56. 幕間:王子様は友情に飢えている
偏頭痛でダウンしてました。
ちょっと短いですがよろしくおねがいします。
職人通りを抜けたところでブレイズたちと別れ、フォルセは学院へ戻ってきた。
十年ぶりに会えた幼馴染たちと、話したいことは山のようにある。
しかし、リド・タチスを草キチに任せっぱなしにしておくのは心配だった。
まあ、幸い自分は時間の融通がきく立場だ。
ブレイズたちの泊まる宿も聞いておいたので、やるべきことを済ませたら会いに行けばいい。
足早に廊下を進み、自分に割り当てられた実験室の引き戸を開ける。
中にリストニエの姿はなく、リド・タチスの輪切りの横には、見知った別の姿があった。
引き戸の音で気づいたのか、金色の瞳がこちらを見る。
「よう」
「来てたのか」
軽く言葉を交わしながら、フォルセはぐるりと部屋を見回した。他に誰の姿もない。
「護衛はどうした、王子殿下」
「城からここまでなら不要だろう。大通りを歩けば人目もそれなりにあるし」
悪びれた様子もなくそう答えて、第三王子ケヴィンは視線を傍らの植物へ向ける。
輪切りにした稈はそのまま、花は葉茎ごと外されて、そばに置かれたガラス瓶に差してあった。リストニエがやったのだろう。
瓶にはうっすら色がついた水が入っている。栄養剤の類でも入っているのか、心なしか、萎れかけていた葉がみずみずしさを取り戻しているような気がした。
「昼前にリアムが来てな。花が見つかったというから、直接見に来たんだ」
「……そういえば、ギルドで会ったって言ってたな」
この男にはもう少し確認してから連絡しようと思っていたのだが、こうして来てくれたなら手間が省ける。
いくらなんでも腰が軽すぎやしないか、とも思うのだが。
そこで、実験室の引き戸が再びからりと音を立てた。
リストニエが、中にいるケヴィンを見て目を丸くする。
「あら殿下、いらしてたんですか」
「ようダメ乳」
「この乳の何がダメだってんですか?!」
あんまりな発言をしたケヴィンをたしなめる隙もなく、リストニエが自らの胸をむんずと掴み上げた。やめろ掲げ持つな、そういうところが他の男連中に残念がられるんだ。
心の強すぎる同僚の肩をぽんと叩いてなだめると、彼女は顔だけこちらへ向けて、化粧っ気のない唇を開く。
「ルヴァード、花の芳香成分の抽出は頼んできましたよ。比較分析は対象が虫の汁だったら断るそうです」
「……槍蜂の毒液って虫の汁に入るか?」
「微妙なところですね……何やろうとしてるんです?」
「おい、僕を除け者にするんじゃない」
それは、と言いかけたところで、横からケヴィンの不満そうな声が飛んできた。
彼が作業台を指先でこつこつと叩くので、リストニエと二人、そちらに近づく。
「……で、こいつはリド・タチスで確定なのか?」
「ああ」
「現状そうとしか考えられません」
フォルセたちが頷くと、ケヴィンは「そうか」と応じて近くの椅子に腰を下ろした。
「え、ひょっとしてそれ聞くためだけに来たんですか?」
「そうだが?」
呆れたと言わんばかりに、リストニエが首を横に振る。
「相変わらず寂しがりですね。国軍でお友達とか作らないんです?」
「できるわけないだろう、こちとら王子様だぞ」
「威張って言うことじゃないんですよ」
言いたい放題のリストニエだが、フォルセは止めなかった。ケヴィンが二人を咎めることもない。
王子であるケヴィンと、こうして本音で語り合える場所は限られる。
彼がわざわざここに来るのは、それを求めているからだ。だから自分もリストニエも、学院時代と同じように彼に接している。
「いっそのこと王都から離れたところで……ああ、いま来てるルヴァードの友達とか紹介してもらえばどうです? あなた、この先ファーネにはちょいちょい行くでしょ」
「オーデットたちか? 前に会ったときは、リアムのこともあってあまり目立つ真似ができなかったからな……」
「リアムのことがなくても目立つ真似をしないでほしいんだが」
「むしろリアムくんがいなかったら何してたのか気になりますね」
「いや、『ここがフォルセの男のハウスだな?!』とか叫びながら入ったら面白いかなと思ってたんだが」
「ざけんな」
「『フォルセの女』ではなかったんですね」
「レイリアが女性だと思ってなかったからな」
そういう問題ではない、と言おうとしたところでリストニエが首をかしげた。
「なんでやらなかったんです?」
「『やったら面白そうだったのに』みたいな顔して言うな」
「リアムが本気の目をして止めるものだから……」
「『リアムのこともあって』ってそういう意味かよ!」
同行したマーカスは何をやっていたんだ、と思ったが、あの人は指差して笑うだけだろう。
彼は護衛であってお目付け役ではないので、ケヴィンの身が危険に晒されない限り、大抵のことは面白がるだけだ。要するに、あてにならない。
そういうわけで、フォルセはここにいない後輩に心から感謝した。ファーネでの世間体を守ってくれてありがとう、あやうく二度と故郷に顔を出せなくなるところだった。
「で、いつ帰るんだ?」
「さすがに酷くないか」
言外にさっさと帰れと告げるが、目の前の王子様は作業台にだらしなく突っ伏してしまう。
「邪魔はしないから、もうしばらくここで休ませてくれ。夕方の会議で『これ』について報告を上げないとならないから気が重いんだ」
これ、とリド・タチスの蕾を指でつつくのを、リストニエが瓶ごと取り上げた。貴重なサンプルだ、気持ちはわかる。
大人しくしているならそれでいいか、と思い直して、フォルセは作業台の上に放り出していた白衣を羽織った。
「リストニエ、さっきの話の続きだが」
「蜂の毒液は虫の汁に入るかどうか、でしたっけ?」
「そうだけど、そうじゃなくてだな――」
あくまで、自分たちは研究者だ。
不思議を不思議でなくし、名前のないものに名を与え、見えないものを見えるようにするのが本分である。
だとすれば、これ以上興味のない専門外の話に首を突っ込む必要はない。
友人の憩いの場として部屋の一角を貸すくらいはするが、それ以上は余計な世話というものだろう。
なお、これから一時間ほど後、本気で放置されて拗ねるケヴィンを迎えに来たマーカスが笑いながら回収していくのだが。
フォルセもリストニエも、一瞥すらくれなかったという。




