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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
3:ファーネの墓守
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70. 開花

 最初に異変に気づいたのは、南の防壁付近に住む住民たちだった。


「最近、やけに虫が多いなあ」

「森から獣が出てくることも増えてないか?」

「なあ、これって――」



 ◇



「十年前もそうじゃなかったか、キースさん」


 街の南部にある商店の主人が、受付カウンターで茶を飲みながら奥の支部長に言葉を投げた。

 店主は仕入れの相談に来ていて、先ほどまで応対していたカチェルは、過去の書類を探すため席を外している。


「あの『大襲撃』の前も、やたらと虫が出るようになった。そのうち森から獣が出てくる日が増えて――気づけばそれが毎日になった」

「……確かなのかい?」

「隣近所、みんな言ってるよ」


 店主の返答に、支部長は渋面を作った。否定する様子はない……ということは、支部長にも思い当たる部分があるということか。


「……そうだったか?」

「どうだろう……」


 警備に立っていたブレイズは、店主に茶を持ってきたラディと顔を見合わせた。

 ジルが死んでからのことはそれなりに覚えているのだが、その前となると記憶があやしい。虫が増えたならフォルセが大喜びしていたはずだが、虫を前にしたときの彼は非常に面倒くさいので、たぶん何か言っていたとしても聞き流していただろう。少なくともブレイズは。


「森で虫に刺されたと、医務室に駆け込む賞金稼ぎが多かったよ。セーヴァは覚えてるんじゃないかな」


 そう言って支部長が席を立ち、カウンターのほうへ歩いてくる。

 店主を見下ろすと、彼は手で横の応接スペースを示した。


「もう少し詳しく教えてくれ。ギルド(ここ)からだと防壁の普請の音と混じって、襲撃のありなしがわからないんだ」

「ああ、最近は警鐘が鳴らないものな。国軍の兵隊さんがすぐ片付けちまうから」

「手際がいいのは助かるけど、ちょっとそれは問題だなあ……」


 ぼやきながら、支部長と店主が応接スペースに移動する。

 空になった受付にラディが入ろうとしたところで、夜警明けで寝ていたルシアンが顔を出した。代わりに入ってくれると言うので、彼に任せることにする。ラディは今夜の夜警当番だ、もう少ししたら仮眠を取らないといけない。ルシアンのほうがいいだろう。


「あれ、何かあったんです?」


 横目で支部長と店主を見ながら問うてくるルシアンに、ラディが先ほどまでの話を説明した。ルシアンの藤色の目が、すっと細くなる。


「つまり、大襲撃の予兆かも……ってことですか。場合によっては、早めに鳩を飛ばしたほうがいいでしょうね」

「緊急連絡用の伝書鳩か?」

「ええ。十年前は鳥の魔物も出たんでしょう? 下手に温存しても、いざというときに連中の餌にされては意味がない。育てる手間も馬鹿になりませんし、逃がすのも兼ねてさっさと使うほうがマシです」


 二人の会話を聞いていると、出入り口のドアが勢いよく開かれた。

 反射的に腰の剣に手をかけながら振り向くと、そこに立っていたのは非番で散歩に出ていたリカルドだった。その肩には、国軍の鎧をつけた兵士が担がれている。


「どうした?」

「セーヴァを呼んでくれ。森で蜂に刺されたらしい」


 その言葉に、ラディが医務室へと駆けていく。

 ブレイズは警備でその場を離れられないので、ルシアンがカウンター前の椅子をひとつ、医務室の近くへ引きずっていった。少し前まで店主が使っていた椅子だ。


 兵士は足を刺されたようで、(もも)のあたりをロープできつく縛られている。毒が回らないように、という意図だろう。リカルドが担いできたのも、無理に歩かせないためにか。

 リカルドは兵士を椅子に座らせると、その前にしゃがみ込んで靴を脱がせた。


 ズボンの(すそ)をまくり上げたところで医務室のドアが開き、器具を手にしたセーヴァとタライを抱えたラディが飛び出してくる。


「どこまで処置した?」

「毒針はその場で抜きました。あとは毒が回らないよう、止血の要領でロープを」

「抜いた、ということは刺された毒針が残ってたんだな? 蜂の本体から千切(ちぎ)れて」


 セーヴァの問いかけに、兵士がこくりと頷く。やや顔色が悪いが、意識はしっかりしているようだ。


「なら蜜蜂の一種か。槍蜂じゃなくてよかったな」


 そう言いながら、セーヴァは兵士の刺された足をタライに入れた。傷口を露出させると、ラディに指示して水の魔術で洗わせる。


「ちょっと我慢しろよ」


 セーヴァの指が水流に突っ込まれ、兵士の傷口をぎゅっと絞った。血を絞り出すような動作だ。

 タライの半分ほど水が溜まった頃になって、やっと腿のロープが外された。


「足を縛って血を止めたのはいい判断だった。だが、可能であれば針を抜いてすぐ、傷口を水洗いしながら毒を絞り出すといい」

「戻ったら皆に伝えておきます……」


 容赦なく傷口を絞られた痛みでぐったりしている兵士をよそに、セーヴァは清潔なタオルで傷口を拭う。

 別のタオルを濡らして凍らせるようラディに指示しながら、傷口に薬を塗った。


「あとはこのタオルでしばらく冷やしておけ。吐き気や腹痛、息苦しさはないか?」

「いえ、特には」

「大丈夫だとは思うが、しばらく様子を見たい。蜂毒は反応が早いから……そうだな、一時間くらいはここにいてくれ」

「私が国軍(あちら)に伝えてこよう」


 処置を見守っていたリカルドが応じる。彼の『癒し』は毒には効かないため、今回はセーヴァの補助に回っていた。


「リカルド、少し待ってくれ。ついでに手紙を届けてほしい。すぐに書き上げるから」


 リカルドがギルドを出ようとしたところで、支部長が彼を呼び止める。店主との話は終わったらしい。

 セーヴァとラディが片付けのためその場を去るのと入れ違いに、奥の執務室へ書類を探しに行っていたカチェルが戻ってきた。それを見て、もう受付に戻る必要はないと思ったのか、ルシアンが兵士のところへ歩いていく。


大事(おおごと)にならなくて良かったですね。森に入られてたんですか?」

「あ、ああ」


 ルシアンに話しかけられて、兵士がこくこくと頷いた。心なしか頬が赤い。それ男だぞ、と教えてやろうか少し考えて、まあいいやと口を閉ざした。

 ……ひょっとしたら、承知の上で赤面しているのかもしれないし。見れば、リカルドも生(ぬる)い目で見守っている。


「例の花を見に行ってたんだ。三日に一度見に行くことになってて……」

「じゃあ、蜂にもそこで?」

「うん。帰り道で良かったよ、行きだったら一旦出直さなきゃならなかっただろうし」

「セーヴァさん……医者の先生も言ってましたが、槍蜂でなくてよかったですね。そちらだと最悪、命に関わりますから」


 槍蜂といえば、以前にブレイズとラディで倒した、あの巨大蜂の仲間はどうなったんだろうか。

 王都でフォルセが言っていた通り、あれが女王蜂だったとしたら、もう群れは潰れているかもしれない。他の群れが巣を作っていないといいのだが。


「ところで、花の様子はどうでした?」


 ルシアンの質問に、兵士の顔がさっと引き締まる。やや逡巡する素振りを見せてから、用心深く口を開いた。


「……商業ギルドさんは、あの花がなんなのか知ってるんだよな?」

「ええ。……何かありましたか?」

「――咲いてる、らしい。俺にはわからなかったけど、一緒に見に行ったやつが、そう言ってた」



 ◆



「確かなのか?」

「間違いありません」


 反問に、目の前の兵士がはっきりと頷いた。


「私の故郷にも、タチスの群生地がありました。リド・タチスではなく近縁種ですが、一度だけ花を見たことがあります。あれが『咲いた』状態です」

「……誰か、三日前の当番を呼んできてくれ」


 同じ天幕(テント)に控えていた別の兵士へ指示を出し、レスターは報告してきた兵士に『花』のスケッチを描くよう命じる。

 これで、三日以上前に開花していれば大失態だ。調査隊の隊長として、後ほど多少の叱責は覚悟しなければならない。


 ため息をつきたくなるのを(こら)えていると、外から声がかかった。


「失礼します。商業ギルドより伝言です」

「聞かせたまえ」

「蜂に刺された兵士について、大事ないが念のため一時間ほど経過を見させてほしいと。それから、あちらの支部長より手紙をお預かりしています」

「兵士については承知したと伝えてくれ。ありがたい事だ」


 隊にも衛生兵はいるが、彼らは外傷の処置以外にあまり詳しくない。現状、軍医を引っ張ってこれるだけの名分がなく、ファーネの医者に対処してもらえたのは幸運だった。


 手紙として渡されたのは、四つ折りにされた一枚の便箋だった。

 異なる組織でやりとりする文書としては粗末に過ぎるが、ファーネ支部のワイマン支部長は年下の自分にも礼儀正しく接してくれる人物だ。体裁を整える余裕がない、急ぎの連絡と見るべきだろう。

 そう考えながら便箋を広げて、書かれていた内容に、今度こそ堪えきれずため息をついた。


「……やれやれ、楽観視は許されないか」


 南の防壁付近での虫の増加、それから防壁への襲撃の増加。

 十年前、件の『大襲撃』の直前に同じことがあったという、住民の訴え。

 例の花が咲いた、という部下の報告も真実だとすれば――。


 レスターは椅子から立ち上がり、すぐ後ろに控えていた副官を振り返った。


「王都に伝令を。途中、エイムズに残っている班にも、いつでも動けるようにと話しておくように」

「承知しました。……エイムズの領主には?」

「教えてやる義理はないが……そうだな、南門の領兵(彼ら)に教えてやれ。そちらから報告を上げるのが通例だろう」


 領主とその周辺はともかく、現地の領兵たちとはいい関係を保っておきたい。政治的な事情で積極的に関わるのは避けているが、()け者にしすぎるのも避けたかった。


「王都まで、早馬を継いで十日弱。そこからすぐ本隊が出発するとしても、到着まで半月かかるか」

「商業ギルドにエイムズまでの伝書鳩があるそうです。使わせてもらえば、三日は短縮できるかと」

「頼んでみるが、念のため人の伝令も向かわせろ。使わせてもらえたとしても、鳩は確実性がない」

「は。手配して参ります」


 副官が天幕から駆け出していく。

 スケッチを描き終えた兵士に残っているよう命じて、レスターも天幕の外に出た。


「……ここからエイムズであれば、往復で十日もかからんが。さて、カーティス殿は何日で来るかな?」

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