27. 置き去りにされた人
ロア・ソレイルは火族の生まれながら、風の精霊に愛される『風混じり』だった。
南方民族には時折、ロアのように部族の信仰対象と異なる精霊に愛される者が出る。
そういう者は精霊との付き合い方を学ぶため、若いうちはその精霊を信仰する部族に預けられるのが暗黙のしきたりだった。
五つになったばかりの頃、ロアは風族の師匠のもとへ修行に出された。
本当はあと二年ほど後になるはずだったけれど、生まれたばかりの妹のそばに混じりものの自分がいると、魔力を揺らしてしまって良くないらしい。
そう説明されて、師匠のいる集落に引き取られた。
一年後、家族に会いに行くことを許されたロアは、師匠に連れられて故郷を訪れた。
父はロアを力いっぱい抱きしめてくれたし、母はその晩、ロアの好物ばかりを作ってくれた。
赤ん坊だった妹は、たどたどしいが言葉を話し、自分の足で歩けるようになっていた。
師匠は「また一年後に連れてくる」と両親に告げると、ロアを連れて風族の集落へ戻った。
また一年が経り、再び故郷に向かっていたロアと師匠は、途中立ち寄った集落で「この先にある火族の集落が魔物に襲われた」という知らせを受けた。
ロアの故郷だった。
「――駆けつけた時には、全て終わっていました」
ぽつりぽつり、水を一滴ずつ落とすように、ロアは語る。
「死者は近くの集落の者が弔ってくれていて……母の墓もそこに。父は辛うじて生きていましたが、ひどい傷で……会った翌日には、もう」
そこで言葉を切って、視線を伏せた。耳に痛いほどの静けさがその場に落ちる。
ブレイズも、カチェルも、ウィットも、気づけば息を潜めていた。
扉の向こうで誰かが歩く足音が、やけに耳につく。
沈黙を破ったのは支部長だった。
「……妹さんの話は出なかったね。つまり、君が探しているのは――」
「はい」
頷いて、ロアは顔を上げた。
「父が死に際に言っていました。……妹は、伯父が連れて行ったと」
「伯父さん?」
「母の兄です。同じ集落に、夫婦で暮らしていました。この十二年、南方にある火族の集落を回りましたが見つからず……王国に来たのではないかと」
支部長はしばらく何か考え込んで、それからロアへ視線を返す。
「そういうことなら、紹介できる人はまず一人いる。この街の今の代表だ」
「……当時の、ではないのですよね?」
「うん、その息子だね。当人はあまり覚えてることはないだろうけど……当時の移民に関する資料は、彼が管理しているはずだ」
その言葉を聞いて、ロアがはっとした表情をした。
こめかみに指を当てて、支部長は言葉を続ける。
「確か……大襲撃があった頃は、住居の手配を進めていたはずだ。なら、難民の名簿くらいは作っていたはずだ。最低でも、妹さんと伯父さん夫婦の名前があるかないか、くらいは確認できるんじゃないかな」
「はい……!」
ロアがしきりに頷いている。
名簿に彼の探し人の名があればこのまま難民の足取りを追っていけばいいし、なければないで、それも情報だ。
是非お願いしたい、というロアの言葉に、支部長はしっかりと頷いた。
「あちらも忙しいから、今日いきなり押しかけるわけにもいかない。こちらから手紙を出しておくから、明日の朝にまたおいで」
◇
ロアが礼を言って去った後。
支部長は早速、街の代表に宛てた手紙を書いて、ウィットに届けに行かせた。
元気よく駆けていくウィットを見送り扉を閉めたところで、支部長はブレイズに声をかけてきた。
「ブレイズ、明日は非番だったね? 明日、ちょっと彼に付いて行ってくれないか」
「別に構わねえけど……」
理由が見えない、という疑問が顔に出ていたのか、支部長はちょいちょいと手招きをする。
それに応じて受付カウンターの中に入り、支部長の席に近づくと、彼は声を落として言った。
「紹介する手前、彼が代表に粗相をするとまずい」
「賞金稼ぎにしちゃ礼儀正しいほうだと思うけど」
「……言い方を変えようか。代表に危害を加えるようなら阻止してほしい」
「……うん?」
なんであのロアが代表に危害を加える話になるんだろう。先代が難民を追い出したから?
首をひねっていると、「あのね」と支部長は言い聞かせるように続けた。
「彼の話が本当である保証も、全てである保証もないんだよ。特に後者かな、言葉を慎重に選んでる節があった」
「それは俺も思ったけど……」
ぽつりぽつり、つっかえるような話しぶりだった。
辛い記憶だろうとは思うが、それでも十二年前だ。多かれ少なかれ、何らかの折り合いをつけているはず――と考えるのは、傲慢だろうか。
「まして今は、ちょっと面倒な時期だ。ロアくんが何もしていなくても、街で何かあれば、真っ先に疑われるのは彼だろう。……守る意味もあるんだよ」
そこまで説明されて、やっと理由が見えた。
ロアという人物について、紹介した商業ギルド支部が責任を持つということか。
「彼も変な時期に来てしまったね。……だからといって、事情も聞かずに追い返すのは可哀想だ。せっかくの非番だろうけど、頼むよ」
そう言って微笑む支部長は普段と変わらない。きっと今も穏やかな表情の下で、甘い考えも厳しい考えも同時に巡らせているのだろう。
「ああ、ロアくんへの説明も任せるよ。ちゃんと納得してもらってね」
「えっ」
感心していたら、とんでもない発言が落とされた。
確かにロアは訝しく思うだろうが、そのあたりの説明は支部長がしてくれるものだとばかり思っていたのだが。
「まあ納得してもらえなくても話が流れるだけだ。支部は困らないし、練習だと思いなさい」
「うわひでえ……練習って?」
可哀想だと言ったばかりのくせに、薄情なことを言う。
しかし練習とは、と疑問に思っていると、支部長は小さくため息をついた。
「今した話くらいは想定できるようになっておけ、ということさ。……来年になったら、正式に警備主任にするからね」
「……俺が?」
「来年にはもう二十だろう、役職を持ってもいい歳だ。今度の王都行きで、そのあたりの手続きも一緒にしてきてくれ」
書類は一緒に用意しようね、と支部長がにこやかに言うのに、ブレイズは曖昧に頷いた。
警備主任は、かつてジルが就いていた役職だ。十年前に彼が死んでから、どうなっていたのかは聞かされていない。
(それを、俺が?)
ジルの立場を継げる。
喜ばしいことのはずなのに、胸の中では戸惑いばかりが渦を巻く。
煮え切らない態度のブレイズに何を思ったのか、支部長が再び口を開いた。
「やることは今と変わらないさ。警備の時間表だって、今までも作っていただろう?」
「『あれ』を時間表って言っていいのか……?」
時間表といっても、ラディと予定をすり合わせた結果を、備忘録として紙に記した程度のものでしかない。
最近はリカルドも加わっているが、彼だって気心の知れた仲だ。ルシアンもこちらに協力的なので、調整に苦労することは少なかった。
「時間表は時間表だ。小さな支部では作っていないところも多い、管理できているだけ上等だよ」
「管理ねえ……」
単にジルの真似をしていただけなのだが、支部長にはそういうふうに見えるのか。
ラディが聞いたら、どんな顔をするだろうか。
「まあ何にせよ来年だ、今すぐというわけじゃない。ラディも三年後には補佐扱いにするからね、二人で頑張りなさい」
一方的に告げて、支部長は書類仕事に戻ってしまう。もう決めたこと、ということだろう。
別に食い下がる理由もないので、ブレイズも途中だった荷物の梱包に戻った。
(ラディと二人で……か)
分かっている。
ブレイズに足りないものは、ラディが持っている。補ってくれる。
彼女と二人でなら、なんとかやっていけるだろう。
……それはそれで、面白くない話だった。
【私だけが楽しい世界設定メモ】
■南方の部族
・火族
・水族
・風族
・地族
それぞれ複数の集落で暮らしているので、別に火族が南方からいなくなったわけではないです。




