29. 面影
「おかえり!」
昼食を済ませてギルド支部へ戻ると、ウィットの元気な声に迎えられた。
「おにーさんも、おかえり!」
「あ、ああ……」
一緒に戻ってきたロアが、戸惑ったような声で応じる。
ついさっきまで、ブレイズ相手に愚痴やら何やらこぼしまくっていたのが嘘のようだ。
そんなロアの反応は意に介さず、ウィットの青い瞳がブレイズのほうを見る。
「そうだ、ルシアン帰ってきたよ。さっきジーンが届けに来た」
「ゲロは?」
「吐いてた」
そうか、と頷いて遠い目をした。後でジーンには何か差し入れに行こう。
隣でロアがドン引きしているのは気配で分かったが、何も言われないので、こちらも何も言わないでおく。
とにかく今は、支部長に報告するのが先だ。
◇
「名簿に名前があったなら、難民の足取りを追う方向でいいんだね」
「はい」
昨日と同じく、受付横の応接スペースに、支部長とロアが向かい合って座っている。ブレイズが出入り口の横で警備に立つのも同じだ。
「なら、紹介できるのは二人だ」
支部長がロアに向けて、指を二本立ててみせた。
「一人は、エイムズの商業ギルド支部長だ。僕が難民と別れた後、護衛を引き継いだのはエイムズ支部でね。今の支部長は当時からエイムズ支部にいる人だから、覚えていることもあるだろう」
「……つまり、エイムズに行かなければならないんですね」
げんなりした口調でロアがぼやく。行くと覚悟を決めていても、嫌なものは嫌なのだろう。
昨日と違い、あからさまに感情を表に出すロアを見て、支部長はわずかに目を見開いた。その目が一瞬だけブレイズに向き、すぐにロアへ戻される。
どこか嬉しそうに微笑みながら、「そうなるね」と返した。
……どうしてこちらを見たのかと、ブレイズは内心で首を傾げる。何かしただろうか。
「今のエイムズ支部は色々と忙しいから、支部長本人に会うのは無理だろうね。手紙を書いてあげるから、支部の受付に渡すといい。仕事の早い人だ、一日か二日で聞いたことの答えくらいは返ってくると思う」
「……何から何まで、ありがとうございます」
「この程度ならお安い御用だよ」
頭を下げるロアに、支部長がくすりと笑って言う。
「恩に着てくれるなら、手の空いた時に荷運びでも引き受けてくれるとありがたいね。その程度の下心はあるのさ」
「はあ……」
ロアが反応に困っているが、支部長は構わず話を続けた。
「それで、紹介するもう一人だけど。正確に言うと、紹介するのは僕じゃない」
支部長がこちらを見る。今度は一瞬だけじゃない。
その視線を追って、ロアの目もこちらに向いた。
「……俺?」
「と、ラディだね」
自分とラディ?
心当たりが見当たらず眉をひそめると、支部長がにっこり笑って続けた。
「難民が出ていく時、ファーネを出ると決めた住民たちも同行していたんだよ。彼らが今どうしているか、僕は全く知らないけれど……きみには心当たりがあるはずだよ、ブレイズ」
「フォルセか? でもあいつ、俺とひとつしか違わな……あ」
ああ、なるほど。そこでやっと合点する。
「母親のほうか」
支部長は頷くだけだったので、ブレイズからロアへ、簡単に説明をした。
王都にいる旧友と、その母親。フォルセが今年で二十歳のはずなので、母親のほうは四十を過ぎたくらいだろうか。
ただ、知らされていた住所に手紙を送っていたのが、途中で返事が途切れてしまったので、まだ存命かは分からない。生きていたとしても、引っ越してしまったのかもしれないし。
「だから、確実に会いに行けるのは学院の宿舎にいる息子のほうだけなんだが……」
「構わない、紹介してくれ」
「……そう言うと思ったよ」
別に構わないのだが、紹介といっても何をすればいいのか。ケヴィンたちの時にフォルセがやったように、手紙でも持たせればいいのか?
ブレイズは文面を考えるのがあまり得意ではないので、ラディに頼んだほうがいいだろうか。ロアの事情なら、彼女だって断れとは言わないだろう。
「ロアくんさえ良ければ、一緒に王都まで行ってもらったらどうだい?」
頭を抱えていると、支部長がそう言った。
「ルシアンも戻ってきたからね。カチェルも書類の準備は終わっていると言っていたし、あとは警備の調整だけだ」
「ああ、そっか」
納得して、ロアに「元々王都まで行く予定があった」と説明する。
ブレイズとラディが抜けると夜警がリカルドだけになってしまうので、ルシアンが戻るのを待っていたのだ。数日休ませる必要はあるが、彼が戻った以上、出発が可能になったということになる。
「いつ出発だ?」
「……三日ほしい」
今日の夜警当番はリカルドだ。明日がブレイズ、明後日がラディ。その間にルシアンを休ませ、警備のシフトを組み直す。三日後の夜はしっかり休んで、明朝に発てばいいだろう。
出発日が確定しなかったので、保存食の調達もこれからだ。野営道具の整備は終わらせてあるが。
「分かった、そのくらいなら待つ」
ロアはすぐさま頷いた。
「いいのか?」
「ここまで世話になりっぱなしだからな。……それに正直、ここまで少し無理をしたから休息は欲しい」
「分かった、よろしく」
手を差し出すと、軽く握られてすぐに離れた。
視界の端で、支部長がうんうんと嬉しそうに微笑んでいるが、何かいいことでもあったのだろうか。
「他に同行者はいるのか?」
「ああ、魔術士が……ウィット、ラディはもう起きてるか?」
ちょうど奥から出てきたウィットに聞いてみると、彼女はこくんと頷いた。
「いまルシアンのお世話してるよ」
「ああ、リカルド仮眠中か……来れそうなら来るよう言ってくれ」
「はーい」
奥へ戻っていくウィットを見送って、それから、とロアへ向き直る。
「荷物を運ぶことになってる。重くはないけど、ちょっとかさばるからなあ……どう持っていこうか悩んでるんだ」
フォルセへ納品する例の植物と、巨大蜂の毒針だ。問題になっているのは、植物を収めた箱のほうである。毒針のほうは短剣くらいの大きさなので、植物の箱に一緒に入れてしまえばいい。
「俺が持ってもいいけど、得物が剣だからな」
そう言って、ブレイズは腰に差した剣の柄を軽く叩いた。
「何かあればその場に放り投げることになっちまう」
「……俺と、そのラディって術士が交代で持つのがいいか? 手は塞ぎたくないし、背中に背負い込むことになりそうだが」
「手押し車なら借りられるそうだよ」
後ろから聞こえてきた言葉に振り返る。ラディが、ウィットと一緒にこちらへ歩いてきていた。
ロアがラディを見て目を丸くしている。
「どうした?」
「……女性だとは思ってなかった」
「よく言われる。男の名前をつけられたからな」
ラディが軽く笑って自己紹介する。ロアも同じように名乗って、それから話を戻した。
「新しく荷物持ちを雇うと、俺たちで護衛もすることになる。いざという時を考えると、手押し車のほうが楽じゃないのか」
「保管場所と盗難対策が面倒くせえんだよ。どこでも引いていけるわけじゃねえし、置いてく時に誰か見張りに立たなきゃならねえ」
「まあ、ファーネで荷物持ちを引き受けてくれる人はいないから、手持ちか手押し車の二択になるんだけど……」
そうなんだよなあ、とブレイズはため息をつく。
獣や野盗と遭遇した時のリスクを呑んで手持ちにするか、借り賃というコストと盗難のリスクを呑んで手押し車を借りるか、という二択なのだ。どちらにしても、荷物に注意を払う必要がある。
いっそのことロアを同行させず、空を飛んで持っていってもらったほうが楽なのでは……と、そんな考えが浮かんだ頃だった。
「僕が荷物持ちやろうか?」
下のほうから飛んできた提案に、ブレイズは思わずそちらを見た。
瑠璃色の目に、きょとんとした顔で見下ろす自分の顔が映っている。
「お前が?」
「荷物ってあの竹っぽいやつが入った箱でしょ? あれなら軽いし、ついてくだけなら僕でもできるかなって。戦えなきゃダメならいいけど」
「ウィットなあ……」
荷物持ちに戦う力は必須ではない。勝手な行動をせず、大人しく守られてくれればいい。
非常時に恐慌をきたして逃げ出したりされるとまずいが、先日あったリアムの誘拐騒ぎの際の様子を見る限り、胆力はあるほうだろう。
心配なのは体力面だが、長い距離を歩き慣れていないのは自分たちも同じだ。ペースが違いすぎる、ということはないだろう。一応、セーヴァに相談する必要はあるが。
(……ひょっとして適任か?)
ちらりと相棒を見れば、悩むような顔をしている。ロアは反対なのか、顔をしかめていた。
「連れて行きたいなら、許可は出すよ」
話し合いを見守っていた支部長が、横から口を挟んできた。
「いいの?」
「ファーネの外を見るいい機会だ。何か思い出すかもしれないしね」
もちろん、セーヴァの許可が出るならだけど。
支部長がそう告げると、ウィットはそわそわした様子でセーヴァのいる医務室へ視線を向ける。
「……思い出す?」
ロアが訝しげな声で呟いた。
ウィットが最近拾われた以前の記憶を失っていることを簡単に説明すると、彼は複雑そうな表情をする。
「……そういう事情なら、反対はしない」
「いいのか? 世話かけるのは変わらねえけど」
「いい」
ロアは視線をウィットに向けたまま、ぽつりと言った。
「……家族が、心配しているかもしれないからな」
北門にたどり着いたところで吐きました(大迷惑)




