43. 森の奥の魔物
「魔物?」
思わず問い返すと、少女はこくこくと頷いて続けた。
「魔物が出たって話があって、もう二ヶ月も森に入れてないんです」
「ご領主様には知らせたのか?」
ラディの問いに、少女は首を横に振る。
「最初は知らせようって言ってたんですけど……」
「刺激しなけりゃ大丈夫だろって話になって、取りやめになったんです」
近くの少年が、少女の言葉を引き継いだ。
「……で、刺激しないために、森がずっと立ち入り禁止のままだってことか」
ブレイズがまとめると、少年少女たちは揃って頷いた。
「うちの父さん、猟師なので……森に入れないと仕事ができないのに、ずっと待たされてて」
「下の弟たちは森でよく遊んでたんだけど、遊び場がなくなって、俺たちが仕事するの邪魔するようになったし」
「どうなってるんだって大人に聞いても、なんかうやむやにされて終わるんだよなあ」
口々に言う様子からは、現状への不満が滲んでいる。
大人たちが何を考えているか分からず、なら自分たちで行動してみよう、となったのだろう。
(事情があるなら教えてやりゃいいのに)
この年頃の行動力を甘く見てはいけない。自分なりに何か考えて、それに基づいて事を起こしてしまえるだけの、頭と体を持っている。
そして大抵の場合、所詮は子供の浅知恵なのでうまくいかないものだ。悪い大人に、いいように使われることだってある。ファーネが荒れていた頃、それで痛い目を見た同年代が何人かいた。
まあ、それはともかく。
(断るしかねえよなあ)
子供たちには悪いが、彼らの勝手な行動に巻き込まれて村と揉めたくはない。そもそも今は仕事中だ。
ラディより一歩前に出て、ブレイズが断りを入れようと口を開きかけた時。
「お前ら、何やってるんだ」
少し離れたところを通りがかった若者が、こちらを目にして声を上げた。
二十代半ばくらいの、黄土色の髪をした男だ。
「こっち側には出てくるなって言われてるだろ? どうしたんだ」
若者はブレイズたちと子供たちを交互に見ながら、こちらに歩いてくる。
子供たちは、ばつが悪そうに顔を見合わせた。
「どうする?」
「フレッド兄ってどっちだっけ」
「止めてるほうだよ」
「まずいなあ」
ひそひそ話し合う声が聞こえてくる。
返事がないことに、フレッド、というらしい若者の眉が訝しげに寄った。
「……まさかお前ら、この人らに森のことを頼んでたんじゃないだろうな」
「っ!」
ぎくり、と子供たちの顔がこわばったのを見て、フレッドは呆れたようにため息をついた。
「お前らなあ……旅人さんに無理強いするんじゃない。そもそも依頼料だって用意できないだろ」
「無理強いなんてしてないもん」
「ギルドを通せって言ってるんだ。……すいませんね、こいつらが」
「……じゃあ、いつになったら森に入れるのよ!」
愛想笑いを浮かべて、こちらに軽く頭を下げるフレッドの後ろ。
ブレイズたちに声をかけてきた赤毛の少女が、苛立ったように声を上げた。
「もう二ヶ月よ? なんでご領主様に言わないの? 今まで大人は何してたのよ?!」
「あのな、ご領主様だって暇じゃないんだ。森で遊べなくなったからって、わがまま言うんじゃない」
(そこまで子供扱いするのはまずいって……)
そう思ったが、口を挟める雰囲気ではない。
案の定、「自分が遊びたいだけだ」と決めつけられた子供たちの顔が険しくなった。
「……そもそも本当に魔物なんているのかよ」
ぼそり、一人の少年が低い声で呟く。
「俺、父さんの手伝いでよく森に入ってたけど、足跡だって見たことないぞ?」
「あたしも立ち入り禁止になる前の日に木の実拾いに入ったけど、鹿とか普通に歩いてたわ」
「僕んち、森に一番近いんだけど、別に妙な声とか聞いたことないなあ」
「ひょっとして、嘘だったりして――」
「――黙れガキども!!」
それまで穏やかだったフレッドの顔が一転、凶悪な顔つきに変わった。
「そうやって難癖つければ思い通りになると思ったか? それで村に被害が出たら責任取れるのか、ええ?!」
「な、なによ……」
怒鳴られた瞬間、怯えたように肩を跳ねさせた少女が、目尻に涙を留めながら言い返す。
「今が被害出てないとでも言うわけ? うちの父さんが仕事できないのはどうでもいいって?」
「自分さえよければいいんじゃない?」
「ああやって大声で怒鳴れば思い通りになると思ってんだろうな」
「わがままはどっちだよ」
「サイテー」
ひそひそひそ。少女の後ろから援護射撃が放たれる。
フレッドが完全に子供たちの反感を買ってしまったのは、部外者のブレイズから見ても明らかだった。
(ていうか、もう俺ら行っていいかな……)
どうしよう、と背後のラディに視線を落とすと、彼女も困ったような顔をする。
ファーネで起きた揉め事ならともかく、他所の土地で見知らぬ人同士が起こした諍いの仲裁ができるほど、自分たちは口がうまくない。
「この――!」
頭に血が上り、顔を真っ赤にしたフレッドが何か言いかけた時。
「やかましい!!」
ばぁん、とギルドの出張所の扉が開いて、中から怒鳴り声が飛んできた。
見れば、先ほど相手をしてくれたおばちゃんが、両手を腰に当ててこちらを睨んでいる。
「なんか騒がしいと思ったら。外の人の前で見苦しいとこ見せてんじゃないよ、散りな!!」
「わー!」
横から一喝されてフレッドが怯んだ隙に、子供たちは声を上げて逃げ出した。
「あ、お前ら……!」
「フレッド」
子供たちを追いかけようとしたフレッドを、おばちゃんが捕まえる。
「あんた今いくつだい。子供らと一緒にぎゃあぎゃあと」
「いやだって、あいつら」
「あっちは子供、あんたは大人!」
おばちゃんの説教が始まってしまった――。
完全に置いてきぼりにされた、と思ったところで、ラディがブレイズの袖を引いた。
「……もう行っていいんじゃないか?」
「……そうだな」
おばちゃんもこっち見てこないし。
頷いて、ブレイズはラディと一緒に宿に向かって歩き出す。
(しかし、あいつ――)
去り際、ブレイズはちらりとフレッドの顔を見た。
今はおばちゃんに詰め寄られて、困ったような顔をしているが……。
子供たちが一斉に逃げ出した時。
その小さな背を憎々しげに睨んでいたのが、やけに記憶に残っていた。
◇
宿に戻って夕食の時間までのんびり過ごしていると、客室の扉がノックされた。
扉を開けると宿の主人が立っていて、村の代表に会ってほしいと言う。昼間の騒ぎに巻き込んだことを詫びに、わざわざ訪ねてきたらしい。
少々嫌な予感がするが、断る理由も思いつかない。
帰路もこの村で世話になる可能性を考えるなら、あまり邪険にできない申し出だ。
「ロア、悪いけどまたウィット頼む」
「ああ」
買ってきた染糸で早速紐を編んでいるロアが、手元に視線を落としたまま返事をした。
そろそろ夕方に近い時間なので、きりのいいところでウィットを叩き起こしてくれとも頼んでおく。夜に眠れなくなっても困るのだ。
別室で待っていた村の代表は、しわくちゃの顔をした小柄な老人だった。
とっくに腰が曲がっていてもおかしくない年齢に見えるが、背筋はしゃんと伸びている。厚ぼったいまぶたの下、橙色の目には力がある。
「お詫びが遅くなって申し訳ない。なにぶん、娘から話を聞いたのがつい先ほどでして」
「娘さん……?」
「ギルドの出張所に詰めているのは、うちの娘なのです。もうとっくに嫁に出しましたが」
あのおばちゃんか、とふっくらした顔の女性を思い出す。
確かに、年齢のわりに力強いあたり、親子でよく似ているような気がする。
「図々しいようですが、お願いをしに参ったというのもあるのです」
「というと、例の魔物の討伐を?」
「いえいえ、そこまでは」
一緒に来たラディの言葉に、代表は首を横に振る。
「お願いしたいのは、その前段階。そもそも本当に魔物がいるのか。いるとして、それはどんな魔物か。その確認です」
それから、代表が話した事情はこうだ。
今から二ヶ月ほど前。
魔物化した獣が出た、という報告を受けて、ひとまず森への立ち入りを禁じた。
その後、領主に報告を上げて討伐隊を送ってもらおうとしたところで、一部の村人から待ったがかかったのだ。
いわく、「見間違いだったらご領主様に申し訳ないから、本当に魔物かどうか確かめる必要があるのではないか」と。
この意見には一理ある。そもそも件の魔物がどんな獣なのかで、用いる武器も違うだろう。
では確認のためにと男手を向かわせようとすると、別の村人から「魔物を下手に刺激して、村を襲うようなことになったらどうする」という意見が出てきた。
賞金稼ぎ向けに依頼を出すのも、同じ理由で反対されたという。
この村の主産業は農業と林業だ。
そのうち林業のほうに支障が出始めたが、それでも横槍を入れる村人たちの、強硬な態度は崩れない。
「さすがに、怪しいと思ってはおるのです。それこそ、昼に子供らが言っていたようですが、本当に魔物などいるのか、と」
「嘘をついてでも、森に人を近づけたくない理由がある……」
ラディが独り言のように呟いて、顔を上げた。
「何かを隠している、とか?」
「そうかもしれませんな」
代表は否定せず、口元に蓄えた白髭を撫でつける。
そして、ひたりとブレイズたちを見据えた。
「こんな老いぼれではありますが、村の代表はこの儂です。反対を押し切って、報告や依頼を出すことはできますが……それをやると、横槍を入れてくる連中に感づかれる恐れがあります。なので、それは最後の手段です」
(……したたかな爺さんだ)
ブレイズは内心で舌を巻いた。
昼間、子供たちから代表に関する話は出てこなかった。普通なら、真っ先に不満の矛先が向くのは、代表であるこの老人のはずなのに。
つまり、現状に不満を持つ村人たちから頼りにならないと思われている。いや、思わせているのだろう。
そうやって存在感を消しながら、横槍に流されているように見せながら、こうして何もかもを明らかにする機会を待っていたのだ。辛抱強く。
まあ、それはいい。結構なことだと思う。
(問題は――)
「改めてお願いしたい。森の様子を探って、本当に魔物か、それに準ずる獣がいるのかを確かめていただけないか。無論、礼金はお支払いする」
(その『機会』ってのが俺たちのことだ、ってとこだな)
前回から組紐って言ってますが、台とかディスク使って作るようなやつでなくミサンガみたいなのを想定しています。糸の端っこを重しか何かで押さえて、ひたすら手で編んでいるイメージ。




