表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
2:彷徨う風精使い
36/185

36. ネリーの傷(後)

 わずかに開いた扉の隙間から、外の会話が、風に乗って流れ込んでくる。


「……いいからどけよ! お前らなんかに用はねえ!」

「ぎゃあぎゃあうるっせえな……ちったあ静かに待てねえのかよ」


 甲高くヒステリックな子供の声に、うんざりしたような男の声。

 困り果てた様子の若者が、扉の陰から顔を覗かせる。


 カウンターの奥からバートが出てきて、扉に近づくと声をかけた。


「どうした」

「ニックだ。しれっと入ろうとしてるの見かけたから止めたんだけど、そしたら『精霊使いを出せ』って騒いで……」

「あん?」


 バートの視線がこちらに向く。

 ロアが小さく首を横に振ると、バートは小さく頷いて扉の向こうにいる若者へ何か話しかけたようだった。若者が頷いて、扉の隙間から姿が消える。


「『会わねえ』ってよ」

「ふっざけんな!!」

「こっちが言いてえわ。てか昨日の今日でよく顔出せたな」

「はあああ? 俺が何したってんだよ?!」


 引き下がる様子のないニックに、食堂の男たちの表情が険しくなっていく。

 強引に入ってこられた時に備えてか、何人かが扉に張り付いた。


「……チップ、弾むか」


 ブレイズが小声で言うと、同じテーブルの三人は無言で頷いた。

 宿の負担にならないようなら、明日の弁当も頼もう。


「それにしても、どこで知ったんだろうね」


 ウィットが食器を放り出して言った。

 皿の上にはミートパイが、まだ半分ほど残っている。この騒ぎで、すっかり食欲を失くしてしまったらしい。


「何が?」

「精霊使いがこの宿に来てるって。(わめ)いてるの聞いた限りだと、ロアがそうだって気づいてるわけじゃなさそうだし」

「そりゃあ、誰かに……」


 誰かに教えられたんだろう。そう言いかけて、思考が引っかかる。

 誰かって、誰だ?


「……そういうことか」


 ふと降ってきた声に顔を上げると、扉をにらみつけるネリーの姿があった。

 彼女は猛然ときびすを返すと、カウンターの奥へ姿を消してしまう。


 しばらくして戻ってきたネリーは、昨日ウィットに見せた時のように、前髪を上げて傷を晒していた。

 よく見ると、片手に少し大きめの石を持っている。どこから拾ってきたのだろうか。


 ネリーは扉の前に立つバートを押し退けると、隙間から身を滑らせた。


「あっ、ネリ」

()せろ」


 一瞬明るくなった子供の声を、女の低い声が遮った。


「精霊使いのお客さんは、あんたに会う気はないと言ってる。それで終わりだ」

「で、でも」

「でも? 何?」


 バートが外に向かって手で合図すると、外にいた若者たちが、静かに中へ入ってくる。

 それと同時に食事を終えた男たちが数人、宿の主人に声をかけて、カウンターの奥へ消えていった。


「精霊使いなら、ネリーの傷もきれいに治せるって……」

「だから?」


 消え入りそうな子供の声に対して、ネリーの声に容赦の色はない。


「きれいに治せるから何? それ大鷲亭(うち)のお客さんに関係あんの? 全部あんたの都合じゃない」

「……っ、ネリーは治したくないのかよ?!」

「嫌だね。だって治したらまた同じところに怪我させるんだろ?」

「な……?! なんでそうなるんだよ?!」


 食堂の誰もが、食事の手を止めて、扉の外の会話に耳を傾けていた。


 バートが痛々しいものを見るような顔で、扉の隙間を覗いている。

 その視線の先にいるのは、誰だろうか。


「……石ってさ、ぶつけられると痛いし、血が出るんだよ。あんたは分かんないんだろうけどさ」

「分かってるよ、そんくらい!」

「へえ。分かってて、投げるのやめないんだ? そうそう、昨日も投げたって?」

「う……」


 ウィットの顔色が悪い。

 部屋に戻るか、とラディが聞くが、ウィットは首を横に振った。


「全部終わるまで待ってから、昼食(これ)ちゃんと食べて、ごちそうさまって言いたい」

「……そうか」


 ラディが優しく微笑んで、ウィットの背を労るように撫でる。


「言っとくけど、仮にこの傷がきれいに治ったって、あたしはあんたのこと許さないよ」

「え……」

「当たり前でしょ、痛かったんだから。傷がなくなったって、あんたがやったことはなくならない。少なくともあたしは、忘れないし許さない」

「ね、ねりぃ……」


 姉を呼ぶ、涙まじりの声の後。

 とっ、と小さな音が、扉の隙間から聞こえた。


「失せなクソガキ。二度とそのツラ見せに来んな!」


 そう怒鳴りつけて、ネリーは宿に戻ってきた。

 バン、と荒々しく扉を閉めてから、疲れたように息を吐いて俯く。

 その細い肩へ、バートの手が支えるように触れた。


「お疲れさん」

「いや、まだだよ」


 ネリーは顔を上げて、ブレイズたちのほうを見る。


「お客さんたち、出発はいつ?」

「……明日のつもりだけど」


 反射的にブレイズが答えると、彼女はバートに何かを告げた。

 バートが表情を引き締めて、食堂の男たちへ声を張り上げる。


「今日の北門警備はコンラッドだったな? 誰か行って、明日のシフト確認してこい」

「わかった。やばそうなら南門も確認してくる」


 そう応じて、男が一人、カウンターの奥へ消えていった。

 出入り口にニックがいるから、裏口から出入りしているのだと、そこでようやく気づく。


「ええっと……?」


 何がどうなっているのやら。

 慌ただしく動き回るバートたちを見て首を傾げていると、近くのテーブルにいた男が、椅子を引きずってこちらに来た。


「さっき黒髪(そっち)の嬢ちゃんが言ってたろ、『ニックはどこで精霊使いのことを知ったんだ?』って」

「あ、うん」

「まあ誰かが吹き込んだ、ってのが一番ありそうだよな。……で、じゃあ吹き込んだ奴は何が目的かって話だ」


 言われて、ブレイズは考える。

 姉の傷を治したいと願う子供に、治せる人物の所在を教える理由?

 ただの親切心、でないとしたら。


「……精霊使いを宿から引きずり出すため、か?」


 ブレイズが出した答えに、男は「たぶんな」と頷いた。


「リカルドはつれねえし、そもそも最近見かけねえ。そこに、そっちの兄ちゃん――新顔の精霊使いが来たわけだ。ダメ元で子供(ガキ)に仲介させて、直接会えたら儲けもん、ってところか」

「その流れだと、吹き込んだ奴ってのは……」

「直接かどうかは分かんねえが、裏にいるのは領の役人だろうよ」


 そこまで説明して、男は席を立った。これから巡回だという。


 男と入れ替わるように、今度はネリーがテーブルに近づいてきた。


「ごめんね、見苦しいとこ見せちゃった」

「……大丈夫か?」

「うん」


 ラディが気遣わしげにかけた言葉に、ネリーは小さく笑って頷く。

 先ほどまで男が座っていた椅子を持ち上げて、元のテーブルへ運んでいった。


「行商人のおじさんの時もね、あの子は周りに煽られて石を投げたの。他人(ひと)に流されやすいんだ」


 誰もいなくなったテーブルで、テーブルクロスを直しながら、ネリーは独り言のように言う。


「今回だってそう。さっきの人が言ったのは、たぶん当たりだよ。……子供だからって甘い顔したら、周りの大人はまたあの子を使う。子供に言わせれば何でも通ると思って、他の子だって使おうとするかもしれない」


 だから、ああするのが一番いい。


 こちらに背を向けて、ネリーは懺悔のような、言い訳のような言葉を吐き出し続ける。

 彼女はきっと、弟を心の底から恨んだり、憎んだりしているわけではないのだろう。

 彼女なりのやり方で、弟を守ろうとしているのだ。




 ……明日、日が昇る前にこの街を出よう。

 それが一番、彼女のためになると思った。



 ◆



 涙をぼたぼた落としながら、ニックが宿を後にする。


 宿の前、彼が立っていた場所から少しずれたところの地面が、小さくえぐれていた。

 ネリーがニックの足元に向けて、力いっぱい投げつけた石の傷痕だ。


 去っていく小さな背中を眺めながら、老いた役人が、残念そうにため息をついた。


「怪我をした本人に拒まれてはどうしようもないな」


 後ろに控えていた若い役人は、「そうですね」と気のない返事をする。


 若い役人は、こうなるだろうなと思っていた。

 同年代だからネリーの人となりを知っていた、というのもあるが、そもそもの計画に無理がありすぎる。

 あんな『クソガキ』を体現したような態度の子供に手を差し伸べて、件の精霊使いになんの得があるのか。せめて、もう少し殊勝な子供を使うべきだった。


 今回、ニックを焚きつけることを考えたのはこの老人で、実際に焚きつけたのは変装した自分である。


「ニックが彼らとトラブルを起こしたと知っていれば、謝らせるついで(・・・)を狙うこともできたのですがね」

「きみは何を言っている?」


 役人の言葉に、上役である老人はぎろりと目を剥いた。


「あの子は我が領の民だぞ。我々が第一に守るべきは、あの子のほうだろう。頭を下げさせるなんて論外だ」

「……失礼しました」


 反論せず頭を下げると、老人はフンと鼻を鳴らしてきびすを返す。


(嫌われたかな)


 そう思った直後、むしろ少し説教できるくらいのほうが傍に置かれやすいかもしれない、と思い直す。

 まあ手放してもらえるなら、それはそれで気が楽になるのだが。


 上の老人たちが何をしたいのか、役人にはさっぱり分からない。


 第一に守るべき、と言いながら子供を政治の都合に巻き込み、その子供が泣いているのにフォローもしない。

 商人たちの仕事を邪魔しておきながら、もっと仕事をしろと責め立てる。


 関税の件だってそうだ。

 領民たちが直接納める人頭税を安くして、彼らが払っていると実感しにくい関税で税を搾り取る、という魂胆ならまだ分かる。是非はともかく、筋は通る。

 しかし彼らは、心から民を優遇しようとしている。少なくとも、役人にはそう見える。

 優遇を通り越して、まるで我が子を溺愛する親のようにも。


(……何考えてんだろ、俺)


 役人は、両手で自分の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

 老人たちの考えに毒されまいとするあまり、頭が狂いかけているのかもしれない。


役所側(こっち)もあんまり余裕はない、か」


 ぽつりと呟いて、役人はめちゃくちゃになった髪を元通りに撫でつける。

 それでも、彼らの主が戻る時のために、この役職(ポジション)に居座り続ける必要があった。


(早いとこ戻ってきてくれよ、リアム)


 幼い頃、共に街中を駆け回った、かつての弟分。

 あの子のもとで全てを正す日を、役人は待ち望んでいる。

エイムズの街のあれこれはここまで。結構長くなりましたが、これ以上引っ張りたくなかったのでまとめました。

次は幕間をひとつ挟んで、イェイツの街へ向かいます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
他作品もよろしくお願いいたします!

【完結】階段上の姫君
屋敷の二階から下りられない使用人が、御曹司の婚約者に期間限定で仕えることに。
淡雪のような初恋と、すべてが変わる四日間。現代恋愛っぽい何かです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ