49. 重たい一歩
しばらくすると、宿の片付けが終わったと出張所へ知らせがあった。
代表の老人は、手続きやら事後処理やらでまだ忙しいらしい。なら今日はもう休んでしまおうと、ブレイズたちは立ち上がる。
出張所を出る際、それまで話に付き合ってくれた領兵が、ブレイズに木札を差し出してきた。
真ん中のあたりに、二桁の数字と紋章の焼印が押されている。紋章は彼の鎧についているものと同じ、ここの領主のものだ。
「賞金首を捕まえたという証明だ。商業ギルドで見せれば、懸賞金を受け取ることができる」
「俺らが捕まえたことになるのか? 身柄はそっちから送るんだろ」
「そこは領主様の仕事のうちだ。捕縛とは別と考えられている」
そういうことなら、とブレイズは頷いて、木札を受け取った。
このまま王都に行くのだから、ギルド本部で換金すればいいだろう。出張所や支部だと、現金がないことがある。
「村からの依頼料は明日の朝に持っていくよ。ゆっくり休みな」
おばちゃんと領兵に見送られて、出張所を出た。
宿に戻ると、ブレイズとロアには別の部屋の鍵が渡された。
前の部屋は、フレッドが暴れてめちゃくちゃになってしまったそうだ。
「すまんが、湯浴みの支度にはもう少しかかる。できたら呼びに行くから、部屋で待ってておくれ」
宿の主人がブレイズを見て申し訳なさそうに言うのに「ゆっくりでいい」と返して、ブレイズたちは部屋に向かった。
ラディとウィットの部屋も、ブレイズたちの隣に移してもらったらしい。荷物はすでに、ロアとウィットが移動させておいてくれたようだ。
「……で、そっちは何があったんだ?」
「フレッドとかいう男が、仲間を連れて部屋まで怒鳴り込んできた」
椅子に腰を下ろしてブレイズが聞くと、ベッドに腰を下ろしたロアが答えた。
「宿の主人を殴り飛ばして、親鍵を奪って押し入って来てな。風で押し戻してたら火の魔術を暴発させて、ベッドやらカーテンやらを燃やしやがった」
「それはまた……兄弟でよく似ているというか」
ブレイズの横に椅子を引きずってきたラディが、腰を下ろしながら独り言のようにつぶやく。
確かに似たような振る舞いをする兄弟だ。フランクは自分の意志で周囲の木々に火を放ったように見えたので、実は兄のほうが理性的だったのかもしれない。……その理性がイカれていては、どうしようもないのだが。
「それで……すまない、消火に気を取られてこいつに襲いかかられてしまって」
そう言って、ロアが隣に腰を下ろすウィットを目で示した。
ウィットはロアの袖を掴んで、否定するように首を振る。
「僕が不用意に離れちゃっただけだよ」
「ウィット、怪我は?」
「……させました」
「は?」
した、ではなく、させた?
どういうことかとラディと顔を見合わせていると、ええとね、とウィットが言葉を選ぶように口を開く。
いつも快活な彼女にしては珍しいことだ。
「前にブレイズが、『刃物は向けるだけで威圧になる』って言ったじゃん?」
「おう」
「向けるだけのつもりだったんだよ、ほんと」
「うん」
「その、ね……」
ウィットは少しためらう様子を見せる。ロアがそんな彼女を、気遣わしげに見下ろしていた。
ちょっと見ない間に随分と仲良くなったものだと思っていると、ウィットが口を開く。
「うっかり例の異能が剣に乗っちゃったみたいで……相手の指、落としちゃった」
「……あのナイフで?」
確認すると、こくりと頷かれた。
瞳の色が緑になったのも、ロアが見ていたという。だったら間違いないだろう。
「そうか……」
ブレイズの隣で話を聞いていたラディが、そっと椅子から立ち上がった。
「怖い思いをしたね、ウィット」
そう言って、彼女はウィットの前にしゃがみ込むと、その手を両手で包み込む。
「え、あ、ラディ!」
慌てて手を振りほどこうとするウィットに小さく笑いかけて、ラディは手をぎゅっと握りしめた。
「でも、一歩前進だ」
「え……」
「剣で斬ったんだろう? 素手じゃなくて」
その言葉で、ああそうか、とブレイズも気がついた。
そもそも彼女に剣を持たせたのは、例の異能を剣に乗せるためだった。ウィットは「剣に乗っちゃった」という表現をしたが、まぐれとはいえ、成功したということになる。
剣に乗せる使い方に慣れれば、素手でうっかり発動して、意図せず何かを『壊して』しまうことも減るだろう。
「やったな」
「うわっ」
乾きかけの血をジャケットの袖口で拭って、ブレイズもウィットの頭をぐりぐりと撫でる。
怖い思いをしたのだろうが、それを慰めるよりは、できたことを称えるほうが性に合っていた。
しばらくそうしていると、客室の扉がノックされる。
「お客さんがた、湯浴みの支度ができたよ」
「わかった」
廊下から掛かった声に、返事をしたのはロアだった。
ウィットの頭を撫でるブレイズの腕を掴むと、もう片方の手で扉を示す。
「ほら行くぞ。まず血を落とさないと、どこが怪我かわからん」
「あ、ああ……」
言われて椅子から立ち上がったところで、今度はラディの手がブレイズのジャケットを掴んだ。
「ラディ?」
「洗っておくよ。水で流すくらいしかできないけど」
言われてジャケットを脱ぐと、背中にべったりと血がついていた。エメラインの亡骸を背負って付いたものだ。
これは確かに洗っておかないと、明日以降に悪目立ちしてしまう。
脱いだジャケットをラディに預けて、ロアと一緒に一階の浴場へ向かった。
◇
「……これで全部か?」
「たぶんな」
「おい」
じとりと睨んでくるロアから視線を外して、ブレイズは頭から湯をかぶった。
髪や肌にこびりついた血が固まって、浴場の床にぽろぽろと流れていく。
見える部分にある傷は、全て治してもらったと思う。湯がしみたり、痛みを感じたりする場所もない。
前髪をかき上げた時に額の古傷を見られたが、これは治さなくていいと断った。ラディが見る度に触れてくるせいで、妙に愛着が湧いてしまっている。
これで全部のようだと告げると、ロアはほっと息を吐いた。
「まったく。血まみれで戻ってくるとは思わなかったぞ」
「俺もだよ」
言い合いながら、それぞれ体を洗う。
ファーネ周辺ではソープナッツを使うことが多いのだが、この辺りは石鹸が主流らしい。街道沿いだと安いのだろうか。
「……今回は色々と面倒かけたな」
「この程度なら料金のうちだ」
「ウィットのことだよ」
名前を出すと、体を洗うロアの手が一瞬止まる。
――たぶん、精神的なフォローをしてもらった。
それに気づける程度には、ブレイズはウィットを見るように気をつけている。ラディも気づいているだろう。
エイムズでの一件といい今回の件といい、だいぶロアに助けられている。
帰りを考えれば甘えてばかりもいられないのだが、どうにも自分たちは年下の面倒を見慣れていない。
「……それこそ、気にしないでいい」
「ロア?」
声色が変わったような気がしてそちらを見ると、ロアはたらいに張った湯の水面に視線を落としていた。
濡れてまとまった猫っ毛の、先端からぽたりと雫が落ちる。
「俺は単に、妹が無事に育ってたら、あんな感じかと――」
ロアはふるりと頭を振った。
「……なんでもない。忘れてくれ」
一方的に言って、逃げるように浴場を出ていってしまう。
その背が見えなくなってから、ブレイズはたらいに残った湯を肩にかけた。
生ぬるい湯が肌を伝う。
背負った女の体が重く冷えていく感覚と、流れ出た血が背を濡らしていく感触が、頭から離れない。
人を殺したと実感したのは、久しぶりだった。
◇
翌朝。
宿で馬車を待つブレイズたちを、村の代表が訪ねてきた。
「遅くなりました。こちらが依頼料になります」
そう言って、代表の老人は重たそうな革袋をブレイズに差し出した。
袋の口を開けて中を確認すると、大銀貨が詰まっている。二十枚ほどだろうか。
「確かに」
「はい」
代表は小さく頷くと、森のほうへ視線を投げて口を開く。
「――依頼を請けて下さり助かりました。あのままでいたら、村ぐるみで賞金首を匿っていたと見なされる危険がありましたからな」
「結果だけ見れば、下手に動かなかった爺さんが正しかったな」
「その代わり、子供らをやきもきさせてしまいましたがね」
そう言って、代表は苦笑した。
街道の西から馬車の音がする。
客席は混んでいるだろうか。せめてラディが潰されない程度には、空いているといいのだが。
「ご都合が合えば、また泊まりにいらしてください」
そう告げる老人に軽く会釈して、ブレイズたちは馬車乗り場へ歩いていった。
今日は天気がいい。きっと、風が気持ち良いだろう。
王都には、あと六日ほどで着くはずだ。
わたし「どうして女子そっちのけで野郎の入浴シーンを書いてるんですか?」(電話猫)
しょんぼりした道中はここまで。
次から王都に入ります。




