84. 終息?
「……今日はなんも来なかったな」
すっかり見飽きた防壁の上。
赤く染まる西の空を眺めながら、ブレイズはつぶやいた。
「だなあ」
胸壁に寄りかかって、顔なじみの領兵ジーンも相槌を打つ。
矢の消費がなかったからか、声には安堵の色がにじんでいた。
昨日の昼過ぎに小規模な襲撃があったのを最後に、防壁を襲う獣を見ていない。
ここ数日、だんだん襲撃の頻度が減っているような気はしていたが、とうとう丸一日襲撃のない日が出たことになる。
「そろそろ終わる……ってことかね?」
「原因がわからないと、何とも言えないな」
隣に立つラディが、ジーンの言葉に難しい顔をした。
「例の花の、種の効果が切れたのか。それとも、このあたりの種が食べ尽くされたのか……」
「このあたりで種を食うような獣を、俺らが殺しきったから、ってのもあり得るか」
ブレイズも補足したが、ジーンは「よくわからない」と言いたげな顔をする。
「なんにしたって、結局は襲撃が止むってのには変わりなくね?」
「大差ない、という意味では同意するけど。……襲撃が止むのは、もう少し先だと思うよ」
やはりよくわかっていない様子のジーンに、ラディは困った顔をした。
……まあ、すぐには思い至らないだろう。ブレイズとラディも、幼い頃に賞金稼ぎたちが間引きの相談をしているのを聞いていたから察したことだ。
見かねてブレイズは口を開く。
「ここまで、草食の獣を山ほど殺してきただろ。肉食獣にとっちゃ、獲物が減ったことになる」
「あ」
ジーンがはっとした表情をした。言わんとすることを察したらしい。
「今度は食いっぱぐれた肉食獣が出てくるってことか」
「そういうこった。……で、問題は森にどれだけ奴らの餌が残ってるかだ」
草食獣がそれなりに残っているなら、肉食獣の襲撃もそれなりで済むだろう。
しかし、近辺の草食獣を自分たちが殺しきってしまったのなら……相当な数の肉食獣が、防壁まで押し寄せてくる可能性が高い。
森の中も、以前よりずっと危険になっているはずだ。しばらく出入りは控えたほうがいい。
そういえば、国軍の連中はまたリド・タチスの花がどうなっているか見に行くつもりだろうか。一応、警告したほうがいいかもしれない。
とはいえ、王子やその護衛にほいほい話しかけられる立場ではない。明日にでも、リアムかレスターあたりを訪ねてみようか。
「肉食獣が相手かあ……」
「腹減って気が立ってる状態のな」
付け加えると、ジーンが悩ましげにため息をついた。
「エイムズから来た連中、死人が出なきゃいいけど」
「そんなに頼りないのか?」
「弱いわけじゃねえだろうけど、たぶん人間相手しか経験ないのがほとんどだと思う」
以前にもジーンから聞いた話だが、エイムズで領兵に施される訓練は、ほとんどが対人を想定した戦闘訓練だそうだ。
獣相手を想定した訓練は、せいぜい野営する際の注意くらいのものらしい。
移動中に出る野犬や狼を追い返す程度であれば、それでもなんとかなるだろう。しかし、森に棲みついた獣や魔物の群れとなると話が違ってくる。
「だから、獣の相手に慣れた領兵は、他の街やら村から欲しがられるんだよ。ファーネに来たやつが、やっと慣れてきたってところでいなくなる理由がそれ」
「……ファーネはちょうどいい訓練場かよ」
ここで初めて、ブレイズは領主の行いに腹が立った。
いままでファーネに来た領兵たちは皆、獣の相手に慣れないなりに、なんとか街を守ろうと頑張ってくれていた。
ブレイズたちだって、彼らに頑張ってもらいたいから、できるだけ手を貸した。
そんな領兵たちの誠実さを、自分たちの信頼を、いいように利用されるのは気に入らない。
こちらの声が低くなったのに気づいてか、ジーンは気まずげに頬を掻いた。
「ま、少なくとも俺と同年代の領兵はみんなリアムの味方で、学び舎の恩恵を受けた連中だ。ギルド員だからってお前らに喧嘩売るような真似はしねえだろうから、そこは安心していい」
「……わかった」
気を遣って話題を変えてくれたのはわかったので、素直に頷いておく。ジーンに八つ当たりをしたいわけではない。
すぐ隣で、ラディがほっと息を吐くのが聞こえた。こちらも不安にさせたらしい。
「そういえばジーン、リアムとは会ったのか?」
「いや、見かけたけど忙しそうで声かける隙なかった」
ラディの質問にそう答えて、ジーンはぼんやりと空を見上げる。
「けど、元気そうだったから。そこは安心したかな」
領主の一人息子が、王子に直訴して国軍を連れてきてくれた――。
最近、街ではそんな噂が回り始めたらしい。
その国軍がエイムズで起きた代官の暴挙を終わらせたというのも知られており、彼らについて否定的な話はほとんど聞かない。
反面、領主カーティスには疑惑の目が向けられているという。
息子が手柄を立てたのだから、領主の評判も上がってよさそうなものだが、そこは街中での彼の振る舞いが関係している。
街中でリアムを見かけると、険しい顔で睨みつけるのだという。当然それは街の住民にも見られているので、彼らが親子で対立しているのは丸わかり。となれば、リアムに好感を持つ住民たちが領主に向ける視線は厳しいものになる。
エイムズと違って、ファーネでは住民と商人の仲は悪くない。憎まれ役を押しつけることはできないのだ。
このあたりはおそらく、ケヴィンたちが意図的に噂を流しているのだろう。
街中の様子は、街外れの防壁からではわからない。こうして自分たちの耳に入ってくるということは、わざわざ防壁で広めている人間がいるということだ。
以前、ケヴィンたちがこっそりファーネを訪ねてきたときには、こんなことになるなんて考えもしなかった。
このまま順当にいけば、近いうちに領主がリアムに代わるだろう。ファーネの中も外も、色々と変化があるはずだ。
そうなったら、きっとギルドも忙しくなる。
(悪い変化じゃなきゃいいけどな)
そう思いつつ、さほど心配はしていなかった。
リアムは土地を治めることについてしっかり考えているし、現状を『よくない』と認識している。いま以上に悪いことにはならないだろう。
「そろそろ交代の時間かな」
ラディの声で、我に返った。
西の空に日が沈みきって、夜の色に変わりつつある。もう少し眺めていれば、彼女の髪の色に近くなるだろう。
「一応、夜番の連中には『肉食獣に気をつけろ』って話しといたほうがいいか」
「それもそうだな。夜行性なのも少なくないし」
横で会話を聞いていたジーンも、「領兵の夜番にも伝えとく」と頷いた。
確かに、一番気を引き締めなければいけないのは彼ら領兵だろう。なにしろ装備でも経験でも劣っている。
領主や副官の爺さんが、変な真似をしなければいいが……。
「もうしばらく、気は抜けねえな」
そう言いながらも、ブレイズは内心、ようやく終わると安堵していた。
ひと月もすれば、森の奥地にいる草食獣が縄張りを広げて、襲撃が起こる前の状態に戻るだろう。そうなれば、肉食獣も落ち着くはずだ。
防壁に張りつく生活に、終わりが近づいているのは確かだった。
次話からお久しぶりの黒いのが出ます。




