60. 依頼の終わり
「あっブレイズ見て見て見て面白いの売ってたの!」
「うわっ」
宿の部屋に戻ってくるなり、ウィットが青色の目をきらきらさせながら駆け寄ってきた。
勢いあまって腹のあたりに飛び込んでくる体を受け止めて、ブレイズは目を丸くする。
部屋の中へ視線を向けると、備え付けのテーブルでロアが頬杖をついていた。
「もう戻ってたのか。飯は?」
「屋台で済ませた」
ロアの言葉に、そういえば昨日ウィットが行かなかった屋台に目移りしてたな、と思い出す。
代金はそれぞれ自分の財布から出したと言うので、こちらで精算する必要はなさそうだ。
「ねえねえ、ラディは?」
「あっちの部屋。もうちょいしたら来るだろ」
廊下で別れた相棒は、ギルドで預かった書類を片付けに、彼女たちの部屋へ戻っている。
ウィットの声が聞こえていたかどうかはわからないが、用が済めば一度こちらへ顔を出すだろう。
ちなみにラディは結局パスタを食べきれず、残りはブレイズが片付けた。
フォルセと店で別れた後、腹ごなしに散歩がてら、ふたりで街を回っていたのだが、それにも飽きて戻ってきた次第である。
「で、なにが売ってたって?」
「これこれ」
ウィットは片手に持っていた、短い木の棒のようなものをブレイズへ差し出した。
受け取って、よくわからずに首をかしげる。
「なんだこれ」
「火起こし道具なんだってさ」
「これが? 騙されてんじゃねえだろうな」
「騙されてないよ! ……たぶん」
たぶんかよ、と返しながらロアを見ると、彼は無言で小さく頷いた。大丈夫、ということだろう。
「実際に火をつけるとこも見せてもらったけど、火打ち石より早くて楽そうだったから買ってきちゃった」
ふうん、と生返事をしながら、ブレイズは手の中の棒をくるくると回す。
よく観察すると、端から四分の一ほどのところに、深い切れ込みがあるのに気がついた。試しに両端を引っ張ってみると、そこから二つに分かれて、中から金属の棒がすぽんと出てくる。まるで剣と鞘のようだ。
「これでどうやって火なんか起こせるんだよ」
「この棒の先に火口をつけて思いっきり押し込むとね、火がつくんだ」
「なんで?」
「さあ……」
「おい」
やっぱり騙されてるんじゃないだろうか。
実際に試してみればいいのだろうが、この部屋の中でやるわけにもいかない。
「ま、帰りの野営の時にでもやってみせてくれ」
そう言ってウィットに棒を返したところで、部屋の扉が小さくノックされた。
応答すると、ラディがひょこりと顔を覗かせる。
「さっきの声はやっぱりウィットか」
「二人とも、用事はもう終わったの?」
「ああ。飯食って帰ってきた。……で、ロア」
ブレイズはロアのいるテーブルに近づいた。
ギルドで受け取った荷運びの料金と、払い出しの控えをテーブルの上に広げる。
「フォルセが荷物の受け取り手続きしてたから、ついでに依頼料も受け取ってきた。ちょっと色つけてくれたんだけど、増額分は単純に頭割りでいいか?」
「別に構わないが、イェイツで払ってた関税は?」
「毒針のぶんか? あれは俺らの個人的なもんだから、こっちで持つよ」
ならいい、とロアが承諾したので、みんなで計算して依頼料を分ける。
ギルド側で気を利かせてくれたのか、銅貨で払い出してくれたので、両替の手間がなく済んだ。
「僕も同じ値段でいいの?」
「荷物を運ぶのも立派な仕事だよ、ウィット」
きまり悪そうな顔をするウィットに、ラディがくすりと笑う。
取り分の銅貨を手に乗せてやると、頬がほんのり淡く色づいた。
「自分でお金稼いだの、初めてだ」
「そうなのか?」
「覚えてる限りは、だけどね」
きゅっと金を握りしめるウィットを横目に、ブレイズも自分の取り分を財布に収める。
控えの紙はファーネで保管する必要があるので、とりあえずラディに預けた。
テーブルの上を片付けて、改めてロアに向き合う。
「これで正式に依頼終了、だな」
「……そうだな」
ブレイズの言葉に、ロアが小さく頷いた。
本来なら、王都のギルドに荷物を持っていった時点で、ロアの同行は終わりのはずだった。
王都でこれまで一緒にいたのは、依頼人に面会する都合で手続きの順番が変わり、依頼料を受け取れていなかったからだ。
……まあ、ブレイズと相部屋のほうがお互いに宿代が安く済む、という事情もあったが。
こうして依頼料の支払いが完了したので、ロアと行動を共にする理由はなくなった。
それに――。
「俺たちの用も済んだし、そろそろファーネに帰らねえと」
書類の審査は終わり、本部でやるべき発注も済んだ。
個人的なことだが旧友とも話せたし、これ以上、ブレイズたちが王都に留まる理由もない。
(これから帰り支度をして……ジルの命日には間に合いそうだな)
ファーネから王都まで来るのに、ひと月弱ほど。
ある程度の勝手は分かったので、帰りはもう少し短縮できるだろうか。
出発はいつにしようかな、と考えていると。
「――そっか」
ぽつり。
小さなつぶやきが、耳朶に触れた。
声のしたほうを見ると、ウィットの、凪いだ水面のような瞳と視線がかち合った。
ついさっきまで、火付け道具ではしゃいでいたのが嘘のように大人しい。
視線はすぐにふいっと逸れて、もうひとりの男へ向く。
「ロアとは、ここでお別れなんだね」
「……まあ、そうなるな」
ロア本人に肯定されて、ウィットの眉が一瞬だけ、泣きそうに歪んだ。
しかし次の瞬間、その顔を隠すように俯いてしまう。
だらんと垂れ下がった両腕の先で、手がきゅっと握り込まれていた。
(まあ、懐いてたしなあ……)
――また会える、だとか。
簡単に言うことができれば、どれだけ気が楽か。
しかし、実際にそうでないのを、おそらくウィットも理解している。
わかりきった気休めなら、口にするべきではないだろう。
「ウィット」
ラディがウィットの背を優しく撫でながら言った。
「寂しくなるね」
「……うん」
ウィットの頭がわずかに動き、蚊の鳴くような声が返ってくる。
なんとなくロアのほうを見ると、気まずげに顔をそらされた。
……こういう空気は、苦手だ。
昔、大襲撃の後。フォルセや、ファーネを去ると決めた大人たちが、申し訳なさそうな顔で別れを告げに来たのを思い出す。
大人の中には幼いブレイズとラディを哀れんだのか、一緒に来るか、などと言い出す者までいて。
(なんて言って断ったんだっけ……)
がりがり頭をかきながら、深みに放り込んだ記憶を引っ張り出して。
ああそうだった、と思い出す。
ウィットの頭にぽんと手を置いて、ブレイズは口を開いた。
「俺たちは、ファーネでやることがあるだろ」
言ってから、ずるい言い方をしたかなと思う。
ブレイズやラディと違って、ウィット個人には、ファーネに戻らなければならない理由などない。
支部長が彼女を正式にギルドの職員にしないのも、いつかファーネを離れようと思ったときを考えてのことだ。
でも、いまはまだ、手を放してやれる段階ではない。
この子はもう少し、誰かのもとで、この国の歩き方を知る必要がある。
「……そうだね」
ブレイズの手の下で、黒髪の頭が縦に動いた。
上げられた顔からはいくぶんか曇りが取れていて、泣いたりされなかったことに、内心で胸をなで下ろす。
「僕も――戻らないと」
青い瞳に、淡く決意の色が宿る。
その言葉に込められた本当の意味を知るのは、もう少し後のこと、なのだけれど。
ウィットが買ってきたのは、キャンプ道具でおなじみファイヤーピストンに相当するものです。
この世界では火の初級魔術が(魔力結晶込みで)使えれば不要なため需要が少なく、火打ち石のほうが細工がいらずお手軽なため、王都のような大きい街でしか売ってませんでした。
頭痛もちなので最近の天候にやられて休日もぐったりしております。みなさんもお気をつけて。
最近あんまり更新できていませんが、なるべく最低ライン週1ペースを死守したいとは思ってます……。




