65. 幕間:水面の下に叛意
そういえば「39. 情報通の行商人」に出てきた行商人ヘニングの年齢を四十歳前後にこっそり変更しました。
特に深い理由はないんですが、三十半ばをおっさん呼ばわりするのに罪悪感が芽生えて……。
エイムズの街、領主の屋敷の会議室にて。
領主カーティスの側近、もしくは腹心。そう呼ばれている老人たちが、部屋の窓から外を睨みつけるように眺めていた。
王国軍の輜重隊が、ちょうど屋敷の正門を横切るところである。
「……あれだけの物資。関税をかければ、どれだけ財政が楽になることか」
苦々しい感情を隠すことなく、老人の一人がつぶやいた。
それが呼び水になったようで、他の老人たちも先を争うように口を開きだす。
「今月に入って何度目だ?」
「部下に見に行かせたが、この街から荷物を小分けにして運んでいるらしい」
「荷を見せびらかすためか。この領に外の品が入ってこないのを知っとるだろうに」
「商人どもの移動のため、というのもあるかもしれんぞ」
「あの若造、調子に乗りおって……」
あの若造こと調査隊の隊長、レスター・ケネスがこの会話を聞いたら、あまりの馬鹿馬鹿しさに失笑するだろう。
老人たちは知らないことであるが、輜重隊がこの街から荷を小分けに運んでいるのは、単にこの先の道を大型の荷馬車が通れないからである。とんだ僻みであった。
実際に現場を回している下位の役人にはそれを知る者も多いのだが、彼らがそれを、この老人たちに指摘することはない。言ったとしても、「あの若造の肩を持つのか」というねじ曲がった非難しか返ってこないとわかりきっているからだ。
彼らはすでに心の中で、『次の主』を決めている。
いつか『彼』が帰ってくる日のために、いまは現場の実務を握り続けることだけを考えていた。
「……場所代を取ってもいいのではないか?」
老人の一人が、思いついたように言う。
「領地をいくばくか埋めるのだ。土地を貸す以上、貸し賃を要求するのは当然の権利だろう」
「おお、それはいいな!」
「あの規模なら、一日あたり大銀貨で……いや、いっそ物資で払ってもらうのもいいかもしれんな」
「それなら塩か蒸留酒を指定してくれ。民の需要に対して、供給量が圧倒的に足りん」
まるで、敵の拠点を落とすための作戦会議のように。
口の端を上げ、老人たちは意見と提案を飛ばし合う。
あっという間に『作戦』の骨子が組み上がり――。
「さ、さすがにそれはまずいです!」
部屋の隅に立っていた若い役人が、耐えかねた様子で口を挟んだ。
「王国軍ですよ? 王家を敵に回すおつもりですか?!」
「はあ……」
くだらない、とでも言いたげに、老人の一人が大きくため息をつく。
「おい、貴様はどこの役人だ? この領の役人ではないのか? なぜ領のことを第一に考えられん」
「領全体が国から睨まれると申し上げて――」
「睨まれる程度で人は死なんわ!」
だん、と机を叩いて声を荒げたのは別の老人だ。
「だいたい今回の件、もとを正せば国軍の横暴であろう! たとえ王家といえど、うちの領に人を入れるなら、出すもの出すのが筋ではないか!」
「な……不敬ですよ!」
「貴様らが黙っとれば済むことだろうが!!」
まったく情けない、と言わんばかりの視線が、声を上げた役人に集まる。
「最近の若いもんは気が小さくていかん」
「内々の席でまで、堅苦しいことを言うものではないというのに……」
(――アホらし)
マーカス・クレイトンは、冷めきった目でそのやり取りを眺めていた。
身にまとっているのは鎧ではなく、周囲の若い役人たちと同じ服。やや細身に作られているため、二の腕のあたりが少々きつい。
(こういうの、柄じゃねーんだけどなあ)
隠密活動の心得はある。あるのだが、自分の得意とするのは追いかけるとか、殺すとか、建物にこっそり火をつけるとか、そういう分野だ。
こうして密偵の真似事をするのは、正直なところ苦手であった。
さる筋から『連中の様子がどんなものか見てきてくれ』と命じられていなければ、いまも王都でケヴィンの護衛をやっていただろう。
(いい感じに鬱憤溜まってるけど、それだけだな)
行きどころのない不満が膨れ上がっているのは、火を見るよりも明らかだ。
これで暴発でもしてくれれば多くの人間にとって手っ取り早いのだが、残念ながら、連中にその余力がないことも明らかだった。
王宮で密かに問題視されている、彼らの『大街道に無断で関所を建てる』という計画も、いまだ計画止まりのようである。
――いっそのこと、あえて金を巻き上げさせて、致命的な行動を誘うのも手か。
思いはしたが、それを判断するのは自分ではない。浮かんだ考えを打ち消して、マーカスが老人たちに意識を向け直した時。
「賑やかだな。廊下まで声が聞こえていたぞ」
ノックもなしに部屋の扉が開き、がっしりとした体躯の老人が入ってきた。
忌々しげに愚痴をこぼしていた老人たちの顔が、ぱっと明るくなる。
「団長!」
(やべっ)
領主カーティスだ。
気づくと同時、マーカスは近くに立つ若い役人の袖をこっそり引いた。館への潜入を手伝ってくれた協力者だ。
その役人は議事録のため用意された麻紙を一枚手に取ると、何か書きつけるふりをしてから、それを折りたたんでマーカスに差し出した。
「きみ、北門まで伝言を頼まれてくれるかな」
「はい」
紙を受け取り、老人たちに一礼して、マーカスはそっと部屋を出る。
扉を閉めて、しばらく廊下を進み――人の気配が遠ざかったあたりで、細く息を吐いた。
(潮時かな)
さすがに、あの領主を騙し通せる気はしない。
あちこちの命令を聞く立場ではあるが、最近のマーカスは国軍の兵士として過ごすことが多かった。兵士としての動きが体に染み付いている以上、とっさの動きは兵士のそれになるだろう。
齢六十を目前にして、いまだ現役の武人として名高いカーティスだ。役人の動きではないと、不審に思われる恐れがあった。
(やっぱ領兵の装備を借りたほうがよかったか……? いや、あの領主様は見慣れない顔の兵士がいたらすぐ気づくな。役人の格好で正解か)
考えているうちに、エイムズの街の北門へ到着した。
領主の屋敷から伝言を持ってきた、と折りたたんだままの紙を見せると、奥にいる責任者のところへ通される。
責任者の男は、マーカスの姿を見ると、心得たように席を立った。
「もういいのか?」
「はい。世話になったっす」
役人の仮面から、軽薄の仮面に付け替える。
彼も協力してくれた一人だが、本性を見せる必要までは感じなかった。
「いやーすごかった。あのジジイども、エイムズに残ってる国軍の隊に場所代せびろうとか言ってたっすよ」
「うわマジ? ろくなこと考えねえな、あの老害ども」
「さすがにまずいって止めようとした若い子がいたんすけど、かわいそうに、もう集中攻撃っすよ」
「ああ止める気持ちわかるわー、だって実際それやるの俺らだもん」
話しながら、責任者は詰所の片隅にある木箱の蓋を開けた。
中には革の軽鎧と服、編み上げ靴と剣が入れられている。マーカスがこの街に入る際、身につけていたものだ。
マーカスは元の服と装備に着替えると、借りていた役人の服を畳んで木箱に入れた。
「馬と荷物拾ったら、またすぐに来るっす」
「ああ、検問の連中に伝えとくよ。……リアムに会ったら、よろしく言っといてくれ」
責任者の男にひらりと手を振って、北門の詰所から街に戻る。
近くの宿に預けていた馬と荷物を引き取ると、また北門へ引き返し、検問を出てイェイツ方面へ向かった。いまからなら、日が落ちる前に着けるだろう。
「……あ、ギルド寄るの忘れた」
商業ギルドで荷運びの依頼でも請けて、ついでに小遣い稼ぎを、と考えていたのだが。
いまからエイムズに引き返すのも面倒なので、諦めてそのまま馬を歩かせる。
(しかし――)
団長、と老人たちが呼んだ瞬間。
領主カーティスは、ちょっと困ったような顔をしたよう見えた。
いまだに自分を『貴族の当主』ではなく『傭兵団の団長』として扱う部下たちを、彼はどう思っているのだろう。
このままではまずいと、ひょっとしたら、あの領主も気づいているのかもしれないが――。
(……ま、御せない上に遠ざけもしないんじゃ、同じことか)
やはり、マーカスの知ったことではなかった。
めちゃくちゃ久しぶりのマーカス氏でした。
次から三章になります。




