51. 旧友との再会
昼食をとってすぐの午後、ブレイズたちは学院への道を歩いていた。
リアムと別れた直後、ブレイズを呼んだギルド本部の職員が言うことには。
ファーネ支部からの書類――ブレイズとラディのギルド職員としての権限拡大を申請するものは、審査に数日かかるらしい。
「ひとまず明日の時点で、状況を宿までお知らせします。宿はもうお決まりですか?」
「いや、王都は初めてで。どこか紹介してもらおうと思ってた」
「でしたら、ギルド前の大通りをもう少し進んだところにある、『酔いどれ半月亭』がお勧めです。……ああ、いかにも酔っ払いがたむろしてそうな名前ですがご心配なく。先代はどうしようもない飲んだくれでしたが、今のご主人はしっかりした方ですよ。食事もおいしいです」
そんな会話の後、職員は学院への紹介状を手渡してきた。これを守衛に渡せば、中にいるフォルセに連絡を取ってくれるそうだ。
その後、ひとまず紹介してもらった宿で部屋を取り、野営道具などの大きな荷物を置いて、賞金の分配まで終わらせた。
ウィットは遠慮していたが、ブレイズとラディの都合で怖い思いをさせたのは間違いないので、強引に受け取らせている。せっかくだから、王都で何か欲しい物があったら買えばいい。ファーネには入ってこない、東部の商品もあるだろうし。
宿の食堂は混んでいたので、目抜き通りの屋台で昼食を取って、今に至る。
「あの川エビのスープ、おいしそうだなあ……」
ウィットが通りの向こう側にある屋台を見て呟いた。
つい先ほど、川魚の串揚げを二本も食べたばかりである。
「明日の昼はこっちに食べに来ようか」
「うん!」
一本も食べきれなかったラディが言うのに、ウィットは元気よく頷いた。
この二人の胃袋を足して二で割れたら丁度いいのにな、と思いながら、ブレイズはロアと並んで二人の後をついていく。
噴水のある広場を抜けてしばらく歩くと、屋台や露店がなくなり、大通りは急に静かになった。出店を許されているのは、広場の手前までらしい。
周囲に見える建物も、宿や商店には見えないものが増えてきている。住宅には見えないので、役所や事務所の類だろう。
旧友のいる王立学院は、そんな静かな通りの一角にあった。
漆喰固めの白い建物がいくつも並ぶ敷地を、石造りの壁がぐるりと取り囲んでいる。
門の横にある守衛所で紹介状を見せると、下っ端らしき若者が中の建物へと走っていった。
しばらく待っていると、若者は白衣の男を伴って戻ってくる。
雨が降り出す直前の空のような、重たい灰色の髪。
昔は少しぷくぷくとした子供だったが、今はすらりと痩せた青年だ。
……それでも、眼鏡の奥の物静かな瞳は変わっていない。
「よ、フォルセ」
「久しぶり」
「ブレイズ……と、え、まさかラディ?」
フォルセはラディを見ると、驚いたように目を丸くした。
とにかく中へ、とフォルセが手続きを取ってくれて、ブレイズたちは学院の敷地へ足を踏み入れた。
いくつも立ち並ぶ白い建物はどれも同じように見えるが、フォルセは迷う様子もなく、そのうちの一つに入っていく。扉の横に、小さく『第五研究棟』と書かれた札が下がっていた。
「いやあ驚いた。ブレイズはともかく、ラディまで剣士みたいな格好してるとは思ってなかったから」
「そうなの?」
「俺の近くでずっと本読んでる、引っ込み思案の女の子だったからね」
道すがら、ウィットとロアの紹介は済んでいる。
火族の難民についてはまだ切り出せていないが、こちらは落ち着いてからでいいだろう。
正直なところ、話したいことがありすぎる。ブレイズとしても、頭の中を整理する時間が欲しかった。
フォルセは廊下をしばらく進んだ先にある、一組の引き戸の前で足を止める。
からりと戸を引き開けると、中へ入りながら口を開いた。
「リストニエ、いるか」
フォルセに続いて部屋に入ると、端のほうに座っていた女がのっそりと顔を上げた。
年齢はブレイズやフォルセとそう変わらないだろう。天鵞絨のウェーブヘアを肩のあたりで無造作に揃えた、白衣に眼鏡の女だ。
「なんです?」
「前に魔境の植生のこと相談しただろ、『大山脈』の分布からいって魔境にあってもおかしくないって話になった――」
がたたたたん!
女がいきなり立ち上がり、その勢いで蹴り飛ばされた椅子が床に倒れ、放り出されたペンがどこかへ飛んでいった。
持ち上がった上体の慣性に従って、たっぷりとした胸部が揺れるのに思わず目を奪われる。
リストニエと呼ばれた女は、豊かな胸をゆさゆさ揺らしながらフォルセに詰め寄った。
「見つかったんですか見つかったんですねどこですか声かけるってことは見せてくれるんでしょうねえねえねえねえ」
「落ち着け草キチ」
フォルセがちらりとウィットの背負う箱へ視線をやったので、ブレイズは無言で子供の背から荷物を下ろした。
ベルトを束ねるのはラディに任せて、木箱の蓋をそっと開ける。
巨大蜂の毒針が入った小箱については、後にしようと脇に置いた。
「それが?!」
「思ったよりでかかったから、一部を輪切りにしただけだが」
緩衝材を取り除いて、輪切りにした茎を近くの作業台に出す。
一応、切り口に湿った布を当てて乾かないようにしていたのだが、葉に触れると少しかさかさとしていた。花のほうは、少々萎れているかもしれない。
「これは……」
「聞いてたよりでかいな」
フォルセも興味深そうに植物の輪切りを覗き込む。
リストニエは両手を頬に当てて、うっとりとした表情のまま動かなくなった。
「……リストニエ?」
「ふへへへへへひひひふふふふふふ」
妙齢の女性として明らかにアウトな声である。
隣で切り口の乾き具合を見ていたラディが、びくっと肩を跳ねさせた。
フォルセがリストニエの背を叩く。
「おい、同定」
「はっ! そうですね!」
我に返ったリストニエは、白衣のポケットから小さなナイフを出すと、植物の細い葉茎をひとつ、茎の分かれ目から切り落とした。
それを別の作業台の上に置くと、壁に据え付けられた棚からあれこれ機材を出してきて、じれったそうに周囲を見回す。
「あああそういえば部屋に置いてきたんだった……図鑑取ってきますね!!」
叫ぶように言って、リストニエが部屋を飛び出していった。
彼女の足音が遠ざかるのを待って、フォルセが小さく息を吐く。
「すまない、あんなんでも植物の知識は確かなんだ」
「お、おう……」
なんだか危ない薬草でもキメてそうな女だったが、フォルセが言うならそうなのだろう。
そういえばとずっと黙ったままのロアのほうを見ると、遠い目をして窓の外を眺めていた。
◇
リストニエが戻ってくるまで話をしようと、フォルセは近くの作業台に椅子を集めてくれた。
台の上には、大きさもデザインもまちまちの木のコップで水が出されている。
「応接間みたいな部屋もあるけど遠いんだ。悪いがここで勘弁してくれ」
「それはいいけど……結局どういうことなんだ?」
ラディが植物のほうをちらりと見ると、フォルセは小さく首を横に振った。
「ごめんラディ、植物についてはあの草キチの同定が済むまで待ってほしい。ちゃんと説明はするから」
「……フォルセがそう言うなら」
こくりと頷いて、ラディの視線がコップの水に落ちる。
それなら、とブレイズがロアを見ると、視線を受けたロアが小さく頷いた。
「お前に直接会いに来たのは、こっちのロアの事情で――」
ロアの大まかな身の上と、十年前にファーネを出た難民たちを探していることをフォルセに説明する。
フォルセ当人は覚えていないと思っていたが、「あの人たちか」とすぐに思い当たった様子だった。ファーネから王都まで、ずっと一緒だったらしい。
「……要するに、あの難民たちが今どこにいるのか分かればいいわけだな?」
「最終的にはそうなる」
ロアが頷くと、フォルセはなぜかブレイズとラディのほうを見た。
「まず、うちの母には会わせられない。あんまり言いたくないんだが、ファーネのことを忘れたがっていてな……お前たちが顔を出しても、不愉快な思いをさせるだけだ」
「……何かあったのか?」
フォルセの母は、身なりの整った上品な婦人だった。
フォルセの知的な雰囲気は母親譲りなのだろうと、ファーネの大人たちは良く口にしていたものだ。
ブレイズの問いかけに、フォルセは首を横に振る。
「俺にとってファーネは大事な故郷だが、あの人にとっては旦那が死んだ悪夢の土地でしかないってだけだ」
やけに冷めた口調でそう言って、息を吐く。
それからロアのほうを見て、小さく苦笑した。
「そんな、不安そうな顔をしなくてもいい。俺にもひとつだけ伝手がある」
「伝手?」
ウィットが首を傾げるのに、ああ、とフォルセは頷いてみせる。
「一緒に来た難民のうちの一人が、王都に住んでるんだ」
「え……」
ロアの目が驚きで丸くなった。
ブレイズだって驚いている。火族にとって王都は暮らしにくいはずじゃなかったのか。
「他の人たちは『ここで暮らすのは無理だ』って出ていったけど、彼は魔力が少し地属性に傾いていたらしい。南方の人は『土混じり』って呼ぶんだっけ?」
「ロアと似たような体質なのか」
「たぶんな。あとは……住んでる場所が職人通りの鍛冶工房が集まる場所ってのもあるかもな。鍛冶職人は火を使うから、火の精霊を強く信仰する人が多い」
「……そういうことか」
説明されて納得したのか、ロアがため息のような声で呟いた。
ブレイズにはいまいち理解できないが、ラディもこくこく頷いているので、筋は通っているのだろう。
「きみが良ければ引き会わせるけど、どうだろう」
「ぜひ頼む」
よかったね、とウィットがロアに笑いかけた。
本作における「R15」「性描写あり」要素の2割くらいは彼女のせいです。




