34. まどろむ大鷲亭
久々に出てくるお金の単位:1ザルト=10円くらい
まどろむ大鷲亭は、エイムズの街の中心部から、少し東に外れたところにあった。
看板に描かれているのは、目を閉じた鷲の頭。これが大鷲亭のシンボルのようだ。
木製の扉を手前に引くと、にぎやかな話し声が漏れ出してくる。
どうやら一階は食堂のようになっているらしく、カウンターの向こうには、店主らしき熟年の男が立っていた。
「いらっしゃい」
目が合って、声をかけられる。
客だろう、賞金稼ぎらしき出で立ちの男たちの視線が一瞬こちらに集まるが、ブレイズは気にしないようにして中へ足を踏み入れた。
「泊まりかね」
「ああ。二人部屋をふたつ、とりあえず二泊したいんだけど、空いてるか?」
「大丈夫だよ。前払いで、ええと……二千ザルトだ」
男は奥に声をかけて、部屋の準備をするように指示を出した。やはり店主だったらしい。
ブレイズは財布から大銀貨を二枚取り出して、カウンターの上に置いた。
「あと昼飯まだなんだけど、何か出してもらえるか? 四人分」
「空いてる席に座ってな。ポトフでよければ温め直してすぐ持ってくよ」
よかった、外に食べに出る必要はなさそうだ。
店主に「わかった」と頷いて、ブレイズはほっと息を吐いた。後ろに立つラディたちに目配せして、空いているテーブルを探す。
「兄ちゃんたち、ここ使いな」
「俺らこれから巡回だから」
中央に近いテーブルにいた男たちが、そう言って立ち上がった。
革鎧や鉄の胸当てで武装した彼らは、見た目に統一性がなく、領兵には見えない。それで巡回、ということは。
「あんたら、自警団か」
「おう。何かあったら言えよ」
そう言って、男たちは店を出ていく。
ちょうど四人分空いた席に、ブレイズたちは腰を下ろした。
「ふへぇ……」
椅子に座った途端、ウィットが妙な鳴き声を上げて、ぺたんとテーブルに突っ伏した。
背中にくくりつけた箱がゆらゆら揺れるのを見て、ラディが立ち上がる。
「もう箱は下ろしていいだろう。疲れたか?」
「歩き疲れたってのもあるけどぉ……」
箱を固定するベルトを外しながらラディが聞くと、ウィットは答えながら体を起こした。
「気疲れのほうが大きいかなあ。街の外とは別の意味で気が抜けないっていうか」
「それは分かる」
ぽつりと同意したのはロアだ。心なしか、顔色がよくない。
「ずっと見られ続けてるような感じだった……」
「お前は目立ったかもなあ……ギルドでも精霊使いだって即バレしてたし」
「なんであんなすぐ分かるんだ?」
「短剣しか持ってないからじゃね? モロに術士っぽい装備の南方民族見たら、俺だって精霊使いじゃねえかなって思うぞ」
ブレイズも立ち上がり、ウィットの後ろに回って箱を下ろした。
ラディが外したベルトと一緒に、テーブルの下に置いておく。席を立つ時に忘れないようにしないと。
箱を下ろしたブレイズが椅子に座り直した直後、カウンターのほうから温かなスープの匂いがした。
「お待たせ。ポトフと、こっちが豆とナッツのサラダ。あとふかし芋ね」
エプロンをつけた若いウエイトレスが、木の小さなワゴンを押してきて、テーブルの上に料理を広げていく。
店主は「ポトフでよければ……」としか言っていなかったが、気を利かせて品数を増やしてくれたらしい。
「いくらだ?」
ブレイズが聞くと、ウエイトレスは訝しげな顔をした。
料理を指で差すと、ああ、と合点したような声を漏らす。
「後払いでいいよ。ええと、一人前が百五十ザルトだから……」
「四人で六百ザルト?」
ウィットの言葉に、ウエイトレスは軽く驚いたような顔をした。
「……計算、早いんだね」
「特技なんだ」
えへへ、と照れたように笑うウィットの隣で、ラディが考え込むような顔をしながら口を開く。
「思ってたより安いな。塩は輸入だろう?」
「塩だけは、商業ギルドの方であんま高くしないようにって抑えてくれてるんだ。胡椒とかはアホみたいに高いけどね」
テーブルの中央に水差しとコップを置くと、「ごゆっくり」と言ってウエイトレスは奥に引っ込んでいった。
早速食べようとスプーンを手に取るブレイズに、ロアが小声で話しかけてくる。
「……お前、いきなり『いくらだ?』って聞くのやめろ。あれ、たぶん最初買おうとしてると思われてたぞ」
「買う? ……いやいやいやいやいや」
言わんとすることに思い当たって、ブレイズは首を左右に振った。
「仮にその気があったとしても、女子供の前で言うわけねえだろ」
「お前、わりとそっち方面は育ちがいいよな。……俺の見てきた限り、賞金稼ぎの大多数はそんな気遣いしない。同類に思われたくなきゃ気をつけろ」
「……覚えとくわ」
それだけ返して、ブレイズは料理に手を付けた。
言い返したいことはたくさんあったが、そろそろポトフがぬるくなってしまいそうだったので。
◇
「あれ、あんたら……」
そろそろ食べ終わるかという頃、宿の扉が開いたと思ったらそんな声がした。
声のした方を見ると、見覚えのある男が立っていた。この宿に来る途中、石を投げてきた少年に拳骨を落とした男だ。
「さっきは悪かったな、割り込んで」
「いや、俺もどんくらい手加減すればいいか分からなかったから。むしろ助かった」
そう答えると、男はほっとした顔をした。
扉の音に気づいたのか、先ほど料理を運んできたウエイトレスが顔を出す。
「あ、おかえりバート。遅かったけど何かあったの?」
「……花屋のババアに怒鳴られてたんだよ」
「花屋ってギルドの近くの? あそこのおばさん、自分から他人に絡むようなタイプじゃなかったと思うんだけど」
「んん……」
バートと呼ばれた男は、小さく唸って、一瞬こちらに視線を向けてから口を開いた。
「……ニックのやつがな、そこの黒髪の坊主に石投げつけやがったんだよ」
「え」
ウエイトレスの顔がこわばる。しかし、バートは構わず話を続けた。
「住民と余所者が揉めるとクソ面倒なことになるから、俺がニックに拳骨かましてその場を引き取って、そっちの兄ちゃんたちは離れてもらったんだが……。そこらへんから見たらしいババアが、『テメエ子供に何してんだ!』って噛み付いてきてなあ」
「分かってもらえたの?」
「何言われても『それは人様に石投げていい理由になるか?』って言い続けてたらキレてどっか行っちまった」
「ニックは?」
「ババアの相手してるうちに逃げやがった」
「反省してないか……」
はああああ、と深くため息をついて、ウエイトレスはこちらのテーブルへ歩いてくる。
「怪我してない?」
「大丈夫だよ。こっちのお兄ちゃんが守ってくれたから」
ウィットがロアへ視線をやってそう答えると、ロアが一瞬だけ身じろぎした。
当のウィットはそれに気づいたふうでもなく、ウエイトレスを見上げてにこりと笑う。
ウエイトレスは、悲しそうな顔で視線を伏せた。
「うちの馬鹿がごめんね。……あたしが謝っても意味ないだろうけど」
「あの子、おねーさんの身内?」
「弟だよ。あいつ、自分の顔で同じ目に遭わないと分かんないのかね……」
腹が煮えくり返っているのだろう、険しい表情をして、ウェイトレスは低く呟く。
そんな彼女を椅子から見上げていたウィットが、ふいに「あ」と小さく声を上げた。
その声に反応して、ウエイトレスは、きまり悪そうに苦く笑う。
「見えちゃった?」
そう言って、彼女は横に流していた前髪をわずかに上げてみせた。
それで、ブレイズからもウィットが見たものが見えるようになる。
前髪で隠れていた左の眉を、赤茶色の傷が縦に裂いていた。




