47. その剣を
活動報告とTwitterではお知らせしておりましたが、多忙と体調不良で一週お休みしていました。
三月中は週1ラインぎりぎりになるかと思います。
【前回までのあらすじ】
・森の奥で見つけた怪しい男がいきなり森に放火して
・それ見てブチ切れた別の男が宿に放火したので痛い目にあわせました
森の奥では、今も断続的に火の手が上がっていた。
フランクがぐるりと周囲を見回すと、その視線をなぞるように炎が走る。すぐさまラディが水で消し止めるが、彼は構わず手から火球を撃ち出した。水に濡れて燃えにくいはずの木が、魔力に物を言わせて強引に燃やされる。
カンテラの火は消えたままだが、周囲は十分に明るかった。最初の消火で発生した大量の水蒸気が雲を散らし、葉の焼かれた木々は月の光を遮れない。
その月光を刃に乗せて、エメラインの双剣がブレイズに迫る。
がちん! と金属のぶつかる酷い音を立てて、ブレイズはその斬撃を弾き飛ばした。
(思ってたより重い……!)
わずかに手が痺れるのを意識の外に追い出して、ブレイズはそのまま足を踏み出し斬りかかる。
受け止めただけで、悠長に安心などしていられない。その隙に、もう片方の剣でばっさりやられるだろう。あちらの剣は二本なのだ。
ブレイズが剣を振り下ろす。それをバックステップで避けたエメラインが、無造作に剣で虚空を薙いだ。ブレイズも剣を振るうが、手応えはない。
「――ラディ!」
届かなかった、と察した瞬間、ブレイズは相棒の名を叫んだ。
反応したラディが、腰の剣を抜いて風の刃を切り払う。完全には防ぎきれなかったのか、彼女の服の裾が少し裂けた。
それを目の端で確かめた直後、ひゅ、と風を切る音を耳が拾う。
半ば反射で構えた剣に、刃が強く打ちつけられた。
いつの間に接近されたのか、エメラインの薄緑色の瞳がすぐそこにある。
その視線が、ブレイズの剣をぞろりと舐め上げるように流れた。背筋に寒気が走る。
刃を圧す力を受け流すように払って、距離を取る。
――苦戦、どころの話ではなかった。
こちらの隙を、やけに的確に突いてくる。まるで、ずっと前から知っているかのように。
(支部長だって、ここまで鋭くはねえぞ……)
今までまともに打ち合った誰よりも、この女は桁違いに強かった。……ジルは打ち合う前に死んでしまったので、彼より強いのかはわからないが。
「随分とのんびりやさんねぇ」
思考を断ち切るような声がして、突き込まれた切っ先を慌てて払う。首筋を何かが撫でる感触。痛みはないので、薄皮一枚で済んだか。
「防ぐばかりじゃあ、何も斬れないわよぉ?」
「……知ってるよ」
防戦一方になっている自覚はある。負ける瞬間を、一秒でも遅くなるように引き伸ばしているだけだ。
しかし、ブレイズには――今のブレイズには、悔しいがこれが精一杯だ。
(ジルならきっと、一人で勝っちまうんだろうけど)
本当なら、ブレイズだってそうしたい。
一人で全てを斬ってしまえるような剣士でありたい。
でも、今はまだ敵わない。足りない。
――足りない分は、彼女が持っている。
「っは……!」
どさり、膝を土に突き刺すように落とす音が、ひとつ。
ブレイズは口の端を上げた。
「いくぞ!」
ブレイズがエメラインに斬りかかる。
それを右の剣で受け止めたエメラインが左の剣を振りかぶった瞬間、その腕めがけて氷の槍が飛んできた。
「っ……!」
眉をしかめて、エメラインは氷の槍を叩き落とす。ブレイズに振るうはずだった剣を使って。
その間に、ブレイズは再び剣を振りかぶった。上段からの斬り下ろし。さすがに片手では防ぎきれず、エメラインは片手の剣で斬撃の軌道をずらしながら横に跳ぶ。
「な……んだ、と」
男の掠れた声が聞こえる。
「お、俺が、魔力で、負けた? こんなガキに?」
魔力枯渇の息苦しさの中、動揺をそのまま口にする。
そんな男へ、誰も声をかけることはない。そんな余裕は、誰にもなかった。
ブレイズの斬撃を縫うように、彼の隙を埋めるように、ラディの魔術がエメラインへ向かう。氷の槍、風の刃、崩れる足元。
邪魔だとエメラインがラディへ目を向ければ、ブレイズがその隙に刃をねじ込んだ。栗色の髪が数本、はらりと斬り落とされる。
そして、二人を相手にしていまだ立ち続けるエメライン。表情に余裕はないが、血を流すような傷は、まだひとつも負っていない。
「女の子をこき使いすぎじゃなぁい?!」
「相棒は当てにしてなんぼだろうよ!」
斬り合いながら言い合っていると、エメラインの腕に冷気が集まる。それが氷の形を取る前に、彼女が腕を大きく振って冷気を散らした。
薄緑の目がじろりとラディを睨む。
「ここは首筋を狙うところでしょうが!!」
「えっ?」
「無力化して坊やに花持たせようとか甘いこと考えてるんじゃないわよ! 殺すわよ?!」
「いや別にそういうわけじゃ……」
ブレイズを巻き込みたくないだけなんだけど、とラディが呟くのを聞いていたのは、動揺の落ち着きつつあったフランクだけだった。
「く、そ……」
息苦しさに耐えながら、フランクがゆらりと立ち上がる。
「くそ……くそっ」
マントの下、隠すように腰に差していた長剣を引き抜き、彼はラディを睨みつけた。
「俺、は……俺はこんなんじゃ、こんなもんじゃ……! うおおおお!!」
長剣を振りかぶり、フランクがラディに向かっていく。
それを視界の端に見つけたブレイズは、しかし何も見なかったかのようにエメラインへ向き直った。
「あら、放っといていいの?」
「大丈夫だろ」
ブレイズはそう返して剣を構えたが、どうやらエメラインのほうは興味があるらしい。
二人のほうを見て動かないので、ブレイズもなんとなく斬りかかる気になれず、剣を下ろしてそちらを見た。
フランクの長剣を見て剣を構えかけた相棒は、しかしその直後、やや呆れたように息を吐く。
剣を握る手首を返すと、一歩大きく踏み込んで、柄でフランクのみぞおちを殴りつけた。
「ぐべっ?!」
フランクがその場に崩れ落ちる。その手からこぼれ落ちた長剣は、ラディが茂みの中へ蹴り飛ばした。
「な、なんで……」
胃液を吐きながら、フランクが泣きそうな顔をする。
「なんでこんな細っこいガキに、しかも女なんかに……」
「なんでも何も、なあ……」
ブレイズからすれば、あれでどうして勝てると思ったのかわからない。
「ろくに鍛えもしてねえやつが、鍛えてるやつより強いわけねえだろ」
体幹はへろへろ、腕は剣の重さに耐えるだけで精一杯。
不意打ちならともかく、真正面からそんなのがふらふら向かってきたって、ラディならどうにでもできる。
剣も魔術も使えるようになると、十年前にこの相棒は言ったのだ。
「……ふふっ」
すぐそばで笑い声がして、ブレイズはそちらを見た。
エメラインが剣を持つ手で口元を押さえて、肩を震わせている。
「ふ、ふふふふ……そうよねぇ、その通りだわぁ」
何が面白かったのか、ひとしきり笑ってから。
エメラインは、やけに晴れやかな表情でこちらに剣を向けた。
「死にたくなかったら、もう猿真似はやめなさい」
「え……」
「大事な相棒の魔術を、ごっこ遊びに使うんじゃないって言ってる、の!」
言葉と同時、鋭い突きがブレイズの目を狙う。なんとか剣で受け止め、首を傾けることで髪を数本斬られるだけで済んだ。
これまで当然のように来ていた二撃目は、来ない。
「――真似っこで満足してるようなガキに、その剣を持つ資格はないわ」
剣よりも鋭い言葉が、ブレイズの胸をまっすぐに突き刺した。
一瞬、呼吸が止まった隙に、エメラインはブレイズを突き放す。
ブレイズの間合いより外側で、エメラインは口を開いた。
「私が勝ったら、その剣はもらっていくわぁ」
「っ……」
「嫌なら死ぬ気でいらっしゃい、坊や」
微笑みの中、瞳だけが冷たく光っている。
「……わかったよ」
ブレイズは剣を握りしめた。
どうしてこの女は、こんなに自分のことをよく知っているのだろう。
ブレイズの剣の癖も、隙も、絶対に手放せないものも、全てが見透かされている。
死ぬ気で向かったって、今の自分に勝ち目があるとは思えないが――。
「なりふり構わず殺しに来いってなら、そうするよ」
――そこから先は、無我夢中だった。
ジルはこうやってた、ジルならこうする、そんなことを考える余裕なんかない。
隙を見つけては剣を叩き込み、足が自由になれば蹴りを放ち、刃が間に合わなければ柄で殴りかかった。
いくつかの刃を避けきれず、頬に、腕に、脇腹に、細かい傷がいくつもできる。
しかし気にすることはない、だって殺せば勝ちなのだ。
指を落とされなければ剣は握れる、首を落とされなければ体は動く。それより浅い傷など気にする必要はない。痛がっている暇もない。
泥と血で互いの服が汚れるのなんかお構いなしで、むしろ泥を蹴り上げて顔に当たれば儲けものとばかりに足を振り上げて――。
「うぉらああああああああっ!!」
ブレイズが上段から力任せに振り下ろした剣が、エメラインの剣を打ちつける。
打ちつけて――叩き割った。
宙に散る刃の欠片の向こう、薄緑色の目が見開かれる。
その顔の横を、刃が通り過ぎていく。
エメラインがふわりと笑う。
「――合格」
ブレイズが渾身の力を込めた刃が、エメラインの肩から胸を斬り裂いた。
◆
茶髪の剣士に負わされた深い傷を、突き立ったままの剣を、エメラインは持ちうる全ての愛しさを込めて撫でた。
ふ、と笑い声と同時、口から鮮血がこぼれる。
この剣に殺されるなら、それでいいかと思った。
ずっと探し続けていた、追いかけ続けていた人の剣。
――この坊やが使ってるってことは、あなたはやっぱり、もういないのね。
剣ではずっと敵わなかった。
こっちが悔しがってるのだから勝ち誇ればいいのに、申し訳なさそうな顔で謝られて、とても腹が立ったのを覚えている。
次の手合わせで手加減されて、ふざけるなと泣きながら怒ったのは何歳の頃だったか。
結局、本気の彼には一度も勝てなくて。
勝てないまま、置いていかれてしまった。
「ぼう、や」
いまだ剣の柄を握りしめて離さない、そういえば名前も知らない青年に、残る力を振り絞って声をかける。
「その、剣を、持つなら。……つ、強く、なり、なさ……」
彼以下で終わるなんて許さない。
勝つ気のない剣なんて認めない。
「か、ん違い、しな、で。わた、し……っその、剣に、殺、され……あげた、の」
「……ああ」
わかってる、と青年は言った。
「すげえ強かったよ、あんた」
その言葉で、故郷を飛び出してから今日までの日々が、ほんの少し報われたような気がして――。
エメラインの意識は、そこで途切れた。




