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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
2:彷徨う風精使い
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46. 流血

※注意※ ポロリ(軽度)があります。

 ブレイズたちが宿を出た後、ロアはテーブルに戻って二本目の紐を編み始めた。

 万が一を考えれば、眠ってしまうわけにはいかない。ひたすら手を動かしているのが、一番いい眠気覚ましだった。


 テーブルの向かいでは、ウィットが先程編み上がった紐を眺めたりひっくり返したりしている。じゃれる(さま)が猫の子のようだ。


「汚したら買い取らせるからな」

「いくら?」

「三十ザルト」

「……高いのか安いのかわかんない」

「だったらなんで聞いたんだ……」


 話しながら、なんとなく目の前の顔を眺める。

 炭を割った断面のような黒髪と、鮮やかな瑠璃色の瞳。黒地に青。悪くないが、間に白を挟んだほうが映えそうだ。


「どうしたの?」


 こてんと首を傾げるウィットに、何か言おうとした矢先。

 ごう、という音と同時に、窓の外が赤く光った。


 ――森の奥で男が火を放ったのは、この時だった。


 二人で窓に駆け寄る間に、森の奥のほうで白い煙がもくもくと上がり始めた。

 その合間に、ちらちらと火の色が生まれては消える。


「……バレちゃったかな?」

「……バレただろうな」


 もう逃げるべきか。それともしらを切って、ブレイズたちの逃げる時間を稼いでやるべきか。

 結論を出す前に、風の精がロアの耳元にささやいた。何やら下のほうが騒がしいよ、と。


「下……?」

「ロア?」

「静かに」


 精霊たちに魔力を渡し、音を拾ってきてくれるように頼む。

 やがて、会話とも呼べない声が耳に届けられた。


(揉めている……?)


 泊まっている客を呼べ、会わせろと詰め寄る、知らない男の声。

 馬鹿を言うな、こんな遅い時間に何を考えている、と咎めるのは宿の主人の声だ。


 ウィットが動いて、テーブルに置いていたナイフを腰に差した。

 気の利く精霊が、彼女の耳にも声を届けてくれたらしい。


「あの光を見て……にしては、早すぎるよね」

「見張ってたんだろうな。……代表の爺さんが来た時点で、疑ってたんだろう」


 窓の外の気配を探る。少し離れた位置に立っているのがひとり。窓まで登ってくる様子はないので、最悪、窓から飛び立つことはできるか。


 だんだんだん、と荒々しく階段を上る足音が聞こえてくる。

 一人か? いや、後続がいる。ウィットの腕を引いて背に庇った。


 部屋のドアノブが回りかけ、施錠のため音を立てて止まる。


「チッ……!」

「落ち着けよ、ほら鍵」

「ああ」


 やはり複数か、と思ったと同時、鍵が解かれてドアノブが回った。内開きの扉が押し開けられる。


 黄土色の髪をした男の姿が見えた瞬間、ロアは風をそこへ撃ち出した。


「がふっ?!」

「うおっ?!」


 みぞおちの辺りを風に殴られて、部屋に入ろうとした男が吹き飛ぶ。後続の男も巻き込み、まとめて廊下の壁へ叩きつけられた。

 先頭の男が廊下に伏して咳き込んでいる。思った以上にいい(・・)所に入ってしまったらしい。撃ち出したのが風の刃だったら、今頃は(はらわた)を床にぶち撒けて死ぬ手前だったろう……だから手加減したのだが。


「ノックもなし、合鍵使って勝手に入ってくるとは……随分とお行儀がいいんだな?」

「ぐ……」


 ロアの風をもろに食らった、黄土色の髪をした男がこちらを睨みつける。

 その後ろで、紺色の髪をした別の男が困惑した顔をしていた。


「……おいフレッド、話が(ちげ)えぞ。男と女が一人ずつ、ちゃんと……あれ?」

「あ、僕女の子」

「だよな。……ちゃんといるじゃねえか。どういうことだ?」


 どういうことだ、はこちらの台詞だ。話が見えない。

 あとウィットはあまり前に出てくるんじゃない。


「……ち、げえよ!」


 なんとか呼吸を整えた男――フレッドとか呼ばれていたか――が、剣呑な目つきで顔を上げた。


「背の高い男と、綺麗な顔した女だ! こいつらじゃない!」

「部屋を間違えたんじゃ……」

「言え! あいつらはどこだ?!」

「知るか」


 わめきながら再び部屋に踏み入ってくるのを、こちらも再び風ではじき出す。


「仮に知っていたとしても、その態度じゃ教える気にならんがな」

「こっ、の……!」

「お、おいフレッド」

「なめやがってぇぇぇぇ!!」


 怒りで顔を赤黒くしたフレッドが、連れの男の言葉を跳ね除けた。

 感情の高ぶりに誘われてか、周囲の魔力が彼を中心に渦を巻く。


「これは……」


 ――火の魔力だ、とロアが気づいたのと同時。

 部屋のあちこちに、火がともった。


「え」

「なっ」


 ベッドのシーツ、カーテン、テーブル上にある編みかけの組紐。

 燃えやすい布類(ファブリック)が先んじて着火して、一気に燃え広がっていく。


「……ッ!」


 ロアは腰のポーチから水の魔力結晶を取り出し、水の魔術を編んだ。燃えるベッドの上に水が生成され、火が消し止められる。

 同時にウィットがテーブルへ走り、水差しで組紐とカーテンの火を消した。


 その、一瞬。

 二人の間にできた距離を、フレッドが突いた。


「うおおおおおお!!」

「え、うわっ!」


 ロアの脇をすり抜けて、フレッドがウィットに掴みかかる。

 食い止めようと伸ばした指は、紙一重のところで届かなかった。


「フレッド!」

「させんぞ!!」

「いや爺さん、ちが……」


 廊下で何か言い合っているが、気を回す余裕はない。

 フレッドを引き剥がそうと、そちらへ駆けて――。


「――は、な、せっ!!」




 ととっ。

 小さなものが落ちる音が、ふたつ。


 ぱたたっ。

 床を打つ軽い音が、それに続く。


 は?

 少し遅れて、男の呆けた声がして。




「――あ、あああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ?!」


 宿の一室に、濁った悲鳴が響き渡った。


「指、ゆび、ゆびがあああああああ?!」


 フレッドがよろよろと後ずさる。

 右手を左手で押さえて、その指の隙間から、血が幾筋も流れていた。


 ぱたぱたと、床に血が落ちる音。


 いつの間に抜いたのか。

 ウィットはナイフの切っ先を、フレッドの胸元へ向けている。

 ナイフの切っ先に、うっすらと血の雫が浮いていた。


 二人の間の床には、小さな血溜まりと――半ばほどで断たれた、人間の指がふたつ。

 赤い断面の中心で、白い骨が血を弾いている。


 ――骨ごと断った? あんなナイフで?


 思わずウィットを見て、その瞳が透き通るような翡翠色に変じていることに気がついた。

 ぱちり、瞬きの一瞬で、その色が元の瑠璃色に戻り――怯えたように、見開かれる。


「……っ、離れろ!!」

「げうっ!!」


 ロアは我に返ると、フレッドの横腹を蹴り飛ばした。開いた距離に肩をねじ込み、ウィットを背に庇い直す。


 ドアのほうを見ると、宿の主人が紺色の髪の男を伴ってこちらに歩いてくるところだった。階下で揉めている時にやられたのか、片頬が腫れており、鼻血を拭った跡まである。

 宿の主人が燃え残りのシーツを裂いて()り合わせるかたわら、紺色の髪の男はフレッドの隣にしゃがみこんだ。


「ぢぐじょおおおぉぉぉ……」

「いくらなんでもやり過ぎだ、フレッド」


 そう言って、男がフレッドの首根を押さえる。

 シーツでロープもどきを作った宿の主人が、フレッドを後ろ手に縛り始めた。


(こっちは一段落、か)


 ほっと息をつきかけた時、ロアの耳に別の音が届いた。


 ぱたたっ、と。

 血の滴り落ちる音が。

 背後、から。


「……っ?!」


 思わず振り返ると、ウィットの左手が、抜き身のナイフを握っていた。

 柄ではない。刃の部分を。

 指の間から血が落ちる。


「おい、何を……!」


 左手を外させようと手を伸ばす。

 それを拒むように、ウィットが一歩後ずさった。


「……っちゃった」


 青ざめた唇が、引きつった笑みを作る。


「やっちゃった……気を、つけてた、のに」


 ふふ、と、震えているのか笑っているのか判別できない息が漏れた。

 見開かれた瞳は、床に転がる指を凝視している。


(――そういう、ことか)


 出発の日、ファーネで握手した時から気になっていた。


 一瞬だけ触れて、すぐに離された手。

 人懐っこい素振りをするのに、決してその手で人には触れない。


 意図せず誰かを傷つけることを、ずっと恐れていたのだ。


「……ナイフを離せ」


 びくり、怯えたように肩が跳ねる。

 刃を握る左手に、ぎゅっと力が入った。しまった、逆効果か。


 あんな男の指を何本か落としたからといって、別に泣きそうになることはないのに、と思う。

 フレッドの行動は、賊のそれでしかなかった。これが街の外だったら、返り討ちで殺されたって文句は言えない。


 そうだ、傷つけたことなんかどうでもいい。

 その、左手の傷をなんとかしたいんだ。


 思い直して、ロアは一歩、ウィットに歩み寄る。

 その分ウィットが後ずさるが、気にせず距離を詰めた。

 ウィットの背が壁にぶつかって、距離がどんどん縮まっていく。壁際に追い詰める。


 見開きっぱなしの青い目が、涙の膜で揺れていた。

 いっそ泣いてしまえばいいと思ったが、ぎりぎりのところで涙は流れない。

 まるで、見えない(ふた)でもあるかのようだ。


 距離をなくして、その手に触れた。


「だめ」

「大丈夫だ」


 固まっている指を、一本一本、丁寧に刃から引き剥がす。

 深い切り傷に『癒し』をかけて、血を拭ってやった。


「……ほら。俺は、大丈夫だ。癒せるからな」

「あ――」


 ウィットの手からナイフが落ちた。


 顔が伏せられてしまって表情は見えないが、その両手が、ロアの手をぎゅっと握っている。

 その手にぽたりと温い雫が落ちたことには、気付かないふりをした。

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