。
ちなみに、子供は大人の付き添いが必要だ。
ウィットは一応、ぎりぎり、自称だけれど十五歳なので、剣を持てば条件を満たしていた。
中央通りをてくてく歩いていると、前方から歩いてくる領兵と目が合った。
ウィットたちが王都に出かけている間に、ファーネへ配属されてきた人だ。獣の相手に慣れていないので、街の治安維持に回っている。
「こんにちはー」
「ようウィットちゃん、買い物か?」
言いながら、彼の視線が腰の剣に向く。それから、驚いたように小さく目が見開かれた。
「どうしたの?」
「いや、ちゃんとした剣を持たされてるのが意外でさ」
「持たされてるも何も、これ、僕の剣だもん。自分で買ったんだよ」
……ブレイズとラディがたまたま賞金首を捕まえた、賞金のお零れで買えたのは黙っておく。
まあ、手持ちがなくてもきっと、二人に借金して買っただろうけど。
そんなウィットの隠しごとを知らない領兵は、へえ、と感心したような声を上げた。
「剣はブレイズに教えてもらってんの? それともラディさん?」
「だいたいブレイズかなあ。ラディは魔術と合わせて使うから、ちょっと違うし」
「ああ、きれいな顔しておっかない魔術使うんだってな、あの人」
そう言って、領兵はウィットの後方へ視線を投げた。
つられてウィットも振り返る。
南の防壁の上を、兵士たちが蟻のように動き回っているのが見えた。あの中に、ブレイズたちもいるのだろうか。
「……僕も、ついていけたらよかったのに」
ぽつり、口から言葉が転がり落ちた。
もう少し強ければ。
もっと早く、本格的に剣を覚えようとしていれば。
(あの異能を、ちゃんと使えるようになってれば――連れて行って、もらえたのかな)
ファーネに戻ってから何度か試したけれど、あの、全てを裂くような異能が使えたためしはない。
バロウの村の、あの一件が最後だった。
しばらく黙ってウィットを見下ろしていた領兵が、急に彼女の頭に手を置いた。
「馬鹿言うな、ウィットちゃん行かせる前にまず俺らだっての」
「……なんでみんな、何かあると僕の頭を撫でるんだろう」
「あー悪い、ちょうどいい高さにあるから、つい」
「いや別にいいんだけどさあ……」
領兵は笑いながらウィットの髪を手で梳いて、黒の髪から手を離す。
「ま、無茶を考えるなよってことで。俺らが体張るのはお仕事だけど、ウィットちゃんはそうじゃないんだからさ」
見回りの途中だから、と言って、その領兵は去っていった。
ウィットも市場へ買い物に行く途中だったのを思い出し、籠を握り直して歩みを再開する。
「僕はそうじゃない、ねえ……」
彼の言う通りだと、理屈では納得している。
自分はファーネ支部に保護されていて、いまは雑用を仕事として与えられていて、剣はあくまで修行中。
領兵に、ブレイズたちに、守ってもらう立場。そう認識され、そう扱われている。
理屈では納得しているけれど、別のところがしっくりこない。
いまだ欠けたままの記憶が、その空洞が、あそこにお前の役目があると声高に叫んでいる。
(魔境に入るには、もっと強くならないと)
いまの自分では何もかもが足りない。
少なくとも、あの異能が自分の意志で使えるようにならなければ話にならない。
それも理解しているから、もどかしくてしかたがないのだ。
(バロウの村で、ラディは「一歩前進」って言ってたけど――)
――次の一歩は、いつだろう。
◇
食料品の区画に入って、まずは青果店を目指す。
買うのは夕飯の材料だ。カチェルが野菜のポトフを作るので、スープに入れたい野菜を適当にいくつか買ってきて、と大雑把な指定を受けている。
個人的にはキャベツの入ったポトフが好きなのだけれど、まだ店に残っているだろうか。
「ごめんくださーい」
店先で声をかけると、奥から厳つい顔の店主が顔を出す。
彼はウィットの姿を見つけると、後ろに何か声をかけて、自分は引っ込んでしまった。
ややあって、今度は奥さんのほうが出てくる。ウィットを見ると、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「あらウィットちゃん。一人?」
「うん。みんな忙しいからね」
「……ああ、ブレイズくんたちは防壁だっけ。まだ帰ってこないの?」
「いまんとこ、そういう話は聞かないなあ」
話しながら、ポトフの材料になるだろう野菜をいくつか探す。
ウィットの知るジャガイモに似たノリッツ芋は、少し前に支部長が麻袋ごと買ってきてくれたので、それ以外だ。
「人参とー玉ねぎとー、あとキャベツない?」
「酢漬けにしたのならあるよ」
「あー……。ポトフに使いたかったんだけど、まあ付け合せにでもすればいっか。ひと瓶ちょうだい」
ここ最近、パンとスープだけの質素な食事が続いている。
同じ野菜でも、一品多くなれば気が紛れるかもしれない。
本音を言えばそろそろ肉でもがっつり食べたいところだけれど、いまはリド・タチスの影響がどこまであるのかわからないので、控えざるをえなかった。
さすがにトチ狂って防壁に突っ込んできた動物の肉は遠慮したい。
魚の流通も滞っているので、たんぱく質を考えてひよこ豆も買うことにした。
ポトフに入れなくても、あればポタージュか何かにするだろう。
「そういえば、娘さん……チェルシーちゃんだっけ、元気?」
会計してもらいながら話を振ると、奥さんは計算の手は止めずに苦笑いを浮かべた。
「いやあ、例のお人形で色々あってね。へそ曲げて奥に引きこもってるよ」
「色々?」
「買えるようになる前に、売ってた商人がファーネから引き上げちゃってさ。もう手に入らないんだよ」
「うわー、それは悔しいね」
エイムズに留まっていた国軍が、順次ファーネに移動してきたのは、もう十日以上前のことだ。
それによってファーネの市場が元の寂れた状態に戻るだろうということは、ウィットも簡単に聞いていた。
ギルドでは食料品の心配ばかりしていたけれど、工芸品にも影響があったらしい。
「それだけなら諦めもつくんだけど、チェルシーと仲良しの友達が買ってたらしくってさ。その子がお人形抱っこしながら『チェルシーちゃんも買ってもらったら一緒に遊ぼう』って言っちゃったみたいで……」
「あー……」
察した。
そのお友達に悪気はなかったのだろう。チェルシーの神経を逆撫でするとは思わなかったはずだ。
……いや、遠回しにネチネチやる子がいないわけじゃないので、断言はできないけれど。
「喧嘩しちゃったんだ」
「うちのチェルシーが一方的に怒ってるだけなんだけどね。まあ向こうの親御さんに事情は話しといたし、ほとぼりが冷めれば仲直りするよ、きっと」
「だといいねえ」
奥さんからお釣りをもらって、会計を終える。
キャベツの酢漬けを瓶ごと買ったせいで、買い物籠がずしりと重い。これからもう一か所寄る予定なのだけど、順番を間違えたかなと少し後悔する。
(ま、いっか。重いってほどでもないし)
すぐに思い直して、ウィットは青果店を後にした。
「……あれ?」
塩を買うために、輸入食料の店へ向かう途中。
視界の端に小さな影を見つけて、ウィットは足を止めた。
立ち並ぶ店と店の間、路地を少し入ったところ。
こちらに背を向ける、女の子の後ろ姿がある。どうやら一人のようだ。
(付き添いの大人は……いないか)
そもそも、あの子の両親はさきほど青果店で見たばかり。
他の子供も一緒ならともかく、彼女ひとりにつく大人が、両親以外というのは不自然だ。
(こっそり抜け出したのかな)
そう結論づけて、ウィットは少女――青果店の娘、チェルシーのほうへ歩み寄る。
いまのファーネは安全とは言いがたい。見ないふりをしてあげるには、ちょっと時期が悪かった。
「……に……って、種……って…………」
「森……どこ……いの?」
(……ん?)
チェルシーに声をかけようとしたとき、その奥から話し声が聞こえてきて、ウィットは開きかけた口を閉じる。
よく見ればチェルシーは何かをこっそり覗き見ているようで、背中が緊張で固まっていた。
小さな背中の後ろから、そっと路地裏を覗き見る。
そこには顔を布で覆った二人の男と、チェルシーと同じくらいの少女が、何かを見下ろしながら話し込んでいる姿があった。
Twitterでちょっと言ってたのですが、本作、「我ながら月曜の朝っぱらに読む内容と文体じゃねえな」って思ったので更新日を毎週月曜の朝→毎週金曜の夜に変更してみようかと思ってます。
ひとまず試験的に、今週の金曜日22時からしばらく金曜夜更新で進めてみる予定です。よろしくおねがいします。




