26. 足跡を辿る人
フィットボクシング2で筋肉痛になって遅れました。
彷徨う風精使い編 開始です。
商人たちの納品ラッシュもほぼ終わり、ファーネの商業ギルド支部は閑散とした状態に戻っている。
来客も一日に一人あるかないかで、市場に商店を構える店主が早めの注文に来たり、猟師が動物の毛皮を売りに来たりする程度だ。
昼を少し過ぎた頃、人の姿の見えない一階ロビーの一角で、ブレイズは先日仕留めた巨大蜂の毒針を梱包していた。王都行きの際に持っていくためだ。
「う、わぁぁぁぁ……。すっごい、ねえ」
「あんま先のほう触るなよ」
まるで刺突短剣のような黒い毒針を手で動かしながら、ウィットが目をきらきらさせている。
水でよく洗ったので毒はもう残っていないはずだが、手を傷つけないようにとだけ注意して、箱に緩衝材となる麻布の端切れを詰めていく。
一般的な蜂と同じなのかどうかは知らないが、この蜂の毒針は、三つの部品から成り立っていた。
中央に毒針があり、その外を、剣の鞘を縦に割ったようなものが左右から覆っている。
先端にはギザギザとした刃のようなものがついていて、これがノコギリのように敵の外皮を切り進むのだとひと目で分かる構造だ。
鞘というよりは、本命の毒針を相手に届かせるためにある、外側の剣。
……こういう構造を見ていると、フォルセが父を虫に食い殺されてなお、虫への興味を捨てられない気持ちも分かる気がする。
緩衝材の中央に長細いくぼみを作り、そこに毒針を収めたところで、出入り口のドアベルが小さく鳴った。
細く開けられたドアの隙間から、こちらを伺うように覗く顔がある。
初めて見る顔だな、と思っていると、扉の向こうに立つ相手と視線がかち合った。
「……すまない、商業ギルド支部はここであっているか?」
「あってるよ、いらっしゃい!」
明るく言ったのはウィットだった。出入り口に駆け寄って、扉を完全に開け放ってしまう。
やはり初めて見る顔だ、と思った。
歳のころは、ブレイズやラディと同じくらいだろうか。南方民族特有の、琥珀色の肌をした男だ。緑がかった金髪を、首の後ろでひとくくりにしている。
腰に狩猟用のナイフを差している以外、武器らしきものは見当たらない。おそらく、リカルドと同じ精霊使いなのだろう。
ためらいがちに入ってきた男は、一階をぐるりと見回して、少し困ったような顔をする。
それを訝しく思う前に、彼はウィットに案内されて、受付のカチェルのところへ歩いていった。
背負っていた背嚢を下ろして、中から小さな小包を取り出すと、カウンターに置く。
「荷物を預かってきました」
「ええと……はい、確認しました。こちらで受け取ります。……これ一つのためにファーネまで来たの?」
小包一つの運送料で、わざわざ辺境のファーネまで来るのは割に合わないのではないか。
言外にそう尋ねるカチェルに、男は「いえ」と否定した。
「元々、こちらに用があって」
そう言った男の視線が、カチェルから奥の支部長、ロビーの隅にいるブレイズとウィットにも向く。
「今から十年ほど前に、南方から難民が来たと聞いたのですが……当時を覚えている人がいたら、紹介してもらえないかと」
ぱ、とウィットの目がこちらに向いたが、無言で首を横に振る。
十年前を全く覚えていないわけではないが、大襲撃より前、南方民族の商人やら賞金稼ぎやらは珍しくなかった。見かけたことくらいはあったかもしれないが、難民だなんて思わなかっただろう。
そのあたりを知っているとすれば、とブレイズは受付の奥を見る。
「……懐かしい話だね」
いつの間にか、支部長が席を立っていた。
「ご存知なのですか」
男の問いかけに、支部長は頷く。
「彼らがファーネを去る時に、途中まで護衛をした程度の関わりだけれどね」
「去った……」
支部長の答えを聞いて、男の顔に落胆の色が滲んだ。
それを見て、支部長は「ふむ」と顎を撫でる。
「これから時間はあるかな?」
「はい。宿も、来る途中で取ってきました」
「なら、もう少し詳しく話そうか。……ブレイズ、しばらく警備を頼むよ。ウィットはお茶をお願いできるかな、二人分ね」
◇
受付横の応接スペースに腰を落ち着ける二人を横目に、ブレイズは壁に立て掛けていた剣を腰に差す。
昨晩の夜警の後、ズボンのポケットに入れっぱなしだった腕章を引っ張り出して、左腕に巻いた。
「僕は支部長のキース・ワイマンという」
「……ロア・ソレイルです」
うん、と穏やかに頷く支部長とは逆に、ロアの声は硬い。なんとなく、あまり人馴れしていない印象を受ける。
ブレイズが出入り口の横、警備の定位置に立つのを待って、支部長は再び口を開いた。
「では、まず僕の知っていることを話そうか」
聞こえてきた支部長の話によると。
確かに十年ほど前、南方からの難民がファーネへの移住を希望して、この街を訪れていたのだそうだ。
当時のナイトレイ領は税が安いということで移民が多く、ファーネは一年を通して比較的温暖な土地なので、過ごしやすいと考えられたらしい。
王国最南端に位置しており、南方に近い、というのも一因だったという。何もなければ、そのままファーネで暮らしていただろう。
しかし運の悪いことに、彼らの受け入れを進めていた途中で、あの大襲撃が起きてしまったのだ。
「彼らは、故郷を魔物に襲われて失ったと聞いたよ。それを思い出してしまったんだろうね、移住の話はなくなったようだった」
「……全員が? 誰も残らなかったと?」
「ファーネ側も死者が多くて、彼らの面倒を見る余裕がなくなっていた。……言いにくいけれど、『ファーネ側が追い返した』という面もあったと思うよ。当時の代表はもう亡くなってしまったから、本当のところはもう分からないけれど」
確かにあの頃は酷かったな、とブレイズは胸中でひとりごちた。
大襲撃の直後、残った大人たちはまず、死にもの狂いで南の防壁を立て直さなければならなかった。
男手は力仕事、女手は飯炊き。ブレイズとラディも、彼らの邪魔にならないよう暮らしていくのが精一杯だった。移住者の面倒まで見ている余裕はなかっただろう。
そこまでの話を複雑そうな表情で聞いて、ロアはおずおずと口を開いた。
「あの……その後、彼らがどこへ向かったのかは……」
「すまないね、それは知らないんだ。僕は途中で彼らと別れて、ファーネに引き返したから」
「……そう、ですか」
ロアが黙り込んでしまったところで、茶を淹れに奥へ引っ込んでいたウィットが姿を現した。
やけに遅いと思ったら、真新しい陶器のティーカップをトレイに載せて、ゆっくりと慎重に足を進めている。確かあれは、キースが王都で買ってきた土産の一つではなかったか。
(そういや、カチェルが「来客用にする」つってたような……)
そう思い出して受付を見ると、カチェルがはらはらした顔でウィットを見守っている。
なんとかウィットが茶を出し終えると、支部長はそれに口をつけて喉を潤した。
「……と、無条件に話してあげられるのはこのくらいかな」
「えっ」
ロアが意表をつかれたように顔を上げる。
支部長は指を組んで、浮かべていた笑みを深くした。
「ここから先は条件つき、ということだよ。……きみの事情を、まだ聞いていないだろう?」
ちなみに大襲撃の時点でキースとセーヴァはいましたが、キースは物資のピストン輸送でほぼ不在、セーヴァは医者業と(キースの代理の)書類仕事で地獄を見ていました。
カチェルが来るのはもうちょっと後です。




