39. 情報通の行商人
「兄ちゃんら、災難だったな」
そう声をかけてきたのは、先ほどの二人を領主とそのお付きだと教えてくれた行商人の男だった。
年齢はブレイズよりも上、四十歳前後だろうか。短く刈った銀髪と日に焼けた肌は、行商人というより港町で荷の上げ下ろしをしているほうが似合いそうだ。
「側近の爺さんが止めなけりゃ、贈答品の関税ぽっちで恩を押し付けられるところだった。そこだけは、あのジジイもいい仕事したよ」
「げっ」
「ああ、そういう危険があったのか……」
呻くブレイズの隣で、ラディもこめかみを抑える。
最後に関税を特別にどうこう、おそらく免除しようとかそういうことを言おうとしていたのだと思うが、止められて良かった。
「……そうかなあ」
領主たちの消えていった扉へ視線を投げながら、ウィットが呟く。
「あの領主様、たぶん純粋に、ブレイズのこと気に入ったから言ったんだと思うけど」
「お嬢ちゃん。本人じゃなくて、側近がどう考えるかってことだよ」
「……?」
ウィットはきょとんとした顔をして、それから説明を求めるようにラディのほうを見上げた。
ラディが慣れた様子で説明を始める。今までもブレイズの見ていないところで、こうしたやりとりを繰り返していたのだろう。
家族経営の商店などでも聞く話だ。
店主である夫が単なる厚意で客に便宜をはかり、それで終いだと思っていたら、裏で妻がその客にあれこれ無茶を言っていただとか。
それがトラブルに発展してギルドが仲裁に出張る……なんてのも、昔のファーネではよく見た光景である。
「……ま、あのジジイに関して言えば、単純に関税を取り逃すのが嫌で止めただけだろうがな」
「言われても免除なんてしませんけどね。後から何言われるかわかったもんじゃないですし」
肩をすくめる男の後ろから、ギルドの若い職員が割り込んできた。数枚の書類と、木札の束を持って近づいてくる。
「ヘニングさん、お待たせしました。こちらが木札になります」
「おう、ご苦労さん」
男はヘニングというらしい。
十数枚の木札をじゃらりと渡されて、彼はそれを腰の革袋に入れた。
続けて、職員はこちらにも木札を二枚差し出してくる。
「こちらがオーデットさんの木札になります。北門を出る際、こちらを係員に渡してください」
「返してもらわなくていいのか?」
「ええ、渡してしまってください。北門からギルドに木札が戻ってくれば、領を出たということで関税が発生する仕組みになってますので」
なるほど、と納得して木札を受け取る。
「贈答品扱いのほうは前もって関税をお支払い頂きましたが、木札をお持ち頂ければ返金しますので、予定が変わりましたら窓口までいらしてください」
「わかった」
こちらに頷いたのはラディだった。職員の口ぶりからして、彼女が既に、自分の財布から支払い済みなのだろう。
「宿に戻ったら半額出す」
小声でラディに言って、ブレイズは木札を腰のポーチに入れる。
ウィットに箱を背負わせると、ギルドを出るべく扉を開けた。
「……にしても、久々に肝が冷えたな」
宿へ向かう道すがら、ブレイズはぼやくように言った。
「例の親父。まさか背後取られて気づかないとは思わなかった」
どこで誰に聞かれるかわからないので、領主のことはぼかして言う。
ラディは察したようで、ことりと首を傾げた。
「傭兵上がりと言ってたが……」
「三十年前の話だろ?」
ラディと話していると、ウィットが困ったような顔でこちらを見上げてくる。
そういえばきちんと話したことはなかったな、と、簡単にこの国の最近の流れについて話しておくことにした。
この国は正式名称をマルヴェット王国というが、王の系譜である王朝が数十年おきに変わるという特徴がある。
きっかけは様々で、よくあるのは王家の弱体化や後継者の不在による断絶だ。珍しいものだと、政務に嫌気が差して王が失踪した、なんてケースもある。
そうなると次の王を決めなければならないのだが、候補者は王国内の貴族たちだ。
彼らは自身を、あるいは自身の担ぎ上げた者を王にするべく、政争、あるいは戦争により力を示す。総合して、最も力のある貴族が次の王だ。
現王が即位、つまり最後の戦いが終わったのが、今からおよそ三十年前。
以前にリアムも言っていたが、彼の父親とその側近たちはその戦いに傭兵団として参戦し、王を勝利に導いた褒賞として貴族の地位と領土を与えられたのだ。
「……ってわけで、三十年のブランクがあるのに俺が気配を読めなかったからすげえなって話」
「あー、そういう」
ウィットがこくこくと頷いた。
「きみたちの話、ちょこちょこわかんないところがあったんだけど、やっと解消できた」
「それは言えよ」
呆れながら、本当にこいつはどこから来たのかと思う。
計算の速さや組織構造の理解からして、それなりの教育を受けているように見えるのだが……。
「おお、また会ったな!」
ふと横手から声をかけられてそちらを見ると、ギルドで会った行商人ヘニングが手を振っていた。
ブレイズたちのほうが先にギルドを出たはずだが、どうやら近い道が別にあるらしい。
「兄ちゃんらも宿かい?」
「ああ、そろそろ昼だしな」
「この道ってことは流星亭だろ。俺もそこなんだよ、一緒させてくれ」
特に断る理由はないので、連れ立って歩く。
ヘニングは医薬品を扱う行商人らしい。
本拠は王国西端の港町であるカーヴィルにあり、イェイツには石鹸や薬草などを少量ずつ持ち込んでいるそうだ。
ギルドで木札をじゃらじゃらと渡されていたのは、それだけ扱う商品の種類が多いからなのだという。
「カーヴィルに来たら寄ってくれよ。ここには持ってきてないが、店には薬草を使った茶葉や薬酒なんかも置いてるから」
「行く用事があればな」
商業ギルドのカーヴィル支部は、王国西部の地方本部のようなところだ。
ひょっとしたら訪れることもあるかもしれない。
「……ん?」
ふと、見覚えのある背中が前を歩いているのを見つけた。
……領主だ。あの立派な体格は見間違いようがない。
彼は側近の老人が何か説明するのに頷きながら、先にある曲がり角に消えていく。
二人の姿が完全に見えなくなってから、ブレイズは小さく息を吐いた。
(ロアは宿に残って正解だったな)
宿とギルドの立地のせいかもしれないが、ここまで領主と行動範囲が被るとは。
宿に戻ったら、ロアには極力外に出ないよう言っておいたほうがよさそうだ。
エイムズからの道中、『ラディのショート・ソードを腰に差しておけば剣士に見えて見過ごされるんじゃないか』なんて話もしていたのだが、あの領主には見抜かれるだろう。
「……何しに来てるんだろうね」
領主の消えた角を通り過ぎる時、ウィットがふと呟いた。
「出迎えだとよ」
答えたのはヘニングだ。
「王都から国軍の……調査隊だっつってたか? まあ、なんか来るんだとさ」
「なんで知ってんだよ……」
「俺ァこの街にもよく顔を出すからな、領兵とも顔見知りよ」
なるほど、と納得した。
ブレイズも、ジーンたちファーネの領兵にはそれなりに融通をきかせてもらっている。それと一緒か。
この街はエイムズほど排他的な雰囲気は感じないし、現場の領兵と話くらいはできるようだ。
「王都からってことは、大街道か……」
ラディが難しい顔をする。
彼女の隣を歩くウィットが、ひょこりとその顔を覗き込んだ。
「ラディ、どうしたの?」
「おじさんの言う『出迎え』と、乗合馬車の時間が被るとまずいな、と」
「あー……」
ウィットが遠い目をした。
確かにそれは困るな、とブレイズも内心で同意する。
「帰ったらロアと相談だな」
「だね」
頷きあう女ふたりを、ヘニングが不思議そうな顔で見た。
「お嬢ちゃんたちは何を困ってんだ?」
「連れがちょっと、な」
ブレイズは言葉を濁した。外で精霊使いという単語を出したくない。
「指名手配犯でも連れて歩いてんのか?」
ロアには悪いが、ある意味で正しいかもしれない。
まあ、どうせ同じ宿だ。すぐに合点がいくだろう。
どうやら情報通のようだし、できれば相談に乗ってもらえるといいのだが。




