41. 乗合馬車の旅
翌日の午後。
ブレイズたちは、混み合う乗合馬車に揺られて大街道を東に進んでいた。
座席は既に埋まっており、ブレイズたちを含めて賞金稼ぎたちは立ち乗りだ。賊や獣の対処は御者に雇われている護衛の仕事だが、自分たちもすぐに動けたほうがいいからだ。
比較的長身であるブレイズの視界に映るのは、乗客の頭、頭、頭。
たまにいる見事な金髪や銀髪、それから禿頭が陽光を反射して目に痛い。
「ウィット、潰れてねえか」
目に優しい黒髪のウィットを見下ろすついでに聞くと、「だいじょうぶー」とのんびりした答えが返ってきた。
むしろ隣に立つラディのほうが大丈夫ではなさそうで、青い顔をしているのをウィットのそばに移動させてやる。はひゅ、と荒い呼気が聞こえた。潰れていたのは彼女のほうらしい。
「ラディ、こういう時はちょっと背中丸めて胸の前に隙間作っとかないと息できなくなるよ」
「うん、思い知った……」
ロアのほうを見ると、空を飛ぶ鳥の群れを羨ましそうに見ていた。いっそ飛んで移動したいという気持ちはよくわかるが、目立つので我慢してほしいところだ。
昨日、あの後。
乗合馬車は全ての便が中止になり、あの後、宿の受付は宿泊客でごった返した。
部屋が取れなかった者たちには、宿周辺の土地とテントを有料で貸し出したようだ。従業員が手慣れた様子だったので、よくあることなのだろう。
ブレイズたちは宿を引き払う前だったので、延泊の希望はあっさり通り、部屋で休むことができた。
もうひとつブレイズたちにとって幸運だったのは、翌朝の北門がひどく混み合っていて、検問のチェックが甘かったことだ。
ウィットの背負う箱は中身を口頭で確認されただけだし、ロアはフードを被っていたが、一瞥しただけで何も言われず通された。
(あれ、南方の人間だってくらいは察してたよな……)
こちらの意図を汲んでくれたとも言えるが、彼らも忙しすぎて、いちいち構っていられなかったのかもしれない。
行商人ヘニングが言っていたように、現場の領兵たちは話が分かるということだろうか。
ちなみにヘニングは、商品の受け渡しだか何だかで、あと数日は滞在する予定だという。
早朝にわざわざ見送りに起きてきた、付き合いのいいおっさんだった。
その後、東へ向かう馬車に乗り込んで、今に至る。
途中、馬継ぎ場のある村や街で小休止を取りながら東へ進み、そろそろ日が落ちる頃だ。
「次の街で今日は終わりだな」
「ああ、やっと時間を気にせずゆっくりできる……」
「酒はやめとけよ、明日も乗るんだから」
「動かなすぎて体が固まっちまった」
照りつける西日を睨むように見ながら、近くの賞金稼ぎらしき男たちがぼやいている。
夜間の移動は危険なので、日没が近くなると全員が一度馬車を降りて夜を過ごし、翌朝に乗り直すのだ。出発時間に間に合わなければ置いていかれるので、その場合は次の馬車を待つか、諦めて徒歩に切り替えることになる。
「肩凝ったな……」
ブレイズがぼそりと呟くと、ラディたちも小さく頷いて同意してくる。
なるべく動かずに一日中立っているだけというのは、思った以上に神経をすり減らすものだった。
警備で立ちっぱなしに慣れているブレイズがそう感じるのだから、気ままな賞金稼ぎの連中にとっては拷問に近かっただろう。馬車での移動に慣れていたとしても、ここまで混み合う状況は珍しいだろうし。
馬で馬車に並走する護衛たちの一人が、御者のほうに向けて何やら合図している。馬車の速度が落ちて、護衛が何人か先へ駆けていく。前方に獣でも見つけたか。
護衛がいる以上、しばらくは道中で戦うこともなさそうだ。
(このままじゃ腕が鈍るな)
ひとまず今夜は、眠る前に剣の素振りをしようと思った。
◇
三日もすると、馬車の乗客は十人もいなくなっていた。
途中の街で降りた者、朝の出発に間に合わず置いていかれた者、誰がどんな事情かはわからない。ただ結果として、ブレイズたちも座席に腰を下ろせる程度に乗客の人数は減っていた。
ふわあ、とウィットがブレイズの隣で欠伸をする。
「ねむ……」
「寝るなよ」
「んんー……」
目をこすりながら生返事をするウィット。元々朝が弱いやつだが、今朝はいつも以上に酷い寝坊をした。
朝食を食いっぱぐれて腹の虫がぐうぐう鳴っているが、当人はひたすらに眠そうである。空腹より眠気が勝っているらしい。
「だいぶ疲れが溜まってきてるみたいだな」
向かいの席から、ラディが話しかけてきた。心配そうにウィットを見ている。
「こいつ、夜は眠れてんのか?」
「夕食後、ベッドに入ったら十分もしないうちに寝てる。むしろ夕食まで寝ないよう我慢しているくらいだ」
「そうか……」
それで朝に起きられないということは、つまりそれだけ大量に睡眠が必要なのだろう。
一瞬だけ成長期である可能性を疑ったが、ファーネを出発したばかりの頃はもっと元気だった。となるとやはり、ラディの言った通り疲れてきている可能性のほうが高そうだ。
(……そういや、セーヴァが言ってたっけか)
出先でよく眠れなくて疲れるとか。
出される食事が合わなくて食欲なくすとか。
今のところ食事に問題はなさそうだが、日ごとに別の宿、寝心地の異なるベッドで眠るというのは、思っているより疲れが取れにくいのかもしれない。
「……次の宿場で一日休息入れたらどうだ」
ぼそりと提案してきたのは、ラディの隣で外を眺めていたロアだった。
「いいのか? 王都に着くの遅れっけど」
「一日二日くらいなら誤差だろ。それにそいつ、これ以上無理させると移動中に寝そうで危なっかしい」
「まあ、そうだな」
馬車には護衛がいるとはいえ、万が一ということはあり得る。
それに、他の乗客が盗みをしないとも限らないのだ。ブレイズたちがすぐ近くにいるとはいえ、無防備に寝られては困る。
「ロアがいいなら、一日休むか……いいよな?」
「ああ」
確認するとラディも頷いた。
「ちょうどいいから、保存食も買い足していこう。王都で買うよりは安いはずだ」
ウィットは朝食代わりにと握らせた干し肉をぼうっと見ている。話は耳に入っていないようだ。
(無理させすぎたか)
エイムズの街から領の検問を抜けるまで、ブレイズだってだいぶ気を張っていた。
ウィットは気丈なほうだと思うが、成人しているかどうかも怪しい子供であることに変わりはない。本人が自覚していないだけで、精神的な負担が大きかったのだろう。
何か問題があれば言えとは常々ウィットに伝えていたが、当人が自覚していない可能性はすっかり忘れていた。
(反省点だな)
ラディとも話し合う必要がありそうだ。今回はロアが「休もう」と言ってくれたが、この先同じような問題が起きた時、休むという決断をするべきなのは自分かラディだろう。
色々と見直す、いい機会なのかもしれない。
「……よし、次の宿場で今日は終わりにしよう。ウィット、それまでは頑張れよ」
「はーい……」
大丈夫かよ、と心配になりながら、ブレイズは馬車の近くを並走している護衛に声をかける。
次に止まる村か街が宿を構えているのか、先に知っておきたかった。
「次の村は馬継ぎ場しかない。宿があるのは、その次に止まるバロウの村だな」
人口が少ないため村と呼ばれているが、乗合馬車の到着のタイミングによっては一晩世話になることも多く、それなりにしっかりとした宿があるらしい。
旅人向けに保存食も扱っているとのことなので、そちらの買い足しもできそうだ。
護衛に礼を言って、ブレイズは席に座り直す。
「決まりだな」
ラディとロアが揃って頷き、ウィットの頭はかくんと落ちた。
満員電車に慣れていない頃、胸部圧迫されて呼吸ができず死ぬかと思ったことがあります




