61. 同じ空の下
休息と必要な物の買い出しに一日使い、二日後の朝。
宿の食堂で朝食をとってから、ブレイズたちは王都を出るために宿を後にした。
部屋を一度引き払うついでに、ロアも見送りに来てくれるという。新たに取り直す一人部屋の準備に、しばらく時間がかかるらしい。
人通りの多い早朝の目抜き通りを、四人で歩く。
こちらに歩いてくる人をひょいひょい器用に避けながら、前方を歩くウィットが顔だけ振り返った。
「天気が良くてよかったねえ」
「あんまり雨が降らねえのも不安になるけどな。前見ろ、前」
ウィットの腰には買ったばかりの剣帯と、そこに収まる新品のバゼラード。
数日前まで木箱のあった背中に、いまはラディの買った予備の剣を背負っている。
歩くたびに弾むポシェットの中には、例の火起こし道具が入っているはずだ。
「ロアはまだ王都に?」
「ああ」
隣を歩くラディの問いに、少し後ろを歩いていたロアが頷く。
「シルビオさん、王都まで一緒に来た難民の一部とはまだ手紙のやり取りがあるそうだから。その伝手がなくなるまでは、ここが拠点だな」
「肝心の伯父さん一家の行き先は、あのおっさんも知らなかったんだっけか」
「そう聞いてる。ここに来るまでは一緒だったらしいが」
ロアは小さく息を吐くと、東の空を見て目を細めた。
「……まあ、この国の西半分にはいないって分かったんだ。収穫としては上等だろ」
気長にいくさ、と彼が続けたところで、検問が見えてくる。
道の端に寄って、足を止めた。
「じゃ、元気でな」
「そっちこそ」
どちらともなく手を握る。
ラディ以外で、ここまで長く寝食を共にした同年代はロアが初めてだった。
「帰ってからも気をつけろよ。あの……フォルセってやつの話、本当なら相当まずいんだろ」
「そうだな……」
リド・タチスによって、近いうちに魔物の大襲撃が発生するだろう、という話だ。
ロアは半信半疑のようだが、少なくともブレイズと、たぶんラディも信じている。フォルセの言うことだから、間違いないだろう。
どちらにせよ、備えるに越したことはない。
「ま、やれるだけやってみるさ」
「……死ぬなよ」
頷くと、握った手が離された。
次にラディが手を伸ばして、にこりと微笑む。
「次に会ったら、また話を聞かせてくれ」
「面白そうな話があれば、ファーネに手紙を書くよ」
それだけ話すと、ラディはすぐに手を引っ込めた。
促すようにウィットへ視線をやって、ブレイズの隣に戻ってくる。
おずおずとロアに近寄るウィットの背を見ながら、ふたりでこっそりと笑いあった。
「ロア……」
「ん」
ウィットの頭の上に、ロアの手がぽんと乗せられる。
「無茶するなよ」
「……っ、うんっ」
ウィットが小さく頷いた。
ブレイズたちの位置から、ウィットの顔は見えない。
けれど、ロアの口元がわずかに緩んでいるので、そんなに悪い表情はしていないのだろう、きっと。
ブレイズの隣に戻ってきたウィットが、ロアに向かって大きく手を振る。
「じゃあね、ロア!」
さよなら、とは誰も言わなかった。
縁があったら、またどこかで会えるかもしれない。
それを否定するようなことを、わざわざ口にする理由はなかった。
◆
王都正門の検問所に、彼らの姿が消えていく。
それを見届けると、ロアはくるりと踵を返した。
宿に戻るべく、来た道を戻っていく。
石畳を叩く靴音が一人分しかないことに違和感を覚えて、そんな自分に小さく苦笑した。
彼らと出会ってからひと月も経っていないのに、随分と馴染んでしまっていたようだ。
(……いや、ひとりに慣れていなかったのか)
家族のもとを出てからは、師匠がずっと傍にいてくれた。
師匠を死なせてしまってから風族の里には居づらくなったが、故郷の生き残りだった火族の人々を訪ねれば、彼らはロアを温かく迎えてくれた。
本当にひとりになったのは、そういえば、南方を船で出てからだった。
周りに誰もいないと、よくないことばかり考える。
水と風の魔力が混じり合い、心地いいのか悪いのか分からない船上で、海の底に伯父を叩き落とすのを想像したり。
行く先々で傷を治してくれと言ってくる誰かから逃げながら、もしあの場に自分がいれば、父と母の傷を癒して助けられただろうか、なんてことを考えたり。
そうしてぐるぐる不毛なことを考えながら、たどり着いたのがファーネの街で。
そこで出会ったのが、彼らだった。
気が利かないようでいて、裏では血なまぐさい仕事を全て引き受けていたブレイズ。
一歩引いた立ち位置で、皆を心配そうに見守っていたラディカール。
そして、人懐っこく振る舞いながら、どこかで二人と一線を引いていたウィット。
なんとも不器用で、ぎこちない関わり方をする三人だった。
そんな彼らがじれったくて、つい手を出してしまったが……。
ファーネまでの帰り道、自分がいなくて大丈夫だろうか。
そこだけ、少し心配だった。
(寂しくなるのは、俺も同じ……か)
しかし、お互いにやることがある。投げ出すわけにはいかない目的が。
だから自分はここに残るし、彼らは故郷に戻るのだ。
そう思い直して、空を見上げた。
陳腐な言葉ではあるが、世界に空は一つだけ。
どこにいたって、空は同じだ。
何もかもが嫌になったら、この空を飛んで、彼らの顔を見に行こう。
自分にはそれができるのだと、そう考えたら、無意識に入っていた肩の力がふっと抜けた。
(大丈夫だ)
たぶん、自分はひとりでも歩いていける。
空さえ、こうして繋がっているのなら。
エピローグ的なあれなので短いですが、以上で「彷徨う風精使い編」終了になります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回以降は2.5章としてつなぎの話をいくつかやりまして、前半部ラストの3章に進んでいく予定です。
引き続きお付き合い頂ければ幸いです。




