33. エイムズの街
ここからしばらくしょんぼりした話が続きます。
途中で挟む幕間と王都到着後はいつものぼんやりしたノリなので、サブタイで判別してもらえれば。
ナイトレイ領の中心からやや北寄りに位置する、エイムズの街。
元々は、領内における交易の中心地として作られた街だ。領の玄関口であるイェイツの街から入ってきた商品は、一度この街に集められ、それから各地へ運ばれていくのだと聞く。
周囲は平原で遮るものがないためか、石造りの防壁がぐるりと街を囲っていた。領主の屋敷は、街の中心部に建っているらしい。
ブレイズたちがこの街の検問を抜けたのは、野営をした翌日、昼を少し過ぎた頃。
保存食をこの街で買い足すと高く付きそうだったので、昼食は少し我慢して宿で取ろうということになった。肉や野菜なら領内で取れるのだ、関税の影響は小さいだろう。
「俺とロアはギルドに支部長の手紙届けに行くけど、ラディとウィットは先に宿行ってるか?」
疲れているだろう女ふたりに尋ねると、ラディが少し考える様子を見せてから首を横に振った。
「いや、一緒に行くよ。他のギルドの様子も見てみたいし……固まって行動したほうがよさそうだ」
言って、彼女はウィットの肩をそっと引き寄せる。
ちら、と横目で示された先、住民らしき中年の男女がこちらを不審げな目つきで見ていた。
今のブレイズとラディは、商業ギルドに所属していると示すようなものを身につけていない。
ただの賞金稼ぎにしか見えないだろうに、それでも風当たりは強そうだ。
「……そうだな」
ラディに同意して、ブレイズは街の中心に向かって歩き出す。
エイムズ支部の場所は、ファーネで支部長やリカルドから既に聞いていた。
南の出入り口から目抜き通りをまっすぐ進むと、古いが丈夫そうな、煉瓦造りの建物が見えてきた。
大きなドアの横に吊り下がる看板に描かれているのは、商業ギルドを示す金貨のマークだ。
「あそこか」
問題なくギルドにたどり着けてよかったと、ブレイズは安堵の息を吐いた。正確には、住民に道を尋ねなくて済んだことに。
なんというか、この街は“外”の人間を怪しむ空気に満ちている。交易の――元交易の街とは思えないくらいだ。
そんな空気を拒むように閉じているギルドの扉を開けると、紙とインクの匂いが流れ出てきた。
窓にはカーテンが引かれ、昼だというのに薄暗い室内は、けれど外よりもずっと呼吸がしやすい。「ここは大丈夫なのだ」と、空気が告げているようだ。
受付カウンターにいるのは、がっしりした体つきの若い男性だった。ブレイズもまあまあ鍛えているほうだが、どちらかというと支部長に近い。
男の筋肉を長々と観察する趣味もないので、ブレイズはさっさとその職員に声をかけた。
ファーネ支部の所属だと言って、支部長名義で書いてもらった問い合わせの手紙を出すと、「ああ、キースさんのところですね」と見た目より柔らかい声が返ってくる。
「返事が必要な手紙なんですね? 内容によるでしょうが、明日か明後日には何かしら返答できるようにします。宿はもう取りましたか?」
「まだだけど、『まどろむ大鷲亭』ってところにしようと思ってる」
支部長とリカルドに勧められた宿の名前を告げると、職員はこくこくと頷いて手元の帳面に何か書き付けながら口を開いた。
「大鷲亭ですね。満室という連絡は来てないので大丈夫だと思いますが、もし変更があったら教えてください。返答は宿まで届けさせます」
「明日と明後日くらいならこっちに顔出すけど……」
ブレイズの言葉に、職員は小さく首を横に振った。
「出歩くのはお勧めしません。気をつけていてもトラブルに巻き込まれます。特に……」
彼の視線が、ブレイズの後ろへずれる。ちらりと振り返ると、ロアと目が合った。
「そちらの方、精霊使いでしょう? 間違いなく役人に絡まれます。……ここに来るまで大丈夫でしたか?」
「特に声はかけられなかったが……」
「それは運が良かったですね。領兵はともかく、役人に見つかったら面倒なことになりますのでご注意を。特に今は、領主様が不在ですからね」
「え、そうなのか」
「イェイツに行ってるそうですよ。おかげで役人どもが調子づいて……おっと」
そこまで言いかけて、職員は手をぱたぱたと振った。聞かなかったことにしてくれ、ということらしい。
「仮に役人が訪ねてきても、大鷲亭なら大丈夫でしょう。会う気がなければ追い返してくれます。ギルドの自警団連中も何人か世話になってますので、連絡は彼らに任せてください」
「そういうことなら、宿に引きこもってるよ」
念のため大鷲亭への道を教えてもらって、ギルドの建物を出た。
◇
ギルドを出てから、向けられる視線が一層刺々しいものになった。
取るに足らない『ただの余所者』から、目の敵にしている『商業ギルドの関係者』を見る目に変わったということだろう。
「……これでは、下手なところで食事も買い物もできないな」
「あの兄ちゃんが『出歩くな』って言うわけだ」
商店だって、輸入物を扱う店と領内の産物を扱う店では関税の負担も違うだろう。住民がまったく買い物をしないわけでもなし、住民寄りの店もありそうだ。うっかりそういう店に入ってしまったら、ひどい目に遭うに違いない。
ウィットは大丈夫か、と後ろを振り返ると、表情の抜け落ちたような顔で淡々とラディの隣を歩いている。義務感だけで足を動かしています、と言わんばかりだ。
街に入るまでは好奇心で瞳を輝かせていた彼女も、この空気で同じようには振る舞えないらしい。
早いところ宿に入ってしまおう――そう思って前に向き直る直前。
最後尾を歩いていたロアが、ウィットの肩をぐっと引き戻すのが見えた。
「へっ?」
間抜けな声を上げるウィットを覆い隠すように、ロアが自身のマントを引き上げる。
次の瞬間、そのマントに何かが突き刺さった。厚手の布が、ぱすっ、と小さく音を立ててそれを弾き飛ばす。
足元に転がったのは、尖った形をした石だった。
飛んできた方向を見れば、こちらを睨んでいる少年がひとり、路地の入り口に立っている。
年齢は七、八歳くらいか。親らしき大人の姿は見当たらない。さっきの石は、あの子供が投げたものだろう。
「おい……」
さすがに看過できず、ブレイズは低い声で呼びかけた。
あの石、ロアが防がなければ、ウィットの顔に当たる軌道を描いていた。
ブレイズたちの中で一番戦えそうにない、言い換えれば一番弱そうなウィットを狙ったことを含めて、子供のやったことだと無視するには悪質過ぎる。
石を投げた少年は、ブレイズの声にびくりと小さく肩を震わせたが、逃げることなくこちらを睨み上げてきた。何か文句でもあるのか、とでも言いたげな顔だ。
開き直りとも取れる態度に、ブレイズは内心で舌打ちした。ビビって謝るならそれで済ませるつもりだったが、立ち向かって来るなら相応の対応をしなければならない。
(となると……どのくらい手加減すればいいんだ?)
拳骨のひとつでも落として終わりにしたいところだが、こちとら殴られる専門である。警備の仕事に忙しすぎて、近所の悪ガキどもの仕置きに関わったことなどない。
領兵に突き出したとしても、この街の様子ではなあなあで済まされてしまうだろう。
さてどうしよう、とブレイズが子供と睨み合っていると、助けは意識の外から来た。
「……んの、馬鹿たれ!!」
横からいきなり伸びてきた逞しい腕が、少年の頭に拳を振り下ろす。
ごん、と鈍くもいい音がして、少年の頭が強制的に下げられた。
「ってえな!! 何すんだ!!」
「何すんだ、じゃねえ! ニックてめえ、自分が何やったのか分かってんのか?!」
横から割り込んできたのは、革の軽鎧を身に着けた青年だった。
ニックと呼ばれた少年の目が青年に向く一瞬、青年はブレイズに詫びるような視線を向ける。
次の瞬間、彼は少年をじろりと見下ろした。
「人に怪我させるような真似して、何もお咎めなしだと思うなよ。お前、ネリーをあんな目に遭わせといて、まだ懲りないのか」
「うるせえ!!」
爆発するように少年が叫んだ。
「俺のせいじゃねえ! そいつらみてえな金の亡者が薬を売らなかったせいだ!!」
「都合のいいこと言ってんじゃねえ! 金を惜しんで買える薬を買わなかったのはお前んちだし、そもそも怪我させたのはお前だろうが!!」
「うるせえ俺が悪いんじゃない!! 悪いのは商人だ! みんなそう言ってんだよ!!」
青年がまた視線だけをこちらに向けて、手で追い払うような仕草をした。今のうちに行け、ということらしい。
小さく手を挙げて感謝を示すと、ブレイズはラディたちを促してその場を離れることにした。
「バート! ニックに何やってるんだい!!」
去り際、住民らしき中年の女性が、青年に食って掛かるのが見えた。
ちなみに現在ウィットは心を無にしているので(・-・)スン…って顔をしています。




