71. 結実
すみません卓やってたら遅れました。
今回、切り所に迷ったのでけっこう短めです。
「すまん、医者の先生はいるか?!」
花が咲いたという知らせで、ギルドが騒然となった日から五日後。
国軍からギルドへ、再び兵士が担ぎ込まれてきた。腹に巻かれた包帯が真っ赤に染まって、吸いきれなかった血が床を汚す。担いできたほうの兵士も、二の腕に血が滲んでいた。
騒ぎを聞きつけてか、医務室の扉が開いてセーヴァが顔を出す。担がれている兵士を見て駆け寄り、傷口を検分すると顔をしかめた。
「深いな……リカルド、手伝え。カチェルもだ」
「わかった」
警備に立っていたリカルドが頷く。それを見て、非番だったブレイズはズボンのポケットから警備の腕章を引っ張り出した。腕に巻きながら、目でリカルドに「行け」と促す。
カチェルのほうにも、同じく非番だったラディが声をかけていた。
あっという間に兵士は医務室へ運び込まれ、カウンター前にはいつもの空気が戻ってくる。
「出かけるのは中止かな」
「だなあ」
受付の席についたラディの言葉に、ブレイズも頷きを返した。
非番といっても鍛錬以外にやることがなかったので、二人で市場の見回りに行く予定だったのだ。しかしあの様子では、このまま警備と受付の代役で夕方まで潰れてしまうだろう。リカルドが呼ばれたということは、彼の『癒し』が必要なほどの重傷だ。
なんとなく医務室の扉を眺めていると、モップを手にしたウィットがひょこりと顔を出した。
「カチェルに床掃除してって言われたんだけど、どこ拭けばいいかわかる?」
「こっちだ」
兵士の垂らした血痕を指すと、ウィットは「うわ」と眉をひそめてモップをかける。
ついでとばかりに周囲一帯をモップがけする彼女の向こうで、医務室の扉が静かに開いた。
「……すまない、騒がせた」
重傷の仲間を担いできた兵士だ。腕はきちんと手当てをされて、鎧下の破れた部分から白い包帯が覗いている。
兵士はモップがけをするウィットを見て、暗い表情を更に曇らせた。
「ああ、床……悪かったな」
「こんくらいは気にしないで。怪我は大丈夫そう?」
「俺はこの通りだが……連れは、わからないな」
重傷だったほうは、まだ治療中らしい。
この様子だと、治療は随分と長引きそうだ。夕食は自分たちで用意したほうがいいかもしれない。
「森でやられたのかい?」
受付の奥にいた支部長が、のそりと顔を出して兵士に声をかけた。
兵士は首を横に振って否定する。
「いや、防壁の修繕作業中に襲われた。熊だ」
「熊? 防壁に?」
ブレイズは思わず声を上げた。浅いところには滅多に出てこない獣だ。
ここ数年、人が襲われたという話も聞かないので、警戒心はそれなりに高いはずだが……。
「森から飛び出して、まっすぐ防壁へ向かってきた。俺たちだけでは、職人を逃がすので精一杯で……上にいた領兵が気づいて援護してくれたから撃退できたが、そうでなければ二人揃って餌にされていただろうな」
「こっわ……」
ウィットが顔を引きつらせる。
「熊ってけっこう大きかったよね」
「でかかったぞ。俺の背丈の倍はあった」
話しているうちに、兵士の表情から暗さが薄らいできた。
今更ながら茶でも出そうかと支部長が申し出たが、それには及ばないと断られる。
「報告に戻るところだったんだ。……話していて頭の中も整理できたので、そろそろ行こうと思う」
「そうかい。……治療中の彼は責任持って預かると、レスター隊長に伝えてくれるかな」
「承知した」
頷いて、兵士はややふらつきながらギルドを出ていった。
「……どう思う?」
ちょうど客もいないので、ブレイズは遠慮なく受付の相棒へ話しかける。
「竜種の時と似てるな」
ラディが視線をやや伏せて答えた。
「本来もっと奥にいるはずの生き物が、森から出て人に襲いかかる。それなりに警戒心は強いはずなのに……」
「俺は魔猪を思い出したんだが……似てるな、確かに」
魔猪を撃退した夜のことを思い出す。
つまりウィットを拾った夜のことだが、あのときの森は異様だった。得体の知れない何かの気配で満ちていて、魔猪がその“何か”に群れごと追い立てられたのだと、ブレイズはいまでも考えているのだが……。
「……花は関係ないのか?」
「どうだろう。少なくとも、花が咲いたのと同時に虫が増えてきたのは、たぶん十年前と同じなんだろうし……」
うーん、と二人で首を傾げる。頭がこんがらがりそうだ。
「まず、花がまだ咲いているのかどうかを確認すべきだろうね」
指で顎を撫でながら、支部長が口を挟んだ。
「まだ花のまま、実をつけていないのなら、フォルセくんの言っていたこととは別の原因が考えられる。フォルセくんの仮説が間違ってるとは言わないけどね、無関係だと思っていいと思うよ」
「……もし、実がついてたら?」
ウィットの質問に、支部長は苦笑いを返す。
「そのときは――これからもっと酷くなる、と覚悟をしないといけないね」




