53. 赤い花の災禍
「この中心にある、太い茎……稈と呼ぶのですが、ここが濁りのないきれいな緑色をしていますね。それから、稈の節がまっすぐ横向きで等間隔にあります。これはタチス属の特徴です。これで赤い蕾をつけているなら、太さに違いはありますが、リド・タチス以外に考えられません」
植物の輪切りをあちこち指で示しながら、リストニエが解説する。
それを聞いて、フォルセが冷たい目で彼女に声をかけた。
「じゃあ真っ先に葉っぱ持ってって顕微鏡まで用意してたのは何だったんだ」
「葉脈をじっくりゆっくり観察したいからですけど?」
欲望に大変素直である。間違いなく虫キチの同類であった。
「……で、そのリドなんとかが魔境にあったから何だってんだ?」
「それは――」
「それは私からご説明しましょう!」
口を開きかけたフォルセを押しのけて、リストニエがブレイズの前にずずいと進み出た。
目の前で大きな胸がぼよんと揺れる。
「あ、申し遅れました。私、ミリア・ミリア・リストニエと申します。専門は薬草学なんです後ほど魔境の森の植物採集の依頼について相談させていただいてよろしいでしょうか?!」
「近い近い近い」
「マジで後にしろ草キチ」
フォルセの手がリストニエの首根っこを掴んで、ブレイズから引き離した。
開いた距離にほっと安堵の息を吐く。
ブレイズだって男なので、リストニエの胸を見て最初は「おっ」と思ったが、さすがに短時間で何度も見ているとありがたみも薄れるものだ。
眼鏡の奥の瞳が、先ほどのフォルセと似た輝きを宿しているのまで見てしまえば、ただただ残念な気持ちにしかならない。
なんかこう、フォルセが女になって乳を揺らしていたとしてもたぶん嬉しくないのと同じ気持ちだろうな、というか。
気を取り直すように、リストニエがこほんと咳払いをした。
「タチス属は、温暖な土地――王国西部からハルシャあたりですね、そのあたりで見られる麦の仲間です。まあハルシャは農耕地が多いので、山にでも入らないと見つからないでしょうけれど」
「麦の仲間……じゃあ、食べられるの?」
「食べられるタチスもあるそうですよ。残念ながら私の故郷は東部なので、まだ食べたことがないのですけど」
まだ、ということは、いつか食べるつもりなのだろうか。
ウィットの疑問に楽しそうに答える様子は、やはり虫について語る時のフォルセとよく似ている。
「このタチスというのは不思議な植物で、開花の周期がとても長いのです。短いもので十年、長い種類だと百年を超えるものもあります。ちなみにリド・タチスは十年ですね、短いほうです。そしてもっと不思議なことに、開花のタイミングが世界中でほぼ同じなんですよ。各地の記録だと、数日のズレはあるものの、一斉に花を咲かせているんです。その後一斉に枯れて、種が残ります。……ちょっと失礼」
そこでリストニエは自分のコップを持ってきて、水差しから水を注いだ。
一口飲んで喉を潤し、再び口を開く。
「ここまでがタチスという植物全般の特徴です。そして、今回持ってきて頂いたリド・タチスだけが有する特徴として、ある種の寄生能力があります」
「寄生?」
「動物が種を食べるなどして体内に取り込むと、その動物の行動を乗っ取って操ってしまうんです。乗っ取られた動物は、群れや巣を離れて独自に行動を始めます。おそらくは種を別の場所、つまり栄養のある別の土壌に運ばせるためと考えられていますが、本当のところは分かっていません」
へえ、とウィットが感嘆の声を上げた。楽しそうで何よりだが、ブレイズには何がそんなに面白いのかさっぱり分からない。
女にとっては楽しいことなのかと思って隣のラディを見ると、彼女は顔を強張らせていた。
「ラディ?」
思わず呼びかけると、彼女ははっとした表情でこちらを見返してくる。
その顔色が心なしか青ざめているように見えて、ブレイズは眉をひそめた。
どうした、と続けるより先に、ラディがフォルセのほうを見て口を開く。
「フォルセ。私たちが持ってきたあれに蕾がついているということは……今年が開花の年、なんだな?」
「……まず間違いなく」
フォルセの返事に、ラディは手で口元を覆って俯いてしまった。
わけが分からずフォルセを見ると、彼はブレイズの近くまで寄ってきて、低い声で言う。
「今年に開花するということは、前回の開花は十年前だ。……十年前に魔境で何があった?」
「……あ」
そこまで言われてようやく、ブレイズにも話が見えた。
十年前、ファーネの街には魔境から魔物たちが押し寄せた。
狼の魔物、鳥の魔物、虫の魔物、それから彼らに率いられた、魔物になりかけの獣たち。
食う食われるの関係にあるはずの生き物でさえ、争うことなく一斉にファーネへと向かってきたのだ。
作業台の上にある、リド・タチスの輪切りを見る。
魔境でここまで大きく育ったのなら、その特性も、普通の個体より強く出ているかもしれない。
「……こいつが原因だってことか?」
「半分はな。まだ確証はないんだが」
同じようにリド・タチスへ視線をやって、フォルセが頷いた。
「学院で調べてわかったことだが、十三年周期で大量発生する種類の蝗が魔境にいるらしい。昔の調査隊の記録が残っていた」
「蝗……」
「いただろ、嫌になるほど」
忘れるわけがない。
ジルやフォルセの父、大人たちを何人も食い殺した蝗の魔物。
「ここ六十年ほどの記録がないから計算上だが……その大発生の年も十年前だった」
「……つまり十年前のあれは、その二つが重なった結果ってことか?」
「計算通りならな。百三十年に一度の大災厄だ」
フォルセが言葉を切って、部屋に沈黙が落ちる。
ウィットとリストニエも、話をやめてこちらを見ていた。
唇を噛んでいるラディの顔を見て、ブレイズは口を開く。
「……帰ったら焼くか」
「やめとけ」
「そうですよもったいない! それなら地下茎ごとください!!」
「お前は黙ってろ」
だってだって、と胸を揺らして訴えるリストニエを言葉で切り捨てて、フォルセがこちらを見た。
「あの広い魔境で、リド・タチスの生えてる場所がひとつだけとは思えない。なら一ヶ所焼いたって無駄だ、むしろ開花のタイミングがわからなくなる」
「むしろ悪手、か」
「そういうことだ。俺だって焼いて解決するならそう言う」
苦々しい口調でフォルセが言う。
「……止めることは、できないんだな」
沈んだ声で、ラディがつぶやいた。
胸の前で握りしめられた手が、血の気を失って白い。
「少なくとも今は現実的じゃない。開花の影響がファーネに届く距離にあるリド・タチスを全て排除することになるんだ、魔境の調査域がもっと広がらないとな」
「……そのためには、ファーネが拠点として頼れないとダメ、か」
「そういうことになる」
ブレイズの言葉を肯定して、フォルセは続けた。
「お前たちのところにケヴィンとリアムが行ったのは、俺があの二人に、この件を相談したからだ。その結果、『そもそも魔物の大襲撃が再発しなくても危うい』って判断になったのは情けない話だが」
「なるほど」
だからギルドでリアムに植物のことを話したとき、やけに真剣な顔をしていたのか。
「てか、何の予告もなく王子様を寄越すなよ」
「俺だって本人が行くとは思ってなかったよ。マーカスさんがいれば十分だったろうに」
ブレイズはマーカスもどこかの貴族じゃないかと疑っていたのだが、フォルセいわく、彼は単なる国軍の兵士の一人だそうだ。
機転がきくのを見込まれて、ケヴィンの護衛兼付き人のような位置に収まっているだけの平民らしい。
「でも、まあ……」
フォルセは作業台に頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を見る。
「これで故郷が少しでも守られるなら、王都まで連れてこられたのも無駄じゃなかったかもな」
そう言って苦く笑う旧友は、ただの虫好きの少年の顔ではなくなっていた。
素数ゼミと冬虫夏草属とマダケ属の生態をいいとこ取りで魔改造しました




