45. 森の奥にいたもの
夕飯の時間まで仮眠をとって、夜。
十分に暗くなったところで、ブレイズとラディはそれぞれ剣を腰に差した。
「じゃあ、行ってくるよ」
「気をつけてね」
心配そうに見上げるウィットに、ラディが微笑んで頷いている。
それを横目に、ブレイズはロアに声をかけた。
「ウィットのこと、頼んだ」
「……深入りはするなよ」
四人で話し合った結果、森に入るのはブレイズとラディのみで、ウィットとロアは宿に残ってもらうことにした。
依頼を受諾した責任というのもあるが、二人だけのほうが、いざという時の連携が取りやすい。
それに夜の森は、ウィットにはまだ危険だ。かといって、一人で宿に残すのも危ない。今からブレイズたちがやることは、一部の村人の意に反することだ。
なので、ロアにも残ってもらうことにした。彼なら、何かあればウィットを抱えて飛んで逃げることもできる。その場合に落ち合う場所も、既に決めてあった。
宿の主人に裏口を開けてもらい、村と森を区切る柵を慎重に越える。
これまで、隠れて森に入ろうとした村人がいなかったとは思えない。見張りくらいは当然いるだろうし、見張れる範囲に限度もあるので、それなりに仕掛けはされていると予想していた。
できるだけ物音を立てないように、そっと着地する。
「行くぞ」
「ああ」
ラディに小さく声をかけて、森へ入っていく。
視界は悪いが、まだ明かりは灯せない。ここからだと、村から見えてしまうおそれがある。
少し歩いたあたりで、案の定、鳴子が設置されているのを見つけた。足元にロープが張ってあって、踏んだり引っかけたりすると鳴る仕組みのようだ。
獣がここまで村に近寄ることは少ないはずだ。おそらく、村人の侵入防止が目的だろう。
とはいえ、素人仕事の簡素なものだ。木こりや猟師ならあっさり見破ってしまうだろうが……。
「そういう村人に絞って、監視をきつくしてるんじゃないか?」
ラディの言葉で納得した。
付け加えるなら、森に慣れている村人は森を仕事場にしているわけで、森に入れない現状は不満だと考えられる。そういう意味でも、彼らを重点的に警戒する必要があるわけだ。
「……となると、厳重なのは浅いとこだけか。見張ってるのも素人なら、奥にはなかなか入れねえだろうしな」
「たぶんな」
後にこれは考え違いだとわかるのだが、今の二人にそれを知るすべはない。
ひとまず村から目の届かない場所まで進むことにして、足を踏み出した。
◇
「……もういいかな」
歩き始めて数分後。
ふとラディが呟いて、直後、ブレイズの前方に長い影が伸びた。
振り返ると、指先に火を浮かべた相棒の顔が、暗い森にぼんやりと浮かび上がっている。
ブレイズは耳を澄まして、周囲に視線を走らせる。
風の音、葉の擦れる音、夜に活動する獣の息遣い。村の明かりは既に見えず、周囲を照らすのは、月明かりと目の前の火だけだ。
村人に感づかれた気配はないと判断して、ラディに小さく頷いてみせた。
ラディは宿で借りてきたカンテラを取り出して、指先から火を移す。
周囲の気配を探りながら、ブレイズは腰の剣を引き抜いた。
カンテラはこのままラディに持たせて進む。ブレイズが持っていては、何かあった時に放り投げることになってしまうからだ。
そして今回、ラディは村に気づかれるような派手な魔術は使えない。
獣などが襲いかかってきたとき、真っ先に対処するのはブレイズの役目だった。手は空いていたほうがいい。
「行くぞ」
ひと言告げて歩き出す。カンテラが揺れて、足から伸びる影がゆらりと角度を変えた。
「これで例の魔物ってのが、明かりにつられて出てきてくれりゃ話が早いんだけどなあ……」
「無事に仕留められたとして、『仕留め損ねたらどうするつもりだった』って文句をつけられないか?」
「そこは『討伐の依頼を受けた』ってことにすりゃいいだろ」
「まあ、あのおじいさんなら、その場で話を合わせるくらいできるだろうけど……」
話しているうちに、だんだん夜目がきいてきた。
遠い木と木の間、跳ねるようにちらつく鹿らしき影。
近くに生える灌木の陰、こちらを窺うように光る目が二対。
「魔物がいるにしちゃあ――」
「――落ち着いてる、な」
魔物なり、そうなりかけている存在がいるのなら、森の獣たちはもう少し違う動きをするはずだ。
例えば、物陰でじっと息を潜めて動かずにいたり。見通しのいい場所に近寄らなかったり。
それを考えると、この森は緊張感がなさすぎる。
多少の警戒は感じるが、これは夜に見慣れない人間――ブレイズたちが森に入ってきたのだから当然だ。ラディは火を持っているし。
「魔物はいないみたいだな。好意的に考えるなら、村人の勘違いと怯えすぎだということになるけど……」
「……ラディ、止まれ」
言って、ブレイズは足を止めた。
どうした、いう囁き声に、足元を手で示す。
村周辺に仕掛けられていたものと同じ仕組みで、鳴子が仕掛けられていた。
こちらもよくできてはいるが、正直な所、素人仕事だ。
「どうしてこんなところに?」
ラディが疑問を呟く。ブレイズも同じ疑問を持った。
ここで鳴子が鳴ったとして、さすがに村までは聞こえないだろう。
「村人に知らせるのが目的じゃない……?」
からん。
頭上から、木の打ち合わさる軽やかな音がして、ブレイズは反射的にラディの肩を引いた。
近くの木の陰に身を隠す。その最中、近くの茂みから狼がひょこりと顔を出すのが見えた。
ラディがカンテラの火を消して、視界に闇が滲む。
――その闇を裂くように、白い光が閃いた。
「ガッ……!」
白刃の残像が、狼の頸に吸い込まれる。
ぼたぼたっ、と重い水音の後、獣の低い唸り声が聞こえた。
血を流しすぎた狼が、その場に崩れ落ちる頃。
ブレイズの目はカンテラなしの闇に慣れ、白刃を振るった者の姿を捉えていた。
女だ。
栗色の長い髪に、薄い緑色の瞳。
フリルだらけの白っぽいドレスが月明かりに照らされて、夜の森にその姿が浮き上がっている。
少女めいた風貌だが、体つきは大人のそれだ。年齢が読めない。
その両手には曲剣が一振りずつ握られていて、片方から狼の血が滴っている。
「な、なんだ……狼か……」
女の後ろから、男の声がした。
暗い色のマントで全身を覆った、ひょろりとした男だ。どこかで見たような黄土色の髪。
年齢は……三十に届いているかどうか、といったところだろうか。
女がにっこりと微笑んで男を振り返る。
「あらフランク、あなたもお出迎え?」
「ああそうだよエメライン、でもきみの早さには敵わなかったみたいだ」
女は朗らかに、男はどこか不自然に笑みながら言葉を交わした。
「やあねフランク、そんなことないわよ。お客様はまだいらっしゃるわぁ」
「……え?」
エメライン、と男に呼ばれた女が、こちらを見て笑う。
(――バレた?!)
驚愕した一瞬の間に、女の気配がすぐそこにまで迫っていた。
木を回り込んだ女と目が合った瞬間、ブレイズはラディを押しのけて剣を構える。
ぎぃん!
金属同士がぶつかる音が周囲に響いた。
「お間抜けさぁん。明かりを消すのが遅かったわね」
「ちっ……!」
見られていたか。
舌打ちしつつ、女の刃を押しやって距離を取る。
ちらりと男のほうを見ると、絶望したような表情でこちらを凝視していた。
「あ、あ、あ……」
落ち窪んだ両目が、ブレイズとラディをしきりに行き来する。
「に、人間……? ななななん、で、ここは、だいじょ、ぶな、はず」
「……?」
何を言っているのか。
怪訝に思ってブレイズが眉をひそめると、背後からラディの声がした。
「あの男……」
「知ってるのか?」
「いや……ただ、どこかで見たような気が」
相棒の言葉に、ブレイズは女を警戒しながら再び男を視界に入れる。
びくり、と男の肩が跳ねた。
ブレイズが既視感を覚えるのは、その黄土色の髪だ。
「……あのフレッドって兄ちゃんと似てるか?」
「ッ?!」
「いや、どうだろう……」
「フ、レッドォォォォォ!!」
そうじゃなくって、とラディが続けるより早く、男が狂ったように叫びだした。
「う、裏切ったな! 裏切りやがったな!! あいつ、弟のくせに、あいつゥゥゥゥ!!」
叫ぶ男の両手から、激しい炎がほとばしる。
それは木の幹を這い上がり、葉を燃やして、周囲を明るく照らす火の海へと変えていった。
「正気か?!」
ラディが悲鳴のような声を上げて、水の魔術を発動させる。
火を消し止める代わりに、大量の水蒸気が周囲に立ち込めた。感じた熱は一瞬、すぐにラディが風の魔術で障壁を張り、蒸し焼きは免れる。
「逃さないわよぉ!」
その障壁を裂いて、女の白刃がブレイズに振り下ろされた。
水蒸気で視界を奪われていたが、間一髪、ブレイズは刃を受け止める。
――あの水蒸気の中を突っ切ってきた?!
「正気かよ……っ!」
受け止めた刃を払い退け、ブレイズは女の二撃目をかろうじて受ける。受けたはずなのに、頬にぴりっと熱が走った。
「風の魔術か!」
「そういうこと!」
風の魔術で自分の身を守ったらしい。ブレイズの頬に傷をつけたのも、おそらくは斬撃に風の刃が乗っていたからだ。
では男のほうは、と横目で見ると、顔の頬から顎にかけてが赤く爛れていた。当人はそれに構う様子もなく、火の魔術を乱発している。
「はっはははははは! 逃がすか逃がすか、ここで焼け死ね!!」
「ああもう……!」
ラディは森の火事を食い止めるのと、発生する水蒸気から自分たちを守るので精一杯のようだ。
「ラディ、消火任せた! こっちは気にすんな!」
「……っ、わかった!」
ブレイズは女を突き飛ばして間合いを取り直す。
その直後、ほぼ直感で真横に剣を振った。ぱしゅっと軽い手応えがして、不可視の何かを斬ったのだとわかる。
(避けてたらラディに直撃コースか……)
いやらしい手だが、それだけ女が冷静だということだ。ブレイズのこめかみを冷や汗が伝う。
熱気に炙られて、頬の傷がじくじくと痛んだ。
「手こずりそうだな」
「それはお互い様よぉ」
女の笑みが深くなる。
少々分の悪い戦いが、始まろうとしていた。
ラディは魔力量こそ人外ですが、注意力とか状況認識の早さとかマルチタスクの限界とかはあくまで(努力した)人間の範疇なので「こいつ一人でいいんじゃないかな」的な状況は少ないです。
周囲一帯を無差別攻撃して焼け野原にしろって言われたら無双できる可能性はある、程度。




