74. 防衛戦(2)
それから二日後。
予算不足に頭を悩ませていたファーネの領兵たちだが、意外なところから支援が来た。
「エイムズから寄付金だぁ?」
「うん……」
なんだそりゃ、とうろんげな声を出すブレイズに、複雑そうな表情でジーンが頷く。
ブレイズの隣で、ラディが恐る恐る口を開いた。
「『寄付』ということは、その、領主様ではなくて……」
「うん。『住民一同から』だと」
「……どういうことだ、それ?」
詳しく経緯を聞いてみれば、なるほど、ジーンの複雑そうな顔にも納得がいった。
発端は、リド・タチスの開花の時点でエイムズまで報告に行った領兵だ。
報告を無下にされた彼はエイムズの出身者の一人で、ファーネに戻る前、実家に顔を出して家族に不平を漏らしてきたのだという。
これはジーンも知らなかったことだが、エイムズの住民たちは、実のところ領主の味方というわけでもなかったらしい。
商業ギルドを目の敵にしている世代すら、「商人たちの“横暴”に対して、ご領主様は何もしてくれない」と領主一派を冷ややかな目で見ていたのだそうだ。
そこに、今回の件である。
口止めされなかったのをいいことに、件の領兵は「十年前の大襲撃の前にも同じようなことがあった」というファーネの住民の訴えまで、しっかり家族に話してきたらしい。
それが人の口を介して、住民の間に伝わっていく。
十年前をよく知る年代は、当時を思い出して顔をしかめただろう。
ファーネへ派遣された領兵の家族や友人は、彼らのことを心配しただろう。
領主は何もしてくれない。
けれど税が安いので、自分たちの手元にはそこそこの金がある。
――商人どもに巻き上げられるよりはいいか。
「と、まあそういうわけで……この前エイムズまで報告に行ったやつが、持たされて帰ってきた」
「それは……なんというか」
彼らに敵視されている商業ギルドの人間としては、なんともいえない気分だ。
敵の敵が味方の味方になった、という状況だろうか。いや、領主もエイムズの住民も、別に敵というわけではないのだが。関わりたくないだけで。
「まあいいや。それで、いくら集まったんだ?」
「二万ザルトくらい」
「おお……」
ブレイズは思わず呻いた。大人一人が一ヶ月、余裕で生活できる額だ。よほどの贅沢をしなければの話だが。
ラディが口の中で計算をつぶやきながら指を折る。
「矢を買うとすると……二百五十本くらいか? 鏃が持ち込みなら、三百本は買えるかな」
「……そう言われると大した額でもねえか」
仮に矢が三百本買えたとして、十人がそれぞれ三十本撃ったら終わってしまう。いまの状況なら、そのくらい一日で撃ちきってしまうだろう。
「ま、確かに当座を凌げるほどの額じゃねえけど。でも、ないよりはマシだろ」
ブレイズの言葉に言い返すと、ジーンは「そういうわけだから」と仕切り直した。
「近いうち、ギルドに注文しに誰か行かせるよ。武器以外にも補充したいもんはあるから、その辺を詰めてからになるけど」
「ああ、支部長には話しといた。職人の紹介と値段交渉くらいはやってくれるってさ」
「今回ギルドは仲介料を取らないそうだから、そこは気にしないで予算を立ててくれ」
「あ、それは助かる。キースさんにお礼言っといて」
頷いて、ラディがちらりとこちらを見上げてくる。
……仲介料を取らないというのは、半分くらい嘘だ。実際には、ブレイズとラディの二人で負担することで、支部長と話がついている。
ジーンには内緒だ。恩に着せるつもりはない。
それに、この話には少し裏もある。
住民の感情や世間の評判を考えれば、現状でギルドがファーネの領兵から金を取るのは明らかに悪手だ。
しかしリカルドの件と同じく、変な前例を作りたくはない。だからギルドが損失を被るのではなく、ブレイズとラディが、ジーンという友人のため個人的に金を出すという形にした。
これなら、ギルドが例外的に仲介料を免除したという前例にはならない。実際に金を出したのも自分たちギルド職員なので、世間には商業ギルドの美談として認識されるだろう。
ここまで前例や例外に気を使うのは、商業ギルドが王国全土に散らばる大規模な組織であるからだ。
土地柄どうしようもないこともあるが、基本的に、どの支部でも一律の対応を求められる。どこかの支部が安易に作った例外が、本部や他の支部の足を引っ張ることになりかねないのだ。
最近、ブレイズはそういうことを理解できるようになってきた。
支部長も、積極的にこういう話を振ってくるようになった気がする。
その剣技ばかり印象に残る前任も、幼い自分の見ていないところでは、色々と難しいことを考えていたのかもしれない。
(面倒くせえなあ)
何も考えず、斬るべきものを斬るだけの立場であれば、どれだけ気が楽だったろう。
自分にはまとめ役よりこき使われる下っ端のほうが向いていると思うし、警備員より賞金稼ぎのほうが性に合っているんじゃないかと思うこともある。
けれど、ブレイズの居場所はファーネ支部だ。
そこにいるために少しの気苦労が必要だというのなら、そのくらいは呑んでやろうと思った。
「……で、寄付金は寄付金として、やっぱり金は足りねえわけだよな」
ブレイズが指摘すると、ジーンは「そうなんだよなあ」とため息をつく。
「矢も手槍も、在庫が結構危なくなってきた。明後日くらいまでならなんとかなるけど、それ以上このペースで襲撃され続けるとやべえな。下級魔術使えるやつも、魔力はたかが知れてるし……最悪、石投げるくらいしかできなくなる」
「それなら、私も援助しようか」
横から割り込んできた声に、思わずそちらを見た。
装備からして、国軍の人間だろう。三十半ばほどの偉丈夫が、後ろに兵士を一人伴って、こちらへ歩いてくるところだった。赤茶色の髪を短く刈り上げて、いかにも叩き上げの軍人といった雰囲気だ。
「レスターさん」
ジーンが口にした名前には聞き覚えがあった。どこで聞いたのだったか。
ブレイズが記憶をひっくり返していると、察したラディが少し背伸びして、「調査隊の隊長の名前だ」と耳打ちしてきた。
そんな自分たちへ、レスターと呼ばれた男の視線が向く。
彼はほんの少し口元に笑みを浮かべて、こちらへ声をかけてきた。
「きみたちがギルドの警備員だね。確か、ブレイズ・オーデットとラディカール・レイリア」
「あ、はい」
「レスター・ケネス・レ・テイラーだ」
差し出された手を握る。名前からして貴族だと思うが、その手はごつごつとして、指の付け根が固くなっていた。武器を握り続ける者の手だ。
「きみたちのことは『我らが殿下』から聞いているよ。特にオーデットくん。トラブルさえなければ、一度くらい剣で手合わせしてみたかったと」
「ええ……」
「嫌かね?」
「王子様と知っちまったら無理ですよ」
「そういうことを言うとあの方は拗ねるぞ」
愉快そうに笑いながら言って、レスターはジーンに向き直った。
「で、だ。こちらも物資に余裕はないが、金のほうならなんとかなる」
「国軍の金をこっちに流すのはまずくないです?」
「公費を使おうというわけではない。私の……いやテイラー家の金だな、そこから個人的に出そう」
それを聞いて、ジーンは顔をしかめる。
「お気持ちはありがたいですけど……たぶん一ザルトも返ってきませんよ」
「最悪それでも構わんよ。まあ当代はともかく、次代はきっちり返してくれると思うがね」
「……次代?」
つぶやいて、ジーンが黙りこくった。レスターは意味ありげに笑うだけだ。
「それに、これも務めなのだ。国軍で隊を率いる将には、自力で隊を維持できるだけの財力と信用が求められる。王国は国土が広大だからな、王都からの補給が行き届かないことも珍しくない。そういうときは、現地でなんとかするしかないのだよ」
その言葉に、ブレイズは彼が自費でこの防壁の修繕を行っていたことを思い出した。
もし直接会うことがあれば、礼のひとつくらい言いたいと思っていたのだ。しかしひょっとしたら、この男にとってはそれも『務め』のうちなのかもしれない。
「なので国軍で一定以上の階級に上がるには、まず相応の財力と信用――つまり家格が求められるのさ。武芸や指揮能力で私に勝る平民は山ほどいるが、彼らが私より出世することはない。前提を満たせないからね」
レスターは一瞬だけ、自嘲するような笑みを浮かべた。
いかめしい軍人然とした容貌に似合わない、皮肉げな笑みだ。
ブレイズたちが反応に困っていると、それに気づいたのか、レスターはごまかすように咳払いをした。
「……まあ、ナイトレイ家との折り合いのつけかたは気にしなくていい。貴族のことは貴族に任せなさい。それよりも――」
そのとき、にわかに防壁の南側が騒がしくなった。
本日何度目かの警鐘が打ち鳴らされる。また何か来たらしい。
「……それよりも、油断しないことだ。まだまだ、先は長そうだからね」




