57. それぞれの剣
翌日の午後、ブレイズたちは再びシルビオの武器屋を訪れていた。
午前でないのは、昼飯時までベッドから降りなかった寝汚い子供のせいである。
移動の疲れもあるだろうと今日は見逃したが、明日以降は容赦なく叩き起こせとラディに言っておいた。夜に眠れなくなるのはまずい。
薄暗い店内に眠気を誘われたのか、ふわあと欠伸をするウィットを、ロアが呆れたような目で見下ろしている。
「おう、来たか」
店に入ってから少しして、カウンターの奥からシルビオが姿を現した。
首にかけたタオルで汗を拭いながら、作業着の袖をまくっている。工房で作業中だったらしい。
その目が一瞬ロアに向いたような気がしたが、昨日と違って凝視することはなかった。
「好きに見ていいが、剣ならそっちだ」
顎で示された先には陳列用の棚があり、形も大きさも様々な剣が並べられている。剣が目当てだと思われたらしい。
(まあ、その通りなんだけどな)
正確に言うなら、ブレイズはいま使っている剣以外にあまり興味がないのだが。
ファーネ支部に拾われて、ようやく歩き回れるようになった頃だったか。
ジルが誰かと手合わせしているのを初めて見た日、ブレイズはその剣技に惚れ込んだ。
相手の剣を弾き、受け流し、刃をけして自身に届かせない。
垣間見えた隙には躊躇なく飛び込み、そこに必殺の斬撃を叩き込む。
――初恋、といってもいい。
記憶をきれいさっぱり失って空っぽの頭に、その鮮烈さが焼き付けられた。
ブレイズが剣を振ってきたのは、ジルのようになりたかったからだ。
あの剣と同じ剣を振るいたい一心で、彼の死後も記憶を頼りに剣を振ってきた。
もっとも、模倣で終わるんじゃないと、最近ある女性に怒られたばかりなのだが――。
「ブレイズ」
呼ばれて、ブレイズは我に返った。気付かないうちに剣へ落としていた視線を上げる。
陳列棚の前で、ラディがこちらを見ていた。
「いい機会だから、予備を買っておこうかと思ったんだけど」
「ああ、ファーネで探すのはきついもんな」
同意しながら、相棒に歩み寄る。
彼女の隣で戦うのはブレイズだ。使う武器がどんなものかは、事前にわかっていたほうがいい。
「いまの剣を買ったときより背も伸びたし、もう少し刃渡りのあるものを買っても大丈夫かな?」
「重くねえか? 室内での取り回しも変わってくるぞ」
「ブレイズはもっと長い剣振り回すじゃないか。まあ、その剣は私には大きすぎるけど」
「お前がこの剣まで使えたら、俺の立場がなくなっちまうよ」
ブレイズが使っている、というか、かつてジルが使っていたのは、クレイモアと呼ばれる薄刃の両手剣だ。
その中でも全長が短く軽めの、腰から下げられるタイプである。握りが両手で握れるほど長い点を除けば、騎兵用片手剣とほぼ変わらない。
対してラディが腰から下げているのは、一般にショート・ソードと呼ばれる片手剣。
彼女はあまり筋力がないので、流通している中でも刃渡りが短いものを、当時すでに支部長だったキースが選んできた。
「あくまで近づかれたときの護身用なら、いまの長さで十分だろ」
「……護身だけで、終わらせたくはないんだ」
手の中の剣を見下ろす横顔に既視感を覚えて、ブレイズは密かに唇の内側を噛んだ。
(あのときと、同じ顔だ)
十年前、「剣も魔術も使えるようになる」と自分に告げた少女の背中を思い出す。
――剣も使えるようになる、と。
そう言った彼女に抱いたのは、置いていかれるという焦りだけではなくて――。
「裏の薪割り場でよければ、素振りくらいやっても構わんぞ」
ふいに、横手から声をかけられた。
いつの間にカウンターから出てきたのか、シルビオがすぐそばに立っている。
「いいんですか?」
「儂の打つ鉄は、他と比べて重たいらしいからな。重心を調整してやることもできるが、とにかく一度振ってみなけりゃわからんだろう」
そうラディに言って、シルビオはじろりとこちらを見た。
「……で、お前さんは買い換えないのか?」
「いや、俺は」
「その剣、そろそろ寿命だろ」
この剣以外を使う気はない、と。
そう答えるのを遮って投げかけられた言葉に、どくんと心臓が跳ねる。
「昨日から気になってたんだ、見ただけでも古い剣なのはわかるしな。鞘の中でがたつくことがないか?」
「……ブレイズ?」
どく、どく、脈動が断続的に喉の奥を圧してくるような感覚。ラディがこちらを見たのが気配でわかったが、反応する余裕がない。
答えないブレイズを気にした様子もなく、シルビオは剣の柄をじっと見下ろした。
「五年や十年じゃないな、柄の意匠が古すぎる。中古品か?」
「私たちの師匠が使っていたもの、なんですけど」
「なら、そのお師匠さんも随分と使い込んでたんだろうな。作る側としちゃ羨ましい話だが……」
「……使えなくなる、のか?」
ようやく絞り出せた自分の声は、みっともなく震えている。
「研ぐってのは削るってことだからな。長く使ってれば、どうしたって痩せ細る」
シルビオは棚の上にスペースを作ると、「出してみろ」と顎をしゃくった。
言われるまま剣を抜いて、そこに横たえるように置く。
「鍔に近い部分を見てみろ。刃が細ってるのがわかりやすいだろ。本来の剣身は、このくらいの幅だったんだな」
太い指が示す場所を見れば、確かに刃がゆるく曲線を描いて、両側から幅を狭めている。
シルビオの言う通り、この剣は確実にすり減っているのだ。
(――そう、か)
それを理解して、ブレイズはようやく息を吐いた。
心臓はまだ嫌な音を立てている。しかし、少しだけ頭が冷えた。表情を取り繕えるくらいには。
この剣が使えなくなる日が来るなんて、考えたこともなかった。
ずっと一緒に、生きていくのだと思っていた。
けれど、いつか、遠くないうちに、その日は必ず訪れる。
やせ細った剣身に、それを納得させられた。
「……おやっさん、『これ』と同じ形で作れるか?」
「作れはするが、ひと月はかかるぞ」
「それでいい」
そう答えると、シルビオの眉が跳ね上がった。
言いたいことはわかる。寿命だって言ってんだろ、間に合わせでいいから今すぐ別の剣に持ち替えろ、だ。
もっともな話だと思う。
けれど。
「それでも俺は、この剣しか使えねえんだ」
な、と同意を求めてラディを見ると、相棒は「仕方がないなあ」といった様子で困ったように微笑んでいた。
◇
オーダーメイドとなるが、前金はバロウ村の件で得た賞金で十分足りた。
残りの代金は、ファーネ支部にある貯金でどうにかなるだろう。
さてラディの予備にはどれを選ぼうか、とカウンターから剣の棚に戻ると、ウィットが真剣な顔でそこに並ぶ剣を見つめている。
彼女の隣にはラディの姿。少し離れた位置で、ロアが退屈そうに二人を眺めていた。
「なんだこの状況」
てっきりウィットがはしゃいでいるだけかと思ったが、彼女の表情を見る限り、そういうわけでもないらしい。
ロアに事情を聞こうかとそちらへ行こうとした瞬間、振り返ったラディが腕を引いてくる。
「ブレイズも手伝ってくれ」
「何をだよ」
「ウィットの武器選び」
え、と思わずウィットを見下ろした。話が見えない。
黒髪の頭をつついて説明を求めると、ウィットはどこか張り詰めた表情で口を開いた。
「……ちゃんとね、斬り方、覚えたいんだ」
「剣の、か?」
確認すると、こくんと頷きで返される。
「たぶん、剣が一番、相性がいい。逆に、飛び道具は合わない気がするんだ。……僕の『あれ』とは」
「まだ怖いなら、急がなくてもいいと言ったんだけど」
「怖がってたら動けなくなるよ」
棚の上に置かれた手の、指先がこわばって小さく震えている。
(……そうだな)
ブレイズはぐっと息を呑み込んで、こわばる小さな手に自分の手のひらを重ねた。
ずっと、触れるのを怖がっていた。
情けない話だが、剣を握る手を、壊されるのが怖かったのだ。
情けなさ過ぎて、ラディにも言ったことはない。
結構ぎこちない動きだったと思うが、いまのウィットなら気づかないだろう。
「お前、体格のわりに手が小さいからなあ。でかいのはきついか」
ぷにぷにした手を揉みながら、ブレイズは壁に飾られている小型の剣を眺める。
重い大型の剣は、総じて握りが太めだ。この小さな手には余るだろう。
しかし短剣はリーチが短すぎる。ファーネでの稽古でウィットにも言ったことがあるが、至近距離での戦闘には格闘の素養も必要になるのだ。そちらはファーネで教えられる者がいない。
あの異能を抑え込むのが第一の目的だが、いざという時に頼る武器としても考えると、やはり剣がいい。短剣よりは教えやすいし。
「力はあるが、上背も考えると、あんまり長い剣は持て余すかな。ラディがいま使ってるみてえな、刃渡りの短いショート・ソードがいいか」
「それならいいのがあるぞ」
いきなり後ろから声をかけられて、ウィットがびっくりした表情で振り返った。気配に気づいていなかったらしい。
こちらに歩いてきたシルビオは、陳列棚の下にある扉をぱかりと開けて、中から一つの木箱を取り出す。
かぶせてあるだけの板状の蓋と、その下にかけられた布を取り払うと、なんとも微妙な大きさの両刃剣が出てきた。
「なんだこりゃ……」
普通のショート・ソードよりも、更にこぶし一つほど刃渡りが短い。
しかし短剣と呼ぶには長く、中途半端な印象を受けた。
「バゼラード、つってな。なんでも昔、バージルだかバセットだかって鍛冶職人が考えたもんらしいが」
話しながら、シルビオはその剣を鞘からゆっくりと抜く。刃がやや薄い。斬るための剣か。
「剣身から柄まで一体成型なんだ。細かい細工がいらんから量産しやすいと、戦時中はよく作られたらしい」
「柄も鉄なら重いんじゃないの?」
「否定はせんが、これは重心に工夫をした。実際より軽く感じるはずだ」
持ってみろ、とシルビオからバゼラードを渡されたウィットは、握り直してから目を丸くした。
「あんま重くない……」
「だろう?」
ウィットのつぶやきに、シルビオが得意げな顔で笑う。
ちょっと気になるので、後で自分も持たせてもらおうとブレイズは思った。
「まあ実際、重いのは確かだ。それに柄も鉄だと高くつくから、刃渡りがその分短くなったわけだな」
「あ、お値段の問題なんだ。使い勝手じゃなくて」
「ショート・ソード並の刃渡りのもないわけじゃないが、割高ではあるな。その剣も、材料費は普通のショート・ソードと同じくらいはする。細工代がかからんから、売り値は多少相殺されるが」
ふうん、とウィットは手に持ったバゼラードを見下ろした。その目がきらきらと輝いているように見えるので、おそらく気に入ったのだろう。
気に入る、というのは大きい。剣を使いこなすというのは、剣に自分を合わせていく作業だ。それに楽しみを見出だせれば、上達は早い。
ブレイズが見ても、ウィットとあの剣の相性は悪くなさそうだ。重いのは否定できないとシルビオは言ったが、ウィットは筋力があるから、さほど問題にならないだろう。柄まで一体となっているなら、メンテナンスも簡単そうだ。
最初に見たときは中途半端な剣だと思ったが、なるほど、今日まで廃れていないだけの利点はあるわけだ。
「一度、裏で振らせてもらおうか」
「うん!」
ラディが言うと、ウィットが元気よく頷いた。シルビオの案内に従い、連れ立って店の裏口から出ていく。
相棒の腕の中には、長さの異なる剣が二本。一応、ブレイズの意見も考慮してくれるらしい。
「ウィットは剣帯も買い換えないとな」
「あれを買ってくれるなら安くしてやるよ」
作ったはいいが買い手がつかなくてな、と笑うシルビオに、ブレイズは苦笑した。
こうやって武器屋の口車に乗せられるのも、ウィットにはいい経験だろう。




