25. 二人の幼馴染
「魔境って、こんなでっかい蜂がいるんだ……」
「私も初めて見たよ」
持ち帰った巨大蜂の腹部を見て、ウィットはひくりと頬を引きつらせた。ひょっとしたら虫は苦手なのかもしれない。
まあ自分だって苦手な方だし、得意な方が珍しいのだろう……とラディは一人で納得していた。
水で流したとはいえ、毒液を頭から被っておいて放置はいけない。
そうブレイズに主張して探索を切り上げさせ、見つけた植物と蜂の腹部を毒針ごと回収して帰還した。蜂の腹を持ち帰ってきたのは、毒液の現物があれば、ブレイズに何かあった時に役立つかと思ったからだ。
そのブレイズは、現在セーヴァのいる医務室で診察を受けている。一人で突っ走ったことはこっそり告げ口してあるので、何もなければ拳骨のひとつでも落とされている頃だろうか。支部長も説教を用意しておくと言っていた。存分にやってもらいたい、自分が言うよりは聞き入れやすいだろうし。
「ラディはね、嘘泣きでいいから泣いてみせればいいのよ」
楽しげに言うのはカチェルだ。
ちなみに彼女、意外なことに虫は平気な気性らしく、見える範囲に巨大な虫(の一部)が転がっていても涼しい顔をしている。なんでも故郷は暑いところなので、虫くらいで騒いでいたら暮らしていけないのだそうだ。
「ブレイズってば、怒鳴られるのも拳骨落とされるのも年上のお姉さんにからかわれるのも慣れてるんだもの。年下から泣くほど心配されたほうが懲りるわ、きっと」
「罪悪感を煽るってやつ?」
「そうそう。ウィットも覚えときなさい」
「悪い女だ~!」
それはからかうから反省しないのでは……とラディは思ったが、二人とも楽しそうなので口にするのはやめておいた。
ちなみにラディが過去に行った中で一番ブレイズに効いたのは、鍛錬場に魔術で巨大な氷塊を出して剣術の稽古をできなくすることだ。
今回のように無茶をした場合、強制的に休ませることにもなり、二重の意味で効果的な制裁である。しかし最近は支部長も夜に鍛錬場を使うことがあるので、この手を使うのは少々ためらわれた。
(……罪悪感、か)
それを抱くべきは自分のほうだ、とラディは思う。
ブレイズの額の傷、あれは昔、自分が彼につけてしまったものだ。
暴走する魔力に振り回されて、わけも分からず魔術を暴発させていた自分を、助けようと手を伸ばしてくれた少年。その小さな体を跳ね飛ばしたのは、自分自身が発動した魔術だった。
部屋の端に転がり、頭から血を流す彼を目にして、“死んでしまいたい”と強く思ったのを覚えている。
彼が記憶を失ったのは、きっとあの怪我のせいだ。
だからブレイズに記憶がないことも、過去に興味を持たないことも責めはしない。
思い出をひとりで抱えるのは寂しいけれど、おそらくそれは、力に振り回された自分への罰なのだろう。
「それで、こっちが探してたっていう植物?」
ウィットの言葉で我に返った。
「やっぱり僕の知ってる『竹』に似てるなあ……大きさ以外」
ウィットが覗き込んでいるのは、持ち帰ってきた例の植物の一部だ。ただし、茎の太さは人の胴ほどもある。
根ごと持ち帰れればよかったのだが、予想よりずっと大きかったので、ブレイズが剣で茎を輪切りにした。中はウィットが言っていた通りの空洞で、そのまま水汲みにでも使えそうな形だ。
「木とも草ともつかない、不思議な植物だな」
「真ん中の茎は木みたいに使えるんだよ。焼いて炭にするとか、細工物を作るとか。水を通さないからコップとか器にもできるし」
「それは毒性がないか確かめてからね」
横からカチェルがさくりと釘を刺して、茎から伸びる葉茎の、赤く色づく先端に、小さな保護用の袋を被せていく。
ケヴィンに託された麻紙によれば、そこから赤い花が咲くらしい。今は蕾の段階だろうか。
「カチェルも見たことない植物なのか?」
「うーん……しいて言えば甘蔗に近い気もするけど、あれは中身が詰まってるし」
カチェルが最後の蕾に袋を被せ終わったところで、医務室のドアが開いた。
案の定拳骨をもらったのだろう、ブレイズが片手で頭を抑えながら出てくる。
その後ろから、セーヴァがひょいと顔を覗かせた。
「そのバカは問題なしだ。ただ、念のため今日の夜警は交代したほうがいい」
「分かった、私が代わる」
「おい」
「ブレイズはあっち」
不服そうなブレイズをいなして、受付カウンターの奥を手で示す。そちらを見たブレイズが、「げ」と小さく呻き声を上げた。
支部長がにっこり笑って手招きしている。目は笑っていない。
「この蜂はもう処分していいのか?」
「ああラディ、ちょっと待った」
医務室のドア近くに転がしておいた巨大蜂の腹部に近づくと、支部長に呼び止められた。
「あとで毒針だけ取り出すから、処分じゃなくて奥にしまっておいてくれ」
「毒針を?」
「それだけ大きな個体は珍しいからね、フォルセくんへのお土産にでもするといい」
「……分かった」
頷いて、巨大蜂の腹を、下に敷いていた麻袋ごと奥へ引きずっていく。
月に一度の発注業務だが、次はブレイズとラディが行くことになっていた。
とはいえ二人とも今はただの警備員でしかないので、ギルド本部で権限まわりの手続きをするため、一度王都まで行く必要がある。
都合が合えば、学院にいるフォルセと十年ぶりに会うこともできるかもしれない。支部長はそれを見越して言っているのだろう。
まあ、会えなかったら会えなかったで、依頼された植物のおまけでギルドへ納品すればいい。あの虫好きなら嫌な顔はしないはずだ。
「さてブレイズ。今ここで説教されるのと、後で一緒に巨大蜂の解体するの、どっちがいい?」
「……説教でお願いします」
奥に引っ込む直前、聞こえてきた会話に、ラディは小さく噴き出した。
そうだな、その二択なら私も説教を選ぶよ。
◆
「ルヴァード、お手紙ですよ」
元同級生、今は同期の研究者となった女性が、封筒の束を差し出してきた。
フォルセ・ルヴァードはそれまで覗き込んでいた顕微鏡を作業台の奥にそっと追いやると、近くに置いていた眼鏡をかける。
受け取った手紙は三通。
ひとつは城下で暮らす母からで、何枚書いたのやら封筒が破れそうなほど分厚い。なら緊急の連絡ではないなと判断して横に置いた。宿舎に戻ってから斜め読みすればいい。
ひとつはマーカス・クレイトン――ケヴィンの護衛の名だ、これはすぐに目を通しておくべきものに分類される。
最後の一通には懐かしい名前がふたつ連なっていて、ふ、と口元に笑みが浮かんだ。
剣術バカのブレイズと、引っ込み思案のラディカール。
封筒に名を書いたのはラディだろうなと、綺麗に整った字を指先で撫でる。
二人はどんなふうに成長しただろう。
ブレイズは背が高かった。あれからもっと伸びているかもしれない。彼らの拾い親の剣は大きかったから、それに見合う体格であればいいのだが。
ラディは他の子供達と一線を画す美しい少女だった。きっと人目を惹く美人になっているだろう。
自分は……どんなふうに、見えるだろうか。
すぐにでも手紙の封を切りたいところだが、まずはマーカス、つまりケヴィンからの手紙が優先だ。作業台の隅、母からの手紙の上に封筒を重ねる。
「あら、読まないんですか?」
「後でいい」
手紙を持ってきた同期からの問いに、短く答えて眼鏡をかけ直した。
返事が来たということは、まだあの街で生きているということだろう。
だったら、じきに会えるはずだ。
王都の訳アリ三人組編(今つけた)の後日談はここまで、次から新展開となります。
【おしらせ】
趣味全開で書いてるとはいえ読んでもらいたくて公開してるので、ここ数日ちょっとタイトルとあらすじをいじくってました。
あと更新報告用のついったーを始めました(作者ページからも飛べます)→ @2kihe




