28. ロア・ソレイル
翌日の午前。
ブレイズはロアを連れて、ファーネの代表一族が住む屋敷を訪ねていた。
中央広場の北、中央通りに面した一角にある、古い家である。
資料庫や執務室があるためか、周囲の民家よりも一回り大きく、周囲は石の塀で囲まれていた。
朝、ギルドが開いてすぐに訪ねてきたロアは、ブレイズの同行について何も言わなかった。
あからさまに訝しげな顔はしていたが、それだけだ。ひょっとしたら、断ると紹介の話がなくなると察したのかもしれない。
昨夜、どう言えば納得してもらえるのかと散々頭を悩ませただけに、少し肩透かしを食った気分だ。
家人の案内に従って中に入り、応接室へ通される。
ここ数年、外からの客が数えるほどしかいないのは代表も同じのようで、調度品は質素なものだった。
勧められた椅子にはロアだけ座らせ、ブレイズはその斜め後ろに立つ。訪問の主体はあくまで彼で、自分はただの立会人だ。その立場をはっきり示すのにも、いざというときに動くにも、立っていたほうが都合がよかった。
「お待たせしました」
出された茶から湯気が消える頃になって、代表が応接室へ入ってきた。三十歳を少し過ぎた、痩せぎすの男だ。
その左腕には、紐で綴じられた書類の束が抱えられている。おそらく、あれがロアに見せる資料なのだろう。
簡単な挨拶の後、代表は手に持っていた書類の紐を解いて、ロアへ差し出した。
「早速ですが、こちらが当時の名簿となります。家ごとに一枚、先頭にあるのが家長の名です」
「……拝見します」
小さく頭を下げると、ロアは袖口で指先を拭ってから書類に手を伸ばす。
上から一枚手に取って、目を通すとその横に伏せていった。
かさりと乾いた音がするのは、古くなって劣化したからか、それとも元々あまり質の良くない紙なのか。
途中から慣れてきたのか、書類をめくるペースが早くなる。
「ありました」
目を通し始めてから数分もしないうちに、ロアの手が、ある一枚の書類で止まった。
代表が身を乗り出して、その先頭にある名を読み上げる。
「テルセロ・コルティス……こちらが?」
「伯父です。それと」
ロアの指先がするりと移動し、コルティス一家の構成員、その一番下の欄に描かれた名前を指した。
大きめの字で書かれていて、ブレイズの位置からでも辛うじて読み取れる。
ルピア・コルティス。
「――妹の、名前です」
平坦な声で告げるロアの、テーブルに置かれた左手が。
指先が白くなるほどに、きつくきつく、握りしめられていた。
◇
あいにく、名簿以上の手がかり――例えば、難民の行き先に関する資料など――は残っていなかった。
そこまでファーネが関知する理由はないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
「ただ、当時の父の日記に『やはり魔境の近くには住めないと言われた』とありました。少なくともこれを言った人物は、魔境から離れたがっていたのでしょう」
「となると、北ですか」
「少なくとも、この領からは出たでしょうね。同じ領内にいれば、多かれ少なかれファーネや魔境に関わることになる」
代表はそこで自分の茶を口にして、喉を潤してから続けた。
「この領の出口は、大街道沿いのイェイツしかありません。安全面を考えても、難民の方々は大街道を東に行ったと考えるのが自然でしょう。個人的には、大街道沿いの街で情報を集めつつ、同じように東へ進むのをお勧めしますよ」
「……領内に残っている可能性はない、と?」
「それなら、あなたがここに来る途中で何か耳に入るはずでは?」
ロアの疑問に、代表は不思議そうな顔で問いを返した。
「イェイツからファーネまでの道は、昔も今もエイムズ経由のひとつだけです。難民の皆さんが道なき道を行く理由はありませんし……あなたと同じ道を通ったはずです」
「……それは、その」
ロアの背が丸まった、ように見えた。
後ろに立つブレイズから彼の表情は見えないが、なんというかこう、気まずそうというか、ばつが悪そうというか。
「イェイツからは、空を飛んでまっすぐこの街に来たので……」
「……エイムズすら寄らずに?」
「はい……」
代表が呆気にとられたような顔をした。そのまま視線がブレイズに向く。
「……できるものなのか?」
「風の精霊使いだから、じゃないすかね。魔術で同じことやるのは相当骨が折れるらしいけど」
口を挟む気はなかったが、話を振られてしまったので仕方なく答えた。
ラディいわく、浮くだけならともかく空中移動となると、“やることが多すぎて頭が破裂する”のだそうだ。
空を飛んで移動するなら、高度を保ちつつ姿勢も維持し、周囲の風の流れに対応しながら自分の位置を動かす……というのを、常に並行して行い続ける必要がある。魔力が足りても頭が足りない、らしい。
精霊使いの術は、仲のいい精霊に魔力を渡し、それを対価に願いを叶えてもらうようなものだ。細かいところは精霊がなんとかしてくれるのだと、リカルドから聞いたことがある。
ロアは風の精霊に愛されると言っていたし、空を自由に飛び回るくらいはできるのだろう。
そんなことを簡単に説明すると、ロアも「おおむねその通りだ」と頷いた。
イェイツからファーネまで、道なりに歩けば十日近くかかるところを、三日ほどで来たらしい。
「それはまた、ずいぶんと……」
代表が何か言おうとして、結局途中で言葉を濁す。
言いたかったことは、無茶とか無謀とか、まあそんなあたりだろう。ブレイズも同じことを思ったので、なんとなく分かる。
(道を無視したってことは、人里にも寄らないで一人で野営してたってことだろうしなあ……)
それだけ気が急いていた、というのもあるだろうが……この男、意外と気が短いのかもしれない。
◇
「別に人見知りでもないし短気なわけでもない。精霊使いだと分かるとすぐ傷を癒せだの領主のお抱えになれだの言ってくるやつが多くて鬱陶しかったんだ。カーヴィルからしばらくはマシだったが内陸に入ると段違いに鬱陶しくなったし、特にイェイツの連中はしつこく付き纏ってきて、商業ギルドの自警団が助けてくれなかったら役人も領兵も殴り倒して逃げていた。だからこの領では極力人前に出たくなかったんだ。俺が短気なわけじゃない……っ!」
「分かった分かった」
二回も短気を否定するあたり、自分自身でも思うところがあるのだろうな……と思いながら、ブレイズは猪の腸詰めに歯を立てた。
脂が強いが、刻んだバジルが混ぜ込まれているためか、あまり重たく感じない。胡椒が控えめなので酒飲みには物足りないだろうが、香辛料が苦手なブレイズにはありがたかった。
早く食わないと冷めるぞ、とロアの前に置かれた木皿を食事用のナイフで指すと、ロアは口を閉じてガレットの切り分けを始めた。素直である。
思ったよりも長居をしたようで、代表の家を辞した頃には、太陽が真上にあった。
元々遅くなることを考えて、カチェルには昼飯はいらないと言ってある。宿の食堂も混んでいる時間帯だろうということで、ロアと二人、中央広場の屋台で昼食をとることにした。
それにしても、と。
ブレイズは炭酸水で口の中の脂を流しながら、蕎麦のガレットをもそもそと食べるロアを見る。
代表の家を辞して、屋台での昼食を提案し、食べ物を受け取って近くのテーブルに座るまでは静かだった。
座った途端に口数が増えた。というか、跳ね上がった。
おそらく、こちらが素なのだろう。
先程まで静かだったのは、家族の手がかりを追うことしか考えていなくて、無駄口を叩く余裕がなかったのかもしれない。
……そうなると、昨日のどこか陰気な様子も別の側面が見えてくる。イェイツからの強行軍で疲れていた、というのもあるのでは?
ハムとチーズ、それから茸の乗ったガレットは口に合ったようで、ロアの顔色が若干明るくなったように見える。
彼が果実水でひと息ついた頃を見計らって、ブレイズは口を開いた。
「カーヴィルからしばらくマシだったってのは、ミューア領だからだろうな。あそこはハルシャと交易とかで直接やり取りしてるから、治癒魔術士には困らねえんだ」
「……それでいくと、イェイツの連中がしつこかったのは、この領では困ってるからか? 精霊使いの『癒し』なんて、ちょっとした傷しか直せないぞ」
「それでも欲しい、ってことじゃねえかな。俺も最近知ったんだが、うちの領主って武門の家らしいし。傷薬じゃ足りねえんだろ」
口には出さないが、他にも色々と想像はできる。……が、あくまで想像だ。本当のところは、リカルドあたりに聞けば分かるだろうか。
「……なあ、代表さんが言ってたエイムズって、領主のお膝元の街だよな」
「ああ、領主の屋敷もある街だ。……お前が行ったら、領主から直々に勧誘されるかもな」
「勘弁してくれ……」
そうぼやいて、ロアは頭を抱えてしまう。
でも行くんだろ、と言ってみれば、当たり前だと返ってきた。いい根性をしている。
「戻ったら、そのへんも支部長に相談だな」
こういう、ぶれないやつは嫌いじゃない。
個人的には、もう少し付き合ってやってもいいなと思った。
【私だけが楽しい世界設定メモ】
・魔術士の魔術
一言で言うとフルスクラッチ。自分の魔力を使って大気中の魔力を反応させてなんやかんやする。
初級の魔術はふんわりしたイメージでもなんとかなるため、魔力の相性しだいだが使える人は多い。
上級の魔術を使うためには、相応の魔力と魔術を編むセンスと自然科学系の知識が必要。
めんどくさい反面で自由度は高く、「(理論上は)なんでもできる」と言われる。マッドサイエンティストを生みやすい。
・精霊使いの術
精霊たちに魔力とやりたいことのイメージを渡すと、なんかいい感じに実現してくれる。
軽傷程度なら治癒することも可能だが、重傷や致命傷レベルは無理。(精霊が諦めてしまう)
とにかく精霊に好かれないと始まらず、先天的な素質が必要。特定属性の精霊に一点集中で信仰を捧げている南方民族に出やすい。
使う魔力も魔術と比較して少なく、細かいことを考えなくても使えるが、反面自然に反するようなことは(精霊が理解できず)実現できない場合がある。
・治癒魔術
ハルシャ皇国の国教関係者が使う癒しの術。重傷や致命傷レベルでも癒せる。毒や病気、先天的な奇形などは無理。
治癒魔術士はハルシャの特産品。国内外の上流階級に派遣され、平民を相手にすることは滅多にない。
たまに「国や身分に関係なく人を助けたい!」みたいな治癒魔術士が出るが、治癒魔術の需要はめちゃくちゃ高いため、大抵は貴族の取り込み(圧力)に邪魔されて長続きしない。




