72. 参戦
調査隊のレスター隊長は、その日のうちに部下を例の花のところへ走らせたらしい。
結果、花が枯れて実を結びかけているのが確認されたと、支部長宛てに知らせがあった。
例の花、リド・タチスは、世界中でほぼ同時に開花するという不思議な特徴を持つ。とはいえ、数日のズレはあるという。
もし、魔境のどこかに、別の群生地があるならば。
そこでは、すでに実をつけているのだとしたら。
食べたものを狂わせるという種ごと、どこかの獣の腹に収まっているのかもしれない。
そんな話を聞いてから三日もしないうちに、南の防壁を獣が襲い始めた。
一日に二度、三度と、襲撃の頻度は日を追うごとに増えてきている。
「十年前も、こんな感じだったのかな」
本日何度目かの警鐘が打ち鳴らされるのを聞いて、ウィットが独り言のように言った。
警備に立っていたブレイズは、その呟きに「さあな」と返す。当時をよく覚えているはずの支部長は、現在外出中だった。
防壁を襲う獣の中には、鳥や蝙蝠など、防壁を飛び越えてしまう種類もいるという。
なので街の中とはいえ屋外は安全と言い切れないのだが、まあ支部長なら大丈夫だろう。
「今更だけど、お前だけでも別の街に逃がすべきだったかな」
「えー」
ブレイズがなんとなく思いつきを口にすると、ウィットは不満げに唇を尖らせた。
「それ一番近いのエイムズじゃん。僕あの街きらーい」
「領兵の前で言うなよ、それ」
「わかってるよ」
確かにいい思い出のない街だが、領兵の中にはジーンのような出身者もいるのだ。故郷を悪く言って、彼らとの間に溝を作りたくはない。
そんなやり取りをしていると、出入り口の扉が開けられた。
ドアベルの音は外で鳴り続ける警鐘にかき消され、巨体がのそりと入ってくる。支部長だ。
「おかえりなさい」
「変わりはなかったかい?」
「はい、特には」
そう言った受付のカチェルに頷いて、支部長はカウンター前にある客用の小椅子に腰を下ろした。
カウンターの中に入れば自分のデスクがあるのに、と訝しく思っていると、その目がこちらへ向けられる。
「ブレイズ、街の防衛に加わってくれるかい」
「防衛って……南の防壁に行けってことか?」
「そういうことになるね」
「警備はどうすんだよ。いま手薄にすんのはまずいだろ」
リド・タチスの開花が確認されてすぐ、ファーネの街では代表から住民へ説明がなされた。
ほとんどの住民は「出ていくなら十年前に出ていってる」と言って残ったが、一時的な避難として街を出る者も少なくない。
人の目が減ると、火事場泥棒よろしく盗みに走る者も出る。
大量の現金を保管する商業ギルドは、警備さえなければ格好の標的といってよかった。
「そこは大丈夫だ」
ブレイズの疑問に、支部長は落ち着いた様子で応じた。
「国軍から、負傷して魔物の相手をするのが難しい兵士を、何人か回してくれるそうだ。ここには医者もいるからね、経過を見つつ見張りをしてもらえばいいと」
「……そんなに状況が悪いのか」
「というより、リカルドを防壁に回してほしいらしい。彼の『癒し』がすぐに受けられれば、致命傷でもぎりぎり命は助かるかもしれないからね」
「それって……」
受付で話を聞いていたカチェルが、不安げに表情を曇らせる。
「セーヴァも欲しがられてるんじゃないですか? あっちに軍医はいないそうだし……」
「そういう話も確かに出たけど、結論としては『引き続きギルドに』ってことになったよ。器具や薬を持ち運ぶのには限界があるし、設備の問題もある。幸い、ギルドと防壁はそんなに離れていないしね。現地で国軍の衛生兵とリカルドが対処して、その上で重傷者はギルドで面倒を見る、というわけだ。まあ、うちが野戦病院にされる可能性は大いにあるから、カチェルにも負担がかかるかもしれないけど」
「そのくらいなら大丈夫です」
支部長の説明を聞いて、カチェルはほっとした様子で頷いた。
「さて、話を戻すよ。少し政治的な話になる。国軍がリカルドを欲しがるのはもっともだし、うちとしても協力を惜しむ気はない。……けれど、『ギルドが精霊使いを差し出した』という前例を作りたくもないんだ」
「……ああ、なるほど」
「え、どういうこと?」
納得するブレイズの横で、話を聞いていたウィットが首をかしげる。
支部長が面白そうな顔で頷くので、ブレイズは説明のために口を開いた。
「前例があると、後々どっかの領主や代官が、それを盾にとってギルドや賞金稼ぎに無理強いするかもしれねーからだよ。『あのとき協力してくれたんだから、今回も協力するのが筋だろ』とか言ってな」
「治癒魔術師と精霊使いは、たいていの領で欲しがられるからね。単純にリカルドを差し出すと、絶対どこかでそういうことを言う輩が出る」
支部長の補足も聞いて、ウィットは「なるほど」と得心した様子で頷いた。
王都までの道中、風精使いのロアが極力人目を避けているのを見ていたのもあり、なんとなく理解できたのだろう。
「まあそういうわけで、『精霊使い』ではなく『戦力』を貸し出す、という形を取ることにしたわけだ。なのできみたち警備員にも出てもらう」
「国軍との話はついてるみてえだけど、リカルド本人には言ったのか?」
「もう承諾済みだよ。防壁で怪我人に『癒し』をかけて回っていてね、その場で話をつけてきた」
最近、リカルドは非番になると朝から夕方までどこかへ姿を消していたのだが、防壁へ通っていたらしい。
確かに彼の性格を考えれば不思議なことではないが、無理をしていないか少し心配になる。
「……ルシアンには?」
「これから話す。まあリカルド本人が承諾している以上、反対はしないだろう」
「ならいい」
ラディはおそらく反対しないだろうし、ブレイズも異論はない。
正直なところ、戦えずに歯がゆい思いをしていたのだ。警備を放り出せないのはわかっていて、それでも、十年前にジルが立ったあの戦場に立ちたいと。
頷くブレイズの横顔を、ウィットが無言で見上げていたのには、気づかなかった。
◇
警備体制の打ち合わせやら何やらで数日使い、防壁へ加勢する日となった。
「ブレイズ、ラディ」
ラディと一緒にギルドを出ようとしたところで、支部長に呼び止められた。
振り返ると支部長が立っており、その後ろにはセーヴァとカチェル、それからウィットも並んでいる。
代表してか、支部長がおもむろに口を開いた。
「この十年間、僕はきみたちがどれだけの修練を重ねてきたのかを知っているし、それに見合うだけの強さを身につけているとも思ってる。それでも、安心して送り出すことはできない。……なにせ、ジルさんですら死んでしまったんだからね」
眉根を寄せて、「だから」と続ける。
「いいかい。絶対に無茶をしないこと、それだけは守っておくれ。きみたちを死なせたら、僕はジルさんに合わせる顔がなくなってしまう。……やはり送り出すんじゃなかったと、僕に後悔させるのはやめてね」
「……ああ」
ブレイズがはっきり頷いてみせると、支部長はふっと表情を緩めた。
「二人では、できることもたかが知れている。あちらの指揮官の指示をちゃんと聞いて、迷惑をかけないようにね」
「わかってるよガキじゃあるまいし」
「いざとなったら足を凍らせてでも止めるから、心配しなくていい」
「おい」
「ははは、それなら少しは安心かな」
一人で突っ走って迷惑をかけたのは、もう二ヶ月ほども前のことだ。いい加減、忘れてくれたっていいんじゃないだろうか。あと鼻で笑ったセーヴァは覚えてろ気づいてるからな。
「ったく……」
きまり悪く頭をかきながら、ブレイズは傍らのラディを見下ろした。
ラディも、薄く微笑んでブレイズを見上げてくる。何も気負うことなどない、いつも通りだと言わんばかりに。
それを見て、無意識に入っていた肩の力が抜けた、ような気がした。
「行くか」
「うん」
頷き合って、支部長たちに背を向ける。
「――いってらっしゃい!」
追いかけるように響いたウィットの声には、軽く手を挙げて応じた。




