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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
3:ファーネの墓守
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80. ひとときの休息

「見事なものだ」


 ふと落ちてきた声にそちらを見ると、大柄な老人がふたり、防壁の上からこちらを見下ろしていた。

 その片方には見覚えがあり、ブレイズは目を瞬かせる。


 イェイツの商業ギルド支部で遭遇した領主、カーティス・レ・ナイトレイだ。

 元よりがっしりとした体躯に艶を消した金属鎧を着込んでおり、以前会ったときよりも一回り大きく見える。腰に差したショート・ソードがおもちゃのようだ。


「来てたのか」

「いや、来ないほうがおかしいでしょう」


 思わずつぶやいた言葉に、ルシアンが小声で突っ込んでくる。それもそうか。

 とりあえず領主には小さく頭を下げておいて、防壁の下へと戻る。


「今回ほど、お前らがいてよかったと思ったことはないよ」


 近くにいた指揮官が、ほっとした様子で声をかけてきた。


「前に、国軍(うち)のやつが熊にやられてギルド(そっち)に運び込まれただろう? それを知ってるから、みんな戦う前から腰が引けてしまってなあ……」

「王国の他の土地では、熊は出ないのかい?」

「出はするが、あんなに大きくもなければ凶暴でもない。……この森は、まさに『魔境』なんだな」


 リカルドの疑問に答えて、指揮官は不安そうな目で森を見る。

 鬱蒼(うっそう)とした森は、昼間だというのに暗くて奥が見えない。地続きのはずなのに、まるで別の世界のようだ。

 まあ、実際は葉の隙間から陽の光が入ってくるので、せいぜい薄暗く感じる程度なのだが。


「……ま、要するに『いつも助かってる』って言いたかったんだよ。国軍と言えば聞こえはいいが、大半は訓練した凡人を勉強した凡人が動かしてるだけだからな。いままでの大物も、お前らがいなけりゃ、大怪我するやつが一人か二人は出てたはずだ。そうなったら士気にも影響出てた……というか、実際、熊に腰が引けてしまったわけで」


 情けない話だが、と物憂げにため息をつく指揮官。

 話が一段落したところで、ブレイズはラディがちらちらと防壁の上を気にしているのに気づいた。


「ラディ、どうした?」

「いや、縄梯子がなかなか下りてこないなと……」

「ああ、それな」


 目の前の指揮官が、彼女の疑問に反応する。


「もうすぐ兵の入れ替えで防壁の門が開くから、そっちを通って医務室に行くといい。……上に行って、領主に捕まるのも面倒だろう?」



 ◇



 翌日、ブレイズたち商業ギルドの面々は、一日休みを言い渡された。


 理由は三つ。

 まず、領主カーティスの率いる援軍が到着したため、防衛の人員に余裕ができたこと。

 次に、ナイトレイ領の領主と商業ギルドの関係から、できるだけ両者が顔を合わせないようにという配慮。

 最後に――ブレイズが気づかないうちに足首を捻挫しており、即日の復帰に不安があること、である。


「大げさだと思うんだけどなあ」


 兵舎のベッドに寝転がって、ブレイズはぼやいた。その右足首は、包帯できっちりと固定されている。

 リカルドの『癒し』の世話になったので痛みはまったくないのだが、彼いわく「肉と骨が安定するまで、少し時間がかかる」とのことだ。

 なので毎朝の鍛錬も今日ばかりは休んで、一日ごろごろすることになった。


専門家(プロ)の言うことは聞いておけ。でないと、あとでセーヴァに言いつけるぞ」


 ベッド近くの椅子に腰掛けたラディが、手元から目を外さないままで言う。それは勘弁願いたかったので、ブレイズは口をつぐんだ。


 天井を眺めるのにも飽きて、ごろんと横向きになってラディの手元を見る。

 彼女の手には、ブレイズがいつも着ている黒革のジャケットがあった。どこからか裁縫道具を借りてきて、あちこちに開いた穴を黒い糸で縫い合わせている。


(まさか上着が原因とはなあ……)


 昨日の熊との戦闘中、何度か後ろに引っ張られる感覚があった。

 ブレイズの捻挫は、そのせいで派手に転び、足首をひねったせいである。


 あれは一体なんだったのか、というブレイズの疑問に答えをくれたのは、彼の転倒を目の前で見ていた相棒だった。


 ――熊の爪が、ジャケットを引っ掛けたんだ。


 言われてジャケットを脱ぐと、背の部分が派手に裂けて、大きく穴が開いていた。

 そういえば、ぶちんと何かが千切れる、もしくは弾け飛ぶような音がしていたなと思い出す。あれは爪に引っ掛かった革を、無理やり引き千切った音だったらしい。


「これもそろそろ限界だな」


 大きく開いた穴を半分ほど(つくろ)い終えたところで、ラディはふうと息を吐いた。


「前に直したところも(ひら)いてしまって、無理に繕うと腕の動きに影響が出そうだ」

「あー、そりゃダメだ。買い替えだな」


 前というのは、以前に王都へ向かう旅の途中、ある村で遭遇した事件のことだ。

 その一件でブレイズは、ある賞金稼ぎの女性となりふり構わない殺し合いをした。そのときに一度、このジャケットはずたずたに斬り裂かれている。思えば、それを繕ってくれたのもラディだった。


 この襲撃が落ち着いてから買いに行くか、それとも、ギルドに連絡して適当な上着を防壁まで届けてもらうか。

 そんな相談をしていると、部屋の扉がノックされた。応答すると、開いた扉からリカルドとルシアンが顔を出す。


「やあブレイズ、大人しくしているかい?」

「住民の皆さんから差し入れだそうです。一緒に頂きましょう」


 二人はそのまま部屋に入ってくると、テーブルの上に小ぶりな林檎(りんご)を五つ転がした。

 同じテーブルの上にある裁縫道具を見て、リカルドがラディの手元を覗き込む。


「ああ、ブレイズの上着か。ボロボロだったものね」


 ラディの手が空かないならと、リカルドは果物ナイフを取り出して林檎をひとつ手に取った。どうやら切り分けてくれるらしい。

 棚から皿を取り出しながら、ルシアンが「そういえば」とブレイズに話しかけてきた。


「ブレイズって防具つけませんよね」

「手間のわりに意味ねえからな。師匠(ジル)がつけてなかったってのもあるけど」


 かつて商業ギルドにいた警備員や賞金稼ぎたちは、ブレイズとラディに対して、人ではなく獣との戦い方を叩き込んだ。魔境に隣接するファーネでは、そちらのほうが脅威だったからだ。

 そして獣との戦いを中心に考えると、力の強い獣相手に薄っぺらい革鎧は効果が薄い。金属鎧は手入れに手間と金がかかるし、そもそもブレイズには重くて合わない。

 そういうわけで、強度のある革でジャケットを作る形に落ち着いたという経緯がある。


「これでもけっこう値が張るんだよ。ファーネの気候だと、革の服は蒸し暑くてあまり売ってないから」


 ちくちくとジャケットの修繕を再開しながら、ラディが付け足した。


「どうせなら、王都で予備のジャケットも買っておけばよかったな」

「ああ、王都ならいい革ありそうだったもんな」


 相棒とそんな話をしていると、リカルドの手で切り分けられた林檎を、ルシアンが一切れフォークで刺した。

 自分で食べるのかと思ったら、彼はにこやかにそれを両手の塞がったラディに差し出す。


「はいラディ、あーん」

「えっ……あ、ありがとう……」


 ラディは少し戸惑ったのち、おずおずと口を開けた。リカルドが気を利かせてひと口サイズに切り分けたので、彼女の小さな口でも一切れが丸ごと入る。

 もぐ、と口の中で咀嚼(そしゃく)して、ラディはきゅっと目を閉じた。


「すっぱい……」

「残りは焼き林檎にでもしてもらおうか」


 うめく彼女を微笑ましげに見て、リカルドが言う。

 昨日までと比べてだいぶ気楽に笑うようになった兄貴分を見て、ブレイズはこっそり安堵の息を吐いた。


 休みとはいえ、もし大物が出たら、もしくは重傷者が出たら、そのときは頼むと言われている。

 しかし、いまだその手の連絡は来ない。防壁のほうも騒いでいる様子はなく、静かなものだ。

 もしかしたら、昨日の熊が森から出てくる際に、そこそこ大きい獣はだいたい倒してきたのかもしれない。


 包帯の巻かれた足首はちっとも痛まないし、こうして寝転がっているだけというのは退屈すぎて落ち着かない。

 けれど、彼らがこうして気を休められるなら、こういう日が一日くらいあってもいいかとブレイズは思った。

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【完結】階段上の姫君
屋敷の二階から下りられない使用人が、御曹司の婚約者に期間限定で仕えることに。
淡雪のような初恋と、すべてが変わる四日間。現代恋愛っぽい何かです。
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