55. 真相と八つ当たりと、それから
ちょっと暗めです。
店に残ったロアは、奥にある住居部分に招かれた。
シルビオは独り身だそうで、他に家人の気配はない。通された部屋には、飾り気のない小さなテーブルがひとつ、ぽつんと置かれていた。
「狭い所で悪いな、そこに座っててくれ。酒……にはまだ早いか。茶でいいか?」
「はい」
遠慮しようかと思ったが、話が長くなるなら喉を潤すものはあったほうがいい。
頷いて数分すると、ほどよく冷えた茶が出てきた。
シルビオがテーブルの対面に座る。
「ルフィノとトニアのことは残念だった。……今更だが、二人が死んだことは知っていたか?」
「はい。俺が老師と駆けつけた時には、近くの地族が皆を弔ってくれていました」
「そうか……」
テーブルに視線を落として、シルビオは絞り出すような声を出した。
「死んだ者たちには、悪いことをした……。魔物に追われて戻ることもままならず、そのまま船で逃げ出して……すまん、言い訳だな」
「……どうして、わざわざ王国まで?」
「儂は家族もなく、他の集落に行くあてがなかったからな。一人で身を立てるなら、王国のほうがやりやすかった。……他の連中も似たようなものだ」
そういうことか、とロアは納得した。
南方民族は集落という単位で生きている。独立するにしても、数家族まとめてだ。
ロアの故郷のように集落そのものがなくなってしまった場合、残された者たちは親類や友人の縁を頼って他の集落に入れてもらうのが普通だった。
だからロアは最初、南方に散らばる火族の集落を一つ一つ回って妹を探していた。伯父夫婦の親類が、他の集落にいるのかどうかも知らなかったので。
(……ここまで十二年、か)
南方を探し回っていた日々を、無駄だったと言い切ることはできない。
当時のロアはまだ六つの子供で、一人で生きていくには何もかもが足りなかった。それをわかっていたから、師匠はロアがどれだけ苛立っても、彼を手放すことをしなかったのだ。
師匠も、すでにこの世にいない。
老体に鞭打ってロアに付き合い、体を壊してこの世を去った。
――吾の死を悔やむなら、恨みのみで生きるのではないぞ。
泣きながら謝るロアに、それだけ言い残して。
「――ひとつ、聞いてもいいでしょうか」
「おう、どうした?」
優しげに応じるシルビオに心が痛む。
きっと彼は何も知らない、たぶん知る必要だってない。
いま尋ねるべきは『これ』ではないと、頭ではわかっている。
けれど、何よりも先に、確かめたいことがあった。
「どうして、父が死んだと知っているのですか?」
「んん……?」
こんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう、シルビオは訝しげな顔になる。
しかしこちらが黙っていると、しぶしぶといった様子で口を開いた。
「テルセロ……おまえの伯父が、そう言っていたが。……まさか、生きているのか?!」
「……いえ」
出てきた名前に、きつくきつく拳を握る。
「父は死にました。だけど、それはあなた方が逃げた後だ。俺が駆けつけたときには、まだ生きていた」
「……なんだと?」
「父が死んだのは、魔物のせいじゃない。――伯父に、刺されたんです」
◇
ロアが父ルフィノから、死に際に聞いた話はこうだ。
集落が魔物に襲われた、あの月のない夜。
家の外で妙な物音がすることに気づいたルフィノが外に出ると、伯父テルセロが家の近くにある獣避けの柵を壊しているのを見つけた。
当然ルフィノはそれを咎めるが、テルセロは「これには理由があるんだ」と訴える。それに耳を貸そうとしたところ、隠し持っていたナイフで胸を刺された。
激痛と息苦しさで崩れ落ちるルフィノを置いて、テルセロはその場を去ってしまう。
しばらくして、ルフィノはなんとか立ち直った。ナイフが急所を外しており、即死は免れたらしい。
出血の止まらない体を引きずり、傷の手当てをしようと我が家へ戻る。中に入ると、床にぽつぽつと血が落ちていた。まさかと思って辿っていくと、奥の部屋で、妻トリアが血溜まりに沈んでいる。
助け起こすと妻にはまだ息があり、口から血を吐きながら、震える手で何かを示そうとした。
血まみれの唇が告げる。
「兄が、いきなり……入って、きて。……ルピアを……」
そこで妻は力尽きたが、その手は部屋の隅にあるベッドへ向いていて。
ベッドに寝かせておいたはずの、娘ルピアの姿がない。
やがて、外から悲鳴がいくつも聞こえてきた。
壊された柵から魔物が入ってきたと気づいたのは、その時だった。
◇
「――死ぬ前の夜、父は俺に言いました。『伯父がルピアを連れて行った』、と」
そこまで語って、ロアは口を閉じた。
沈黙の中、青い顔のシルビオが手で口元を覆う。
「待て、それじゃあ、あの魔物は……」
ロアは答えず、ただ視線を伏せた。
シルビオが頭を抱えるのが、気配でわかった。
(この人は、本当に何も知らなかったんだな)
伯父に共犯者がいなかったとも限らない。
王国をさまよう道中で彼の罪を知り、当事者を差し置いて、彼に許しを与えてしまった人もいるかもしれない。
だから、シルビオがそうでないという確証が、安心が欲しかった。……ロアの『敵』ではないと。
そして、それを差し引いても、ここまで話す必要はなかった。
ただ妹を追っているとだけ告げれば、伯父とルピアの居場所を尋ねる理由としては十分だ。
知らなければ、知っていそうな別の難民を紹介してもらえば、それで用は足りる。
それでも話したのは、たぶん、この人に知ってほしかったからだ。
ロア自身、自分の心がよくわからない。
けれど、父と母の死を、『魔物のせい』の一言で片付けられるのは我慢ならなかった。
だからこれは、要するに八つ当たりなのだ。
どうしてお前たちは伯父の罪に気づかず、そのまま逃してしまったのか、と。
(……老師。俺はまだ、恨みに振り回されているようです)
死なせてしまった師に胸のうちで詫びながら、ロアはシルビオをまっすぐ見据えて口を開く。
「伯父の居場所を、ご存知ありませんか」
頭を抱えていたシルビオが、のろのろと顔を上げた。
「……会って、どうするんだ」
「わかりません」
ここに来るまでずっと考えていたが、どうするのが正しいのか、まったくわからなかった。
自分の心だってわからないから、伯父をどうしたいのかも定まらない。師匠を巻き込んで死なせるまでは、惨たらしく殺してやるとばかり思っていたが。
会ってどうするのか、まだ決めていない、けれど。
「少なくとも妹のことは、この目で確かめないと安心できませんし……」
妹を言い訳に使う自分を内心で軽蔑しながら、視線はシルビオから外さない。
「立ち止まることだけは、したくないんです」




