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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
3:ファーネの墓守
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69. 弁当と例の花

「お疲れ」


 野犬に剣を刺したまま、荒い息をするウィットの背を、ブレイズはぽんと叩いた。

 びくりと跳ねる肩は見ないふりをして、黒髪の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


 同じく近づいてきたラディに目配せすると、彼女はポーチからハンカチを取り出した。水の魔術で濡らして、軽く絞る。


「ぴゃっ?!」


 目元を覆うようにハンカチを当てられて、ウィットが妙な声を上げた。

 ハンカチから逃れるように上体がのけぞるが、ブレイズが後頭部を支えて逃さない。


「ほら、頭冷えてきただろ。そろそろ戻ってこい」

「ゆっくり深呼吸して、落ち着いたら剣から手を離そうか」


 ラディの指示に従って、ウィットが深く息を吸う。

 何度か呼吸を繰り返した後、剣を握ったまま固まったようだった五指が緩んで、剣の握りから手が離された。




 五頭の野犬と、それから撒き餌に使った鳥の死骸を土に埋めてから、昼食にすることにした。

 戦った場所にはまだ血の臭いが残っているので、少し移動してからだ。


「特に肉食の獣と戦った後ってのは、殺し合いの精神状態から戻ってくんのが難しい」


 街道へ戻り、ファーネの方向へ歩きながら、ブレイズは後ろを歩くウィットに言って聞かせる。


「この状態だと注意が偏るから、特に街の外の場合、すぐに戻ってこねえと別の危険に対応できねえ」

「それに、あまりピリピリした状態で街に入ろうとすると、衛兵に襲撃と勘違いされることもある。緊急事態でなければ、少し気持ちを落ち着けてからのほうがいいね」


 最後尾を歩くラディが、付け足すように言った。


 こちらを殺しにかかる人間(ヒト)を相手にした場合も同じことが言えるのだが、いまのウィットにそこまで受け止める余裕はないだろうから言わないでおく。

 とはいえ頭の回転が速いやつなので、落ち着いたら思い当たるかもしれないが。


「で、落ち着く方法は色々あるし個人の好みも違うが……前提はとにかく安全の確保だな。完全でなくてもいい。壁とか木の幹を背にして背後を気にしなくていいようにするとか、仲間がいるなら見張りを任せるとか。そうやって少しでも安全を確保して、確保した分だけ気を緩める。仮眠したり、何か食ったり……水で顔洗うだけでも、だいぶ違うぞ」


 もしかしたら、ウィットが落ち着くための方法として好むのは『睡眠』なのかもしれない。

 王都までの道中、やたらと寝ていたのが気疲れからだとすれば、色々と納得がいく。


 ふむふむと頷くウィットは、だいぶ気分が落ち着いてきたようだ。

 瞳から濁りがとれて、普段ファーネを駆け回っているときの状態に近づいている。この様子なら、今回のことを変に引きずりはしないだろう。


 ラディが手に持っていた籠を小さく持ち上げる。


「今日は弁当を作ってきた。ウィット、肉は食べられそうか? ダメなら野菜もビスケットもあるけど」

「うーん……生っぽくなければ平気、かな? たぶん」

「なら、それも試してみようか。自分が何なら食べられるかを、知っておくのも大事だから」



 ◇



 遠目にファーネの防壁が見えるあたりまで歩いて、弁当を広げることにした。

 ここなら何かあったとしても、そのまま街へ駆け込めばいい。


「ウィットがいつもやってるみたいに、パンで挟んでみたんだ」


 ラディが、籠にかけられた布を取り払って言う。

 薄切りにされたパンの間に、肉や野菜が挟まれたものが、籠にぎっちり詰められていた。


「お前、夜警明けだろ。いつの間にこんなの作ってたんだよ」

「先に具材の準備だけやっておけばすぐだよ。パン包みも考えたけど、焼く時間がいらないぶん、こっちのほうが楽だったな」


 言いながら、ラディが籠の隅にある包みを引っ張り出してブレイズに寄越してくる。

 薄紙の包みを空けると、パンと肉の柔らかい匂いがあふれてきた。香辛料抜きのものを、別で作っておいてくれたらしい。

 ここ数年で、少しくらい胡椒がきいていても食べられる程度にはなったのだが……まあ、いま言うことでもないだろう。気持ちごと、ありがたくいただくことにする。


「いただきまーす」


 ウィットは早速、ウサギ肉を挟んだものにかぶりついていた。肉も問題なく食べられるようで何よりだ。

 自分とラディはどうだったかな、と思い出そうとしてみるが、もう記憶があやふやだ。大襲撃の前から魔物の解体を見る機会も多かったし、記憶に残っていないということは、そのあたりの苦労も少なかったのだろう。


 周囲に視線を散らしながら、ブレイズも自分のぶんにかぶりつく。

 塩漬け肉(ハム)とチーズと葉野菜が挟まれていて、チーズの風味が強い。汁が垂れるような具材を使っていないためか、以前に自分で試したときより食べやすかった。こういうのなら、手軽に食べられていい。


「そういやさ、例の花っていまどういう扱いなの?」


 二つ目、生野菜を挟んだものを食べながらウィットが聞いてきた。

 食事ができるか心配していたのがアホらしくなるほどに、いい食べっぷりである。


「花が咲いたらヤバいんでしょ? 誰か見に行ってんの?」

「国軍のほうで監視するってよ。この前、『見つけた場所を教えてくれ』ってギルドまで兵士が来た」


 兵士に話を聞いたところ、彼ら調査隊の面々も、王都で「そういう説がある」程度にリド・タチスの特徴について聞かされていたそうだ。

 ブレイズたちの報告で魔境にリド・タチスが生えていると確定し、それをキースがあちらの隊長に伝えて、「ならば監視もするべきだろう」ということになったらしい。


 彼らはリド・タチスが大襲撃の原因であるという説を妄信しているわけではない。

 しかし、そういう作用のある植物なら、完全に無視もできないとも思っているようだ。


 ラディが感嘆したように息を吐く。


「なんというか……行き届いているな、色々と」

「だな」


 言っては悪いが、ジーンたち領兵ではこうはいかないだろう。

 彼らが頑張っているのは知っているが、やはり後ろ盾(バック)がしっかりしているというのは強い。地力が段違いだ。

 ……まあ、自分たちファーネ支部も、ジーンたちのことをとやかく言える状態ではないのだが。


「そういうことだから、まずは国軍にお任せだな。ウィットには前も言ったが、住民にはまだ言うなよ。その辺は支部長と代表で話し合ってるみてえだから」

「はーい」


 よい子のお返事をして、ウィットが三つ目のパンをぱくり。

 一つ目をようやく腹に収めたラディが、街のほうへ視線をやった。


「何事もなければいいんだけど……そういうわけにもいかないんだろうな、きっと」

「……ま、覚悟はしとくべきだろうな」


 ここ最近、魔境の森の様子はおかしくなっていくばかり。

 ウィットを拾ってからだと思っていたが、それがただの偶然なのだとしたら、森の異変は大襲撃の予兆である可能性が一番高い。


 だとしたら、ブレイズのすべき覚悟は一つだけだ。

 逃げる覚悟でも、失う覚悟でもなく……最後まで、最期まで、立ち向かう覚悟を。


 ――ジルだって、そうしていたのだから。



 ◆



 花が咲く。

 (タチス)の花は、一見してすぐにそうとわかりにくい。花びらが、葉の一部にしか見えないからだ。

 蕾から雄しべがせり出し、だらんとぶら下がる。明確な変化は、たったそれだけ。


 しかし、人の目にどう映ろうと、花は花。

 災いの花は、咲いたのだ。

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【完結】階段上の姫君
屋敷の二階から下りられない使用人が、御曹司の婚約者に期間限定で仕えることに。
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