59. 旧友との昼食
「誰か迎えにこさせるから、それまでここで待ってろな」
そう言って、デズモンドは部屋を出ていった。
そんなに複雑な道順でもないので覚えているのだが、関係者用の区画なので、勝手に歩かせてはくれないらしい。
「……この後どうすっかな」
思っていたよりも早く、書類の話が済んでしまった。
どのくらい拘束されるかわからないから、ウィットとロアには「夕飯までには戻る」と言っておいたのだが、時間を多く見積もりすぎたようだ。
ラディも頬に手を当ててため息をつく。
「一階に下りたら、本部で出せる発注書を出して……それも昼前に終わるな、たぶん」
「これなら、午後からウィット連れて外に出られたなあ……」
王都周辺は見通しのいい平地で、凶暴な獣もほとんど出ない。賞金稼ぎが多いので、見つかるとすぐに討伐されるせいだ。
ウィットの『初陣』にはちょうどいい環境なので、ローレ湖の見物ついでに行こうかと話していたのだが、今回の呼び出しの件で取りやめにしてしまった。
実際そこまでする必要はなかったようなので、惜しいことをしたと思う。
「まあ、息抜きをさせると思えばいいさ。あの剣の重さに慣れる時間も必要だろうし」
「そういうもんか?」
「ウィットは剣が好きで買ったんじゃない、必要だから買ったんだ。たぶん、ブレイズが思ってるほどワクワクしてはいないよ」
「……そういうもんか」
自分が剣術に傾倒しすぎている自覚はある。
納得したところで、部屋の扉がノックされた。案内の職員が来たようだ。
本部の一階に戻ってきたふたりは、ひとまず発注書の手続きに移った。
王都から東――王国東部や、その先にある東方大陸へ発注するものだ。金物屋が使う鉱石と、保存食である黒パンに必要な黒麦。本当はもっと色々と輸入したいところだが、ナイトレイ領の関税が高いため、いまは最低限の品目となっている。
発注書はカチェルがきちんと整えておいてくれたようで、特に訂正を求められることもなく受理された。ラディの予想通り、さほど時間はかからなかった。
「早いけど、昼飯にどっか入るか?」
発注カウンターを離れながら、ブレイズは壁にかかる時計を見上げた。正午まであと四十分ちょっと、といったところだろうか。
「この時間なら、どの店も空いてんだろ。食いたいもんあるか?」
「……生野菜」
「ああ、屋台だと出ないもんな……」
この相棒は薄味好みだ。やたらと甘かったり辛かったりするものは得意でない。
王都までの道中も、しょっぱい干し肉は最低限で、黒パンやビスケットばかり食べていた。
逆に生の果物なんかは好きなので、みずみずしいものに飢えているのだろう。
「サラダ出す店かあ……」
リクエストを聞いたはいいが、どんな店を選べばいいんだろうか。そのへんの定食屋だとたぶん、野菜は炒めものかスープしか出ないだろう。
思い切ってギルドの職員に聞いてみようかな、などと考えたところで。
「……あれ、ブレイズ? ラディも」
聞き覚えのある声に振り返ると、白衣を脱いだ幼馴染の姿があった。
「フォルセ。ギルドに用事か?」
「お前たちが持ってきてくれた荷物の受領手続きに来たんだよ。依頼料受け取れないと帰れないだろ」
「ああ、なるほど」
「もう手続きは終わってるから、いつでも受け取れるはずだ」
「じゃあ、いまもらってくるよ。ラディ、なんか見せるもんあるか?」
「ちょっと待ってくれ、いま出す」
ラディから小さな木札を受け取って、ブレイズは依頼品の納品窓口へ向かった。
木札を見せるとすぐに話が通って、依頼料と払い出しの控えが出てくる。事前の依頼料に少し色がついているのは、おまけでつけた巨大蜂の毒針のぶんだろうか。
(あれ、そんなに気に入ったのか……)
土産のつもりだったので、こういう対応をされるとは思わなかったのだが……ウィットとロアにも分配する手前、ブレイズが勝手に増額分を返してしまうわけにもいかない。
いま考えても仕方のないことだと思い直して、ラディとフォルセのところへ引き返す。
「待たせた」
「あ、ブレイズ」
ラディが心なしか弾んだ声でブレイズを呼んだ。彼女がここまでわかりやすく浮き立つのは珍しい、と不思議に思っていると、今度はフォルセが口を開く。
「いまラディに聞いたんだけど、これから昼飯なら一緒していいか?」
「そりゃもちろん。学院のほうはいいのか?」
「戻る頃には昼休みだろうからな。サラダのある店も、心当たりがあるよ」
「あ、それは助かる」
ゆっくり話す機会があればと思っていたのは、自分だけではないらしい。
それを嬉しく感じながら、ブレイズは幼馴染たちと連れ立ってギルドを出ていった。
◇
フォルセに連れてこられたのは、ギルドのある目抜き通りから一本脇にそれた道にある、カフェテラスのような店だった。
道に少しはみ出す形で、日よけのパラソルとテーブルセットがいくつか配置されている。
「パスタが人気の店なんだ。あと野菜はうちの草キチが手放しで褒めてた」
「野菜も守備範囲なのか、あの人」
「薬草学が専門とは言うが、『強いて言えば』だからな。植物ならなんでも飛びつくんだ」
へえ、と相槌を打ちながら席につき、テーブルに置かれているメニューを開く。
パスタにサラダ、それからスープがそれぞれ数種類。パンがあるのは、パスタだけでは足りない客向けだろうか。
「メニューの最後にデザートもあるよ、ラディ」
「そこまでは食べられないかな……」
「今日は動かねえからって、サラダとスープだけで済ませんなよ」
「わかってるよ」
そうは言うが、釘を刺した一瞬、ラディの視線が泳いでいた。何も言わなければ、しれっと軽すぎる食事で済まそうとしたのだろう。
ちらりとフォルセを見ると目が合って、小さく苦笑いが返ってきた。デザートを勧めていたのでもしやと思ったが、もうちょっと彼女に肉をつけさせたいと思ったのは同じだったらしい。
結局、ラディはパスタとサラダと果実水を注文した。ブレイズとフォルセも、それぞれウェイトレスに注文を告げる。
飲み物はすぐに出てきて、「お食事はしばらくお時間をいただきます」とウェイトレスが一礼して去っていった。
「それにしても、いきなり来るから驚いたよ」
冷えた薬草茶に早速口をつけて、フォルセが言う。
「そのうちファーネで会うだろうとは思ってたけど」
「なんだ、帰ってくる予定だったのか?」
王都で職を得たなら、もう戻ってくることはないのだろうと思っていた。
事情はわからないが、フォルセの母親がファーネを疎んでいるなら尚更だろう。
ブレイズの言葉を、フォルセは「そうじゃないんだけど」と否定する。
「七年くらい前に、魔境の調査隊が行っただろ。次の回に参加しないかって話が来てるんだ。前回参加してた教授が腰痛で無理だって辞退して、その後任にって」
「打ち切られたわけじゃなかったのか、あれ」
「ナイトレイ領の政情が不安定なんで、送り込めなくなったんだと。……出資者の筆頭が商業ギルドだから、何をされるかわからないしな」
なるほど、とラディがため息まじりに頷いた。
エイムズの街中で向けられた視線を思い出すと、何ごともなく通れる、なんて考えは甘いのだとよくわかる。
ギルドの出資を隠せばなんとかなるかもしれないが、それでは出資の意味がないだろう。
「まあ、だから時期未定。話が出てるだけってところだ」
ぽつぽつと注文した品が届き始める。
ブレイズとフォルセの前に置かれたのは、玉ねぎをじっくり炒めて甘みを引き出してから煮込んだスープ。舌で潰せるほど柔らかくなった玉ねぎは、一緒に届いたパンに塗りつけてもうまい。
ラディにもサラダが届き、くし切りの赤茄子を幸せそうに口に運んでいる。
「いまギルドが金を出してるのは、東方大陸の調査隊だな。あっちにも未調査域があるから」
「そっちには参加しねえの?」
「一年中ずっと雪が残ってるような土地だぞ? あんまり虫もいないのに行く意味あるか??」
「いや知らねえよ……」
何を言ってるんだ、みたいな顔で言わないでほしい。こちとら虫の生息域なんか知らないし興味もないのだ。
ラディがサラダを食べ終えたところで、見計らったようにパスタが届く。
目の前に置かれた皿を見て、ラディがちょっと困ったような顔をした。
「多いか?」
ウェイトレスが遠ざかってから小声で聞いてみると、ラディが小さく頷く。
注文の際に「少なめで」と頼んではいたのだが、彼女の皿に盛られたパスタの量は、ブレイズやフォルセとそう変わらない。なんだかんだ昼飯時に差しかかる時間だ、どこかで忘れられたのだろう。
「ま、食える分は頑張れ。昨日買った剣使うなら、もうちょい鍛えとかねえと体もたねえぞ」
「うん……」
頑張る、とささやくように言って、ラディはフォークを手に取った。ブレイズも自分の皿を引き寄せる。
結局、ラディの予備の剣は、今使っているものより刃渡りの長いものにした。彼女の希望にブレイズが折れた形だ。
刃渡りが長くなるということは、鉄の量が増えて重くなるということだ。腕だけではなく全身に、剣の重みでふらつかないだけの筋肉が必要になる。
(本当に、ウィットの食欲を分けてもらえればいいんだろうになあ)
脂っこい肉でも美味そうに食べ、その分よく動くウィットは、この点では何の心配もいらなくて楽だ。
新しく買ったあのバゼラードも、振るだけなら問題ないだろう。
同じように自分の分のパスタをつついていたフォルセが、そういえば、と顔を上げる。
「一昨日から気になってんだけど。ラディはどうしてそんな、剣士みたいな格好してるんだ?」
「ああ、そういや驚いてたなお前」
フォルセがファーネにいた頃のラディは、屋内で本を読んでいることが多かった。
その印象が強いのだろうと思っていたら、フォルセは意外なことを言う。
「剣どころか、魔術だって怖がってたじゃないか」
「え」
思わずラディを見ると、彼女は口の中のパスタをごくんと飲み込んでから、小さく苦笑いを浮かべた。
小さな頃のラディが、魔術の習得にあまり気乗りしない様子だったのは、ブレイズも覚えている。
魔力の発散のためにと初級魔術だけは覚えたが、そこまでだ。
当時ファーネにいた魔術士たちには、それがあまりに勿体なく見えたのだろう。彼らは事あるごとに、ラディに高度な魔術を教えようとしていた。
無理強いされると彼女はブレイズのところまで逃げてきて、それを見たジルが魔術士たちを叩き出しにかかることだって、一度や二度じゃなかった。
逃げてくるラディはいつも震えていて、それは大人に詰め寄られた恐怖からだとばかり、ブレイズは思っていたのだが。
「お前、魔術が怖かったのか?」
「……初めて使った魔術で、誰かさんに大怪我させたからね」
とん、とラディが自分の額を指で叩いた。ブレイズの額にある古傷と、同じ位置だ。
傷にそっと触れてくる、細い指の感触を思い出す。
ブレイズにとっては、知らないうちにできていた、大して痛みもしない傷。
ジルたちに拾われた時、ラディが暴走させた魔術で負った傷だとは聞いていたが……。
「でも、ジルが死んで、周りの大人もどんどんいなくなって、それで――」
一度フォークを手放して、ラディの手が果実水のグラスへ伸びる。
色のついた水面に視線を落として、彼女は言った。
「怖がってる場合じゃないって、思ったんだ」




