67. 実戦の誘い
鳥を殺すシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
「……そろそろ実戦いっとくか?」
「へっ?」
ジルの墓参りから十数日後。
朝の稽古をやりきって地面にへたり込んだウィットを見下ろし、ブレイズは言った。
言われたウィットはこちらを見上げて、ぱちぱちと目を瞬かせている。
「大丈夫なのか?」
「剣の重さにも慣れてきたみてえだしな」
ラディに小声で問われて、頷きを返す。
帰ってきて以降、ウィットには王都で買ったバゼラードで素振りをさせていたのだが、最近は剣筋が安定するようになった。剣の重みに振り回されて、体がふらつくことも減っている。
これ以上は、実際に戦ってみて、動きに慣れるしかない。
「……ウィット、どうする?」
ラディがウィットの前にしゃがみこんで、視線を合わせた。
「実戦というのは、要するに獣を相手に戦うということだ。……はっきり言えば、殺し合いをする、ということになる。もし、そこに迷いがあるなら、まだ早いと私は思うのだけれど」
その言葉に、ウィットは何かを考え込むように視線を伏せる。
しばらく黙って、それから、青い瞳がラディをまっすぐに見返した。
「大丈夫。やるよ」
「焦ってはいない?」
「……たぶん」
ばつが悪そうに笑うウィット。迷いや焦りがまったくない、とは言い切れないのだろう。
しかし、この手のことには思い切りも必要だ。ラディの念押しに言い返せるなら、おそらく大丈夫だ。
ラディがこちらを見て小さく頷く。彼女もブレイズと同意見らしい。
「じゃ、次の非番の日に行くか」
「うん!」
ウィットは元気よく頷いて、跳ねるように立ち上がった。
◇
それから二日後の朝。
ブレイズたちは街の北門を抜けて、平原を進んでいた。
ブレイズを先頭に、すぐ後ろをウィットが歩き、最後尾をラディが守る。
ラディは夜警明けになるので誘うつもりはなかったのだが、王都で買った予備の剣の試し斬りをしたいと言うので、一緒に来てもらった。
「どこまで行くの?」
「あそこだ」
ウィットの問いに、街道から外れたあたりの木を指で示す。
平原にぽつぽつ立っている、背の高い木のうちの一本だ。その向こうに、いかにも獣が潜んでいそうな森が広がっている。
「森の中は足場が悪いから、今回はナシな。だから、まずは森の中にいる『相手』をおびき寄せる必要がある」
「うん」
「で、どうやっておびき寄せるかだが……ラディ」
後方を歩く相棒を振り返ると、彼女は小さく頷いて頭上を見上げた。
その視線が空を泳ぐ鳥の群れをとらえた瞬間、群れの中間あたりを飛んでいた一羽がぽとりと地に落ちる。
落下地点に歩いていくと、両翼を氷に覆われたウズラがもがいていた。
「こいつを使う」
言って、ブレイズはウズラを拾い上げる。
翼が凍っているせいでうまく畳めず、少々持ちにくいが、これは仕方がない。飛んで逃げられるよりはマシだ。
ラディがいなければその辺で野ウサギでも捕まえようと思っていたが、できれば生け捕りにしたかったので、その場合は罠の設置からやる必要があった。いま考えるとウサギが罠にかからない可能性もあったので、欲張らずに市場で生肉でも買ってきたほうがよかったのかもしれない。
まあ、今回はスムーズに進んだのだ。次の機会があれば、また考えよう。
ウズラを手にしたまま、ブレイズは目的地としていた木に向かって再び歩き出す。
途中、ちょうどいい大きさの平たい岩があったので、そこで足を止めた。手に持ったウズラを、岩の上に乗せる。
「ウィット、解体用のナイフは持ってきてるな?」
「……持ってこいって言われてたからね」
ぼやくように返して、ウィットが重たいため息をついた。何をやる気なのか察したらしい。
岩に近づきながら、ちらりと上目遣いにこちらを見上げてくる。
「僕がやるの?」
「ああ」
頷くと、もう一度ため息が返ってきた。
しかし文句を言うつもりはないようで、ウィットは腰からナイフを鞘ごと外し、ゆっくりと引き抜く。
ブレイズはウィットの背後に回り、空いている左手でウズラの体を押さえさせた。丸々とした胴体は、ウィットの手にやや余る。
「首を落とせ。なるべく一発でな」
「どのくらいの力でやればいいの?」
「それを知るのも練習だな。だが、まあ……無駄に苦しませんなよ」
ウィットの、ナイフを持つ右手を取って、ウズラの首の根元に添えさせた。
ナイフの切っ先が、わずかに震えている。これで心が折れるようなら、今日はもう帰ることになるだろう。
ウズラは口を大きく開けて、ピィピィと短い鳴き声を断続的に上げている。
ウィットは静かに息を吸って、吐いた。
それを数度繰り返し、手の震えが収まったところで、小さなつぶやきが落とされる。
「――ごめんね」
ざくりと羽毛に刃が埋まり、鳴き声が止んだ。岩の上に血がしぶく。
ウズラは、首の骨と肉の大半を断たれてもがいていた。
「……よし、合格」
問題ないと判断してすぐ、ブレイズは手を動かした。
ウィットの手からナイフを取り上げ、わずかに繋がっている肉を断つと、胴体を持って木の下へ走る。
あらかじめポーチから出しておいた細いロープを使い、断面を下にして枝にぶら下げた。
地面にぼたぼたと血が落ちて、木の根元に血溜まりができる。
ウィットのほうを見ると、岩の上に残った鳥の首を、無言でじっと見下ろしていた。
「ウィット、いけるか?」
「……っ」
呼びかけると、ウィットは弾かれたように顔をこちらに向ける。その目が一瞬、わずかに揺らいだように見えた。
しかし次の瞬間には、口元をきゅっと引き締めて力強く頷いてみせる。
心は折れていない。なら、続けてやるべきだろう。
「いいか、お前の『相手』に予定してるのは野犬だ。いま吊るした鳥の血の臭いで、森からおびき寄せる。もし魔物化してたり、群れで来たら、先に俺とラディで対処する。いけそうだと思ったら合図するから、その岩の陰に隠れてろ」
「わかった」
頷くウィットの横で、ラディが岩の上にある血肉を水の魔術で洗い流していた。
そのまま、相棒はこちらに走り寄ってくる。
「ブレイズ。ウィットが安全そうだったら、私も剣を中心に戦ってみたいんだけど」
「わかった、大丈夫そうなら言う」
「うん。……もう始めるか?」
「ああ、頼む」
周囲の空気がふわりと動いた。ラディが風の魔術を発動させたのだ。
死骸から滴る血の臭いが、風に乗って森のほうへ運ばれていく。
「……あとは待ち、か」
腰の剣を引き抜きながら、ブレイズは木から距離を取って身を低くした。
ラディも抜剣し、彼とは別の位置に伏せている。風は引き続き送っているようだ。
周囲の平原に視線を散らしながら、注意は常に森へ向ける。
耳を澄まして、風が葉を揺らす音の中に不自然がないかを探る。
一分、二分、三分――五分ほど、経っただろうか。
がさり。耳慣れない葉擦れの音を、耳がとらえた。
薄暗い森の奥。低木の高さに、一対の目が光る。
ぬるりと滑るように日の当たる平原に出てきたのは、鋭い目つきをした黒犬だった。
どうやら一体のみ。見たところ、魔物化している様子もない。
運良く、望み通りの個体を引き寄せられたようだ。
黒犬はそろそろと木の下まで歩いてくると、根元にある血溜まりの臭いをかぎ、吊るされているウズラの死骸を見上げた。さっき死んだばかりの新鮮な肉だ。食べたいと思わないわけがない。
大抵の獣は、食事中と睡眠中が一番無防備になる。吊られた肉に食らいついたところを見計らえば、先手を――。
(――いや)
合図に上げかけた手を引っ込める。
黒犬はしばらく死骸を眺めてから、森へ向かって吠え始めた。
それに呼応するように、森からも吠え声が聞こえてくる。それに重なって、がさがさと枝葉をかき分ける音。
仲間を呼び寄せているのだと気づいたときには、さらに四頭の野犬が姿を見せていた。




