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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
2:彷徨う風精使い
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31. 刃の意味

 特に何事もなく日は過ぎていき、出発予定の朝となった。


 ロアとは北門の前で合流することになっている。待ち合わせの時間までまだ余裕はあるが、早く出るに越したことはないだろう。

 今、ラディが本部へ持っていく書類の最後の確認をしている。それが終わったら出発だ。


 ブレイズは腰のポーチを開き、火と水の魔力結晶が入っているのを確認して閉じた。

 基本的にラディと一緒なら火種にも緊急時の水にも困らないが、万が一彼女と離れてしまった時のための備えである。


「ウィット、忘れ物は大丈夫か?」

「うん、薬も火打ち石もちゃんと持ったよ」


 二日前に市場で買った旅装に身を包んだウィットが、肩から下げたポシェットをぽんと叩いてみせた。

 魔力を扱うことのできない彼女にとって、魔力結晶を持つことに意味はない。念の為に火打ち石を持たせているが、使わせるような状況にならないことを祈るばかりだ。


 できれば、これから渡すものも……使うことがなければいいと、思う。


「これを、渡しておく」


 ブレイズはウィットの前に立ち、一本の短剣を鞘から抜いて見せた。


 いたって標準的な形の、狩猟用のナイフだ。

 肉厚の刃は、鉱石の質がよくないのか、刀身にやや曇りがある。しかし研ぎはブレイズがしっかりやっておいたので、そこらのナイフよりはよく切れるだろう。


 本当はもう少し刃渡りのあるものを探していたのだが、ファーネに戦闘用の武器はなかなか入ってこない。

 結局、今日までこれだと思うものは見つからず、渡すのがぎりぎりになってしまった。


「お前の武器だ」

「僕の……」

「木剣のままってわけにもいかねえからな」


 ブレイズは一歩大きく下がると、ウィットが反応する前に、その鼻先に切っ先を突きつけた。

 ひゅっと息を呑んで、青色の瞳が驚きに見開かれる。


「ただのナイフだが、刃物は刃物だ」


 子供が全身を強張らせていることには気づいていたが、短剣を下ろすことはしない。


「触れば切れる。痛い。怪我をする。……取り返しのつかないことにだって、なる」

「……怖い、ね」

「そうだな」


 ウィットが言葉を返したのに頷いて、ブレイズは刀身を鞘に収める。

 改めて短剣を差し出すと、震える手がそれを受け取った。


 少し怖い思いをさせたが、恐れるくらいでちょうどいい。

 短剣でも、戦闘用でなくても、剣は剣。武器なのだ。持たせる以上、そこは理解させておきたかった。


「向けるだけで威圧になる。それを忘れるな」

「うん」

「その上で、抜くべきだと思ったらためらうな」

「……難しいよ、それは」


 ウィットが苦笑する。

 しかし、「できない」とは言わなかった。



 ◇



 中央通りを歩いて北門に着くと、既にロアの姿があった。

 日の出から時間が経ち、少し赤みの失せた朝日が、緑を帯びる金髪を透かしてきらきらと差している。

 空を見上げても雲は見当たらない。しばらく雨の心配はなさそうだ。


「待たせたか?」

「そうでもない」


 軽い調子で返して、ロアが足元に置いていた背嚢(リュック)を拾い上げる。その視線がブレイズのすぐ後ろに立つウィットに向いたので、ブレイズは彼女の肩を軽く前へ押した。


「ウィット、挨拶」

「ウィットだよ、よろしく!」

「……ああ」


 差し出されたロアの手を軽く握って、ウィットはすぐにブレイズの後ろに戻ってきた。ロアは眉をひそめていたが、特に何も言わずに手を引っ込める。


「準備ができてるなら行くか」

「そうだな」


 途中で何があるか分からないので、出発は早いほうがいい。

 ブレイズはラディとウィットを促し、北門へ歩いていった。


「お、来たな」


 北門に立っていたのは顔なじみの領兵、ジーンだった。

 彼はブレイズ、ラディ、ロアと順番に顔を見て、少し低い位置にある黒い頭に顔を曇らせる。


「前もって聞いちゃいたけど、マジで連れてくのか……大丈夫なんだろうな?」

「ジーン、忘れてるかもしれないけど僕もう十五なんだ」

「十五だっつーなら十五らしく落ち着きを見せろっての。……で、それが運ぶ荷物か?」

「ああ」


 ジーンがウィットの背を指して問うのに、ブレイズは頷いた。


 あれこれ試した結果、例の植物を収めた箱はウィットの背にベルトでくくりつける形に落ち着いた。

 これならウィットの両手も空くし、本当に最悪の場合、彼女の背を守る盾代わりになることも期待できる。中の植物は傷ついてしまうが、命には代えられない。


「中身は魔境の植物素材と動物素材だったな?」

「それであってる。確認は?」

「いいよ、またウィットにくくりつけるの面倒だろ」


 そこで言葉を切って、ジーンはちょいちょいと手招きしてきた。

 もっと近づけ、ということだろうと判断して、ラディやロアと一緒に歩み寄る。


「……エイムズあたりじゃ、商業ギルドが住民から目の敵にされてるらしい。街中でも油断すんなよ」

「話には聞いていたけど、そんなにか」

「ああ。……それと、情けない話だが現場の領兵たちも当てにしないほうがいい。仮に揉め事があっても、基本的に住民の肩を持つだろうし」

「そうなの?」

「そりゃな」


 首をかしげるウィットに、ジーンは肩をすくめてみせた。


「領兵だって非番の日はただの住民だ。家族と住んでるやつもいるし、独り身だって近所との付き合いはある。……数日しかいない連中(お前ら)よりも、毎日顔合わせる連中の味方したほうが楽だし、安全だろ」

「……なるほど」

「そういうの、ウィットに見られたくねえんだけどなあ……まあ行くってんなら止めらんねえし、気をつけろよ」

「おう」


 行っていい、とジーンが手振りで示すので、ブレイズたちは順番に北門をくぐっていく。

 南ほど厚い防壁ではない。一、ニ歩通り抜け、街の外に出てしまう。


「わあ……!」


 後ろでウィットが声を上げた。


 雲ひとつない空の下、背の低い草が揃って風に揺れている。

 明るい緑色が陽光を反射して、まるできらきらと輝く水面のようだ。


 今までギルドに近い南の防壁と、その先の深い森ばかり見ていたウィットには新鮮だろう。

 ブレイズも数年ぶりに見るが、灰色の北門を抜けて、目の前がぱっと開ける瞬間は嫌いじゃない。すぐ後ろ、ラディが小さく感嘆の息を吐いたのを、耳が拾う。


「……行くか」


 ブレイズを先頭に、前へ細く伸びる街道を進み始めた。

 しばらくして、ラディがぽつりと言う。


「手押し車じゃなくてよかったかもな」


 街道はやや荒れていて、小さな石や大小様々な凹凸が目についた。きちんとした靴で歩く分には問題ないが、車を引くのは大変そうだ。

 薄く(わだち)が残っているのは、最近来た行商人の荷車だろうか。苦労しただろうな、となんとなく思う。

 いつだったか、リアムとケヴィンが言っていた通りだ。


「今日はどこまで行くんだ?」

「道なりに進むと小さな村があるんだ。日が落ちる前に着いておきたい」


 歩きながらのロアの問いに、足を止めずにラディが答えた。


 街道沿いに位置する集落には、行商人たちが寝泊まりするための小屋が用意されていることが多い。今夜はそこの世話になる予定だ。

 寝泊まりするだけの何もない小屋だが、集落で金を払えば食事は用意してもらえるし、井戸で飲み水も補給できる。

 そういった集落をいくつか経由して、まずはエイムズを目指すことになる。


「……ラディ?」


 ふと後ろを振り返ると、ラディが立ち止まって、じっとファーネのほうを見ていた。

 どうしたのかと名前を呼ぶと、彼女は視線を前に戻して、早足でこちらに追いついてくる。


「すまない」

「今になって忘れ物とか言わねえよな?」

「そうじゃないから安心してくれ」


 ラディは足を止めないまま、ちらりと一瞬だけ後ろを振り返る。


「戻ってくる頃にはジルの命日が近いな、って」

「そういや、そうだな」

「墓参り、忘れないようにしないと。……警備主任になるって、報告するんだろう?」

「……ああ」


 そういえば、そんな話もしたんだったか。


 来年になったら、自分は警備主任になるらしい。


 そうラディに告げたら、彼女は小さく笑って「おめでとう」と言った。

 言われて初めて、これは「めでたい」ことなのだと気がついた。


(めでたいこと、なんだよなあ……)


 だというのに、どうして自分は嬉しいと思えないのだろう。どうして自分は戸惑っているのだろう。

 追いかけていた背中をひとつ、捕まえたはずなのに。


 王都から帰ってきて、ジルの墓前に立つまでには、何か分かっているだろうか。

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【完結】階段上の姫君
屋敷の二階から下りられない使用人が、御曹司の婚約者に期間限定で仕えることに。
淡雪のような初恋と、すべてが変わる四日間。現代恋愛っぽい何かです。
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